恋の過去/「木蔭」
(前回から続く)
「木蔭」は「夏」とともに
「白痴群」第3号(1929年9月1日発行)に「詩2篇」として発表されました。
その時は「夏」の後に配置されていますが
「山羊の歌」では逆になりました。
もとは「ノート小年時」に書かれ
末尾に「1929年7月20日」の制作日があり
「後悔」のタイトルが消されて
「木蔭」に変えられてありました。
(「新全集」解題篇)
◇
木 蔭
神社の鳥居が光をうけて
楡(にれ)の葉が小さく揺すれる
夏の昼の青々した木蔭(こかげ)は
私の後悔を宥(なだ)めてくれる
暗い後悔 いつでも附纏(つきまと)う後悔
馬鹿々々しい破笑(はしょう)にみちた私の過去は
やがて涙っぽい晦暝(かいめい)となり
やがて根強い疲労となった
かくて今では朝から夜まで
忍従(にんじゅう)することのほかに生活を持たない
怨みもなく喪心(そうしん)したように
空を見上げる私の眼(まなこ)――
神社の鳥居が光をうけて
楡の葉が小さく揺すれる
夏の昼の青々した木蔭は
私の後悔を宥めてくれる
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
恋(人)はどこへ行ってしまったでしょうか?
神社の木蔭にたたずんで
詩人が見ているのは楡(にれ)の葉のさざなみばかりです。
初夏の真昼にここへやってきて
見慣れた光景である木蔭が
疲労を取ってくれることを発見したのです。
◇
後悔に後悔を重ねても離れていかない
しつこい後悔を抱えて
幾日を過ごしてきたものか。
ああでもないこうでもないと繰り返し思い出しては
馬鹿馬鹿しくなって笑えてしまうほどの「過去」は
やがて涙まじりの黒ずんだ悔いの塊となり
ついには疲労となって積もってしまった。
こうして今では朝から晩まで
忍の一字の生活
怨みもなく心を失くしたように
空を見上げているだけの眼になっていたが。
あの青々しい楡の木立ちを見ていると
つかの間ではあるけれど
この後悔を忘れさせてくれるよ。
◇
後悔の正体に
きっと恋(人)はあるでしょう。
しかし、それには
一言も触れません。
すべては「過去」なのです。
「過去」にすべてが含まれました。
「恋(人)」もその中に入っていることでしょう。
きっと
大きな比重を占めていることでしょう。
◇
今回はここまで。
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