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2014年3月24日 (月)

ループする悲しみ/「汚れっちまった悲しみに……」その8

(前回から続く)

「汚れっちまった悲しみに……」は
小雪が降り風が吹くという風景をしか歌っていません。

今日も小雪が降りかかり
風が吹きすぎるのは
「汚れてしまった悲しみ」に向かってで
悲しみは風景ではありません。

小雪が降り風が吹きすぎるそこが
どのような場所であるか
どのような人物にであるかを歌うことなく
「汚れた悲しみ」という内面=抽象(名詞)に向かうのです。

風景はこうして極力削ぎ落とされ
内面(悲しみ)がフォーカスされます。

汚れっちまった悲しみに……
 
汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる

汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘(かわごろも)
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる

汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む

汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気(おじけ)づき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

その内面=悲しみ(の詩人)は
何も望まず願わず
倦怠(けだい)になすがままになって死を夢みることもあります。

その悲しみに(詩人は)
いたいたしく怖気づき
何をすることもできずに日が暮れます。

何もできないで日が暮れ
「……」でこの詩は閉じることによって
汚れた悲しみは終わりのないループに入るのですが
あたかもこのループを突き破るかのように
狐の革裘が現われます。

読者は、おや、狐の革裘って何だろうと不思議に思いながらも
ここは通り過ぎ
♪汚れっちまった悲しみに……のループに従って
詩行を追いかけることでしょう。

いつか分かるときがくる、と。
謎を謎にしたまんま。

狐の革裘は
今でも謎であることに変わりありません。

分かりかけているかのようで
謎であり続けています。

それは、
狐のからだの、
純白の、汚れ得ない部位で
繊細で、敏感で、ふだんは見えない
バイタルな(大切な)領域です。

詩(人)は
そのような所が汚れてしまった悲しみを歌いつつも
どこかしら
その悲しみに寄り添う心持ちがあるようでなりません。

この悲しみを嫌悪していないで
この悲しみの側に立っている。
狐の革裘の側に立っている。

狐の革裘に
光のようなものがあります。

そこが謎です
不思議です。

この謎が
この詩の魅力であり
魔力です。

今回はここまで。

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