ループする悲しみ/「汚れっちまった悲しみに……」その6
(前回から続く)
悲しみが汚れる――とはどんなことでしょうか?
それを具体的に示すものが
「狐の革裘」です。
「汚れっちまった悲しみに……」の第2連第2行に現われる
たとえば狐の革裘
――という1行です。
ほかの詩行に
どのように汚れたのかが明示されているのを
見つけることはできません。
◇
汚れっちまった悲しみに……
汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘(かわごろも)
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる
汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む
汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気(おじけ)づき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
「狐の革裘」は
「たとえば」という「例示」を表わす副詞に導かれ
現われます。
しかも
「のようである」という述語(被修飾句)が省略されています。
この省略が
断定の効果を生みます。
たとえば狐の革裘である
――の意味になるからです。
◇
そして
例は「狐の革裘」以外に示されません。
ほかに幾つかあるはずの例を引くことができないのです。
「狐の革裘」は幾つかある例のうちの一つではなく
ほかのどんな例にも還元することができないものなのです。
それをシンボルと呼んで間違いはないでしょう。
◇
「狐の革裘」は「汚れた悲しみ」のシンボルなのです。
「汚れた悲しみ」の正体が
ここに明示されています。
◇
今回はここまで。
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