亡びた過去/「心象」
(前回から続く)
「少年時」という章の最終詩が
「心象」です。
これも「白痴群」(第4号、昭和4年11月1日発行)に発表後
「山羊の歌」に配置されました。
◇
「失せし希望」「夏」と配置された後での「心象」という配置は
タイトルを見ただけでは
連続性(つながりや関連)は見えてきません。
それぞれの詩は独立したものですから
連続性などないのかもしれません。
――とすれば
「少年時」という章を設けた意図が見えなくなります。
「少年時」とくくった意図は
やっぱりありそうです。
◇
心 象
Ⅰ
松の木に風が吹き、
踏む砂利(じゃり)の音は寂しかった。
暖い風が私の額を洗い
思いははるかに、なつかしかった。
腰をおろすと、
浪(なみ)の音がひときわ聞えた。
星はなく
空は暗い綿(わた)だった。
とおりかかった小舟の中で
船頭(せんどう)がその女房に向って何かを云(い)った。
――その言葉は、聞きとれなかった。
浪の音がひときわきこえた。
Ⅱ
亡(ほろ)びたる過去のすべてに
涙湧(わ)く。
城の塀乾きたり
風の吹く
草靡く
丘を越え、野を渉(わた)り
憩(いこ)いなき
白き天使のみえ来ずや
あわれわれ死なんと欲(ほっ)す、
あわれわれ生きんと欲す
あわれわれ、亡びたる過去のすべてに
涙湧く。
み空の方より、
風の吹く
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
「Ⅱ」に
亡(ほろ)びたる過去のすべてに
――とあり「夏」の「亡骸(なきがら)」と響き合っていることが
すぐに目につくでしょうか。
この行はリフレインされ
「涙湧く」を引き出します。
◇
「城の塀」というのは
「城破れて山河あり」を思わせますが
この詩が向かうのは国の歴史ではなく
「白き天使」です。
泰子のことかもしれません。
「みえ来ずや」の「や」は反語の「や」で
「見えて来るわけがない」の意味でしょう。
見えるわけがないことを
観念しているのです。
◇
涙湧く詩人に吹きつけるのは風。
み空の方向からやってくるのです。
◇
「Ⅱ」が山野を背景とするのに呼応して
「Ⅰ」は海辺の光景です。
松林を抜け
波打ち際の防波堤のようなところに腰を下ろす詩人。
浪の音ばかり
星はなく
空は暗い綿。
そこへ一艘(そう)の小舟が通りかかります。
夫婦が乗っていて
船頭が女房に何かを言ったのですが
聞き取れなかった。
浪の音が高かったからですが……。
聞き取れない理由は
浪の音のせいばかりではなさそうです。
夫婦の何気ない会話のゆるぎなさは
詩人の手の届かぬところのものでした。
◇
Ⅰは口語体、Ⅱは文語体という構成で
Ⅰは海辺、Ⅱは草原を背景にしながらも
心象であることをタイトルにしたのは理由があることでしょう。
「夏」に歌われた「心の歴史」と
「心象(心のかたち)」は同じもののようです。
Ⅰに「空は暗い綿(わた)」とあり
Ⅱに「み空の方より、風の吹く」とある「空」が
「心のかたち」に大きな位置を占めているのでしょう。
◇
今回はここまで。
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