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2014年5月 7日 (水)

雪のクロニクル/「生い立ちの歌」その3

(前回から続く)

「生い立ちの歌」の「Ⅰ」が
実人生に対応して作られた「クロニクル(年代記)」であるなら
第6連「二十四」は満年齢23歳を指しますから
昭和5年のことになり
この詩を書いた現在ということになります。

その現在は、
雪の形態に喩(たと)えて

いとしめやかになりました……
――という状態に詩人はあります。

これを受けて
「生い立ちの歌」「Ⅱ」は
現在を歌っているのですから

「しめやかに」の雪は

花びらのように降ってきます
――と歌われる穏やかな時間です。

今という今、詩人は
雪の降るのを「花びらのように」と感じる
一種幸せの中にあるのです……。

生い立ちの歌

   Ⅰ

    幼 年 時

私の上に降る雪は
真綿(まわた)のようでありました

    少 年 時

私の上に降る雪は
霙(みぞれ)のようでありました

    十七〜十九

私の上に降る雪は
霰(あられ)のように散りました

    二十〜二十二

私の上に降る雪は
雹(ひょう)であるかと思われた

    二十三

私の上に降る雪は
ひどい吹雪(ふぶき)とみえました

    二十四

私の上に降る雪は
いとしめやかになりました……

   Ⅱ

私の上に降る雪は
花びらのように降ってきます
薪(たきぎ)の燃える音もして
凍(こお)るみ空の黝(くろ)む頃

私の上に降る雪は
いとなよびかになつかしく
手を差伸(さしの)べて降りました

私の上に降る雪は
熱い額(ひたい)に落ちもくる
涙のようでありました

私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して、神様に
長生(ながいき)したいと祈りました

私の上に降る雪は
いと貞潔(ていけつ)でありました

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「幼年時」
「少年時」
「17~19」
「20~22」
「23」
「24」
――と6期に分けて自己の歴史を俯瞰(ふかん)したのですが
それぞれを雪(の変容)と見立てたのです。

雪の形態(姿態)をメタファーにしたのです。

「幼年時」が「真綿のような雪」であり
現在(二十四)が「しめやかに」なった以外
詩人にはきびしく降った「雪」のようで
「少年時」は文学に熱中して山口中学を落第するあたりまでで「霙(みぞれ)」。

「17~19」は満年齢「16~18」ですから
親元を離れ京都の立命館中学へ編入学したころから
泰子を知って後にともに上京
小林秀雄と泰子が暮らしはじめたころで「霰(あられ)」。

「20~22」は「満19~21」で
「朝の歌」を書き「スルヤ」と交流をはじめ
「白痴群」のメンバーとの親密な交友関係を築き
関口隆克らとの共同生活をしたころまでで「雹(ひょう)」。

「23」は「満22」で「白痴群」の時代。
阿部六郎の近くの渋谷・神山に住みはじめたころから
渋谷警察署に留置されたり、泰子と京都へ旅行したり
高田博厚のアトリエ近くに住んだころまでで「吹雪」。

――などと荒れ模様でした。

読み方によっては
期間区分が異なることがあるでしょうが
このようにパーソナル・ヒストリーを
雪のバージョンになぞらえて歌い
きわめて整然と「詩の言葉」にしたところが
「生い立ちの歌」の大きな「売り」の一つです。

今回はここまで。

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