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2014年3月21日 (金)

ループする悲しみ/「汚れっちまった悲しみに……」その5

(前回から続く)

「狐の革裘」は
どう見ても「汚れてしまった悲しみ」のメタファーでしょう。

ということは
詩人の悲しみのことになります。

それがどうしたのでしょう?
なぜ、狐の革裘なのでしょう?

大きな謎です。

しかし、ここに詩の「山」があります。
「山」はまた「動き」です。

突如、生き物が現われるのですから。
詩が俄(にわ)かに「息づく」感じです。

汚れっちまった悲しみに……
 
汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる

汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘(かわごろも)
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる

汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む

汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気(おじけ)づき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

狐といえばキツネ色。
その「わきの下(ワキノシタ)」はキツネ色ではなく
アイボリー・ホワイトの白です。

繊細(せんさい)で敏感なこの白い毛の衣(ころも)を
「汚れた悲しみ」に喩(たと)えたのです。

その衣がちぢこまる。
その悲しみがちぢこまる。

小雪が降りかかり
ちぢこまるのです。

この悲しみは
何も望まず何も願うこともない「喪心」を生みます。

しつこくつきまとわう悲しみに「慣れっこ」になる中で
ふと死を思うこともあります。

第2連、第3連では
主格「は」で歌った「汚れてしまった悲しみ」を
第1連では目的格「に」で
第4連では「手段」を表わす格助詞「に」で受けます。

そうすることで
「悲しみ」に一歩の距離を置いて眺めるのです。

「は」と「に」を交互に繰り返しますが
末尾に「……」を置いて
また冒頭行へ戻るように促します。

悲しみはこうしてエンドレス(無限の)ループを描くことになります。

狐の革裘の登場が
この詩(うた)の世界に明るさをもたらします。

暗いだけでない世界を
狐の革裘の登場がもたらすのです。

「山」を作り
「動き」を作ったと同時に
詩に「光」をもたらします。

一条の光のようなもの。

希望といってもよいものが
狐の革裘に託されます。

それは
メタファーであるという以上に
シンボル(象徴)といえるものです。

今回はここまで。

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