雪のダブルイメージ/「生い立ちの歌」その5
(前回から続く)
「生い立ちの歌」は「Ⅱ」に入って
満年齢で23歳の現在を雪の「喩(ゆ)」で歌いますが
ふと、この雪は泰子のようであると
感じられてくる仕掛けに気付かされ驚きます。
雪のメタファーが
いつしか泰子とダブルイメージになるのですから
不思議な仕掛けですが
何度読み返しても
どこでそうなってしまうのか
マジックに遭うような謎(なぞ)が残ります。
◇
第1連は、
花びらのように
第2連は、
いとなよびかになつかしく
手を差伸べて
第3連は、
熱い額に落ちもくる
涙のよう
第5連は、
いと貞潔で
――と「降る雪」が主語ですが
第4連は
私の上に降る雪に
――と雪が主語でなく
目的語になっているのに気づかされます。
雪は、
第4連で目的格に変化し
いとねんごろに感謝して
神様に、長生したいと祈りました
――という述語の主語(私=詩人)に変わるのです。
私(=詩人)が雪に感謝するのです。
そして、神様に祈るのです、長生したい、と。
◇
この雪は
泰子以外にありません。
◇
生い立ちの歌
Ⅰ
幼 年 時
私の上に降る雪は
真綿(まわた)のようでありました
少 年 時
私の上に降る雪は
霙(みぞれ)のようでありました
十七〜十九
私の上に降る雪は
霰(あられ)のように散りました
二十〜二十二
私の上に降る雪は
雹(ひょう)であるかと思われた
二十三
私の上に降る雪は
ひどい吹雪(ふぶき)とみえました
二十四
私の上に降る雪は
いとしめやかになりました……
Ⅱ
私の上に降る雪は
花びらのように降ってきます
薪(たきぎ)の燃える音もして
凍(こお)るみ空の黝(くろ)む頃
私の上に降る雪は
いとなよびかになつかしく
手を差伸(さしの)べて降りました
私の上に降る雪は
熱い額(ひたい)に落ちもくる
涙のようでありました
私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して、神様に
長生(ながいき)したいと祈りました
私の上に降る雪は
いと貞潔(ていけつ)でありました
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
「Ⅱ」に入ってから
雪は花びらのように降るのですが
第1連の後半2行が重要です。
◇
薪の燃える音もして
凍るみ空の黝(くろ)む頃
――は「雪の宵」のホテルの屋根の情景と響き合っています。
凍るみ空の黝(くろ)む頃
――の「み空」は
今夜み空は真っ暗で
暗い空から降る雪は……
――の「み空」とまっすぐにつながっています。
◇
第2連の
いとなよびかになつかしく
手を差伸(さしの)べて降りました
――の主語が雪であると同時に泰子であり
第3連の
熱い額(ひたい)に落ちもくる
涙のようでありました
――の主語が雪であると同時に泰子であるということが
こうしてくっきりしてきます。
◇
第4連を
「私の上に降る雪に」としたのは
私(=詩人)を主格にするためであったことも
こうして見えてきます。
泰子にとても感謝します
そして、神様には長生きしたいことを祈りました、と歌うのが現在の私です。
◇
その私に降る雪が「貞潔」であると歌うところに
この詩は「汚れっちまった悲しみに……」を歌った時から
遠くへ来ていることを暗示しています。
◇
今回はここまで。
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