空の彼方(かなた)に/「失せし希望」
(前回から続く)
「木陰」とタイトルが付けられて
青々とした楡の木立ちになぐさめられることがルフランで歌われれば
「後悔」は退く形です。
木陰の安らぎはしかし
つかの間のことです。
爽やかな夏の昼下がりの光景のようですが
茫然として空を眺めている詩人です。
◇
続いて配置されている「失せし希望」にも
次の「夏」にも
次の「心象」にも空が現れ
「空4部作」を構成します。
あたかも恋(人)に入れ替わるように
「空」が現れます。
◇
失せし希望
暗き空へと消え行きぬ
わが若き日を燃えし希望は。
夏の夜の星の如(ごと)くは今もなお
遐(とお)きみ空に見え隠る、今もなお。
暗き空へと消えゆきぬ
わが若き日の夢は希望は。
今はた此処(ここ)に打伏(うちふ)して
獣(けもの)の如くは、暗き思いす。
そが暗き思いいつの日
晴れんとの知るよしなくて、
溺れたる夜の海より
空の月、望むが如し。
その浪(なみ)はあまりに深く
その月はあまりに清く、
あわれわが若き日を燃えし希望の
今ははや暗き空へと消え行きぬ。
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
恋(人)が暗い空へと消えていったわけでは
もちろんありません。
消えていったのは希望でした。
若き日に詩人の内部で燃えていた希望でした。
恋(人)が失われた時に
希望も失われたのです。
希望もろとも恋(人)は消えていったのです。
恋(人)もろとも希望は消えていったのです。
◇
溺れた夜の海から見上げる「空の月」は
泰子のように見えてきはしませんでしょうか?
◇
今回はここまで。
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