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2014年3月10日 (月)

亡びた過去/「心象」

(前回から続く)

「少年時」という章の最終詩が
「心象」です。

これも「白痴群」(第4号、昭和4年11月1日発行)に発表後
「山羊の歌」に配置されました。

「失せし希望」「夏」と配置された後での「心象」という配置は
タイトルを見ただけでは
連続性(つながりや関連)は見えてきません。

それぞれの詩は独立したものですから
連続性などないのかもしれません。

――とすれば
「少年時」という章を設けた意図が見えなくなります。

「少年時」とくくった意図は
やっぱりありそうです。

心 象

   Ⅰ

松の木に風が吹き、
踏む砂利(じゃり)の音は寂しかった。
暖い風が私の額を洗い
思いははるかに、なつかしかった。

腰をおろすと、
浪(なみ)の音がひときわ聞えた。
星はなく
空は暗い綿(わた)だった。

とおりかかった小舟の中で
船頭(せんどう)がその女房に向って何かを云(い)った。
――その言葉は、聞きとれなかった。

浪の音がひときわきこえた。

   Ⅱ

亡(ほろ)びたる過去のすべてに
涙湧(わ)く。
城の塀乾きたり
風の吹く

草靡く
丘を越え、野を渉(わた)り
憩(いこ)いなき
白き天使のみえ来ずや

あわれわれ死なんと欲(ほっ)す、
あわれわれ生きんと欲す
あわれわれ、亡びたる過去のすべてに

涙湧く。
み空の方より、
風の吹く

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「Ⅱ」に
亡(ほろ)びたる過去のすべてに
――とあり「夏」の「亡骸(なきがら)」と響き合っていることが
すぐに目につくでしょうか。

この行はリフレインされ
「涙湧く」を引き出します。

「城の塀」というのは
「城破れて山河あり」を思わせますが
この詩が向かうのは国の歴史ではなく
「白き天使」です。

泰子のことかもしれません。

「みえ来ずや」の「や」は反語の「や」で
「見えて来るわけがない」の意味でしょう。

見えるわけがないことを
観念しているのです。

涙湧く詩人に吹きつけるのは風。
み空の方向からやってくるのです。

「Ⅱ」が山野を背景とするのに呼応して
「Ⅰ」は海辺の光景です。

松林を抜け
波打ち際の防波堤のようなところに腰を下ろす詩人。

浪の音ばかり
星はなく
空は暗い綿。

そこへ一艘(そう)の小舟が通りかかります。
夫婦が乗っていて
船頭が女房に何かを言ったのですが
聞き取れなかった。

浪の音が高かったからですが……。

聞き取れない理由は
浪の音のせいばかりではなさそうです。

夫婦の何気ない会話のゆるぎなさは
詩人の手の届かぬところのものでした。

Ⅰは口語体、Ⅱは文語体という構成で
Ⅰは海辺、Ⅱは草原を背景にしながらも
心象であることをタイトルにしたのは理由があることでしょう。

「夏」に歌われた「心の歴史」と
「心象(心のかたち)」は同じもののようです。

Ⅰに「空は暗い綿(わた)」とあり
Ⅱに「み空の方より、風の吹く」とある「空」が
「心のかたち」に大きな位置を占めているのでしょう。

今回はここまで。

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