都会の自然/「時こそ今は……」その2
(前回から続く)
花は香炉に打薫じ
――とエピグラフにあるのは
シャルル・ピエール・ボードレール(1821~1867年)の詩集「悪の華」にある1篇を
「薄暮の曲(くれがたのきょく)」として上田敏が訳出したものに
中也がアレンジを加えたものです。
「薄暮の曲」で相当する元の詩句(フレーズ)は
時こそ今は水枝さす、こぬれに花の顫ふころ、
花は薫じて追風に、不断の香の炉に似たり。
――とある
ルフランを含む冒頭の2行でしょう。
◇
時こそ今は……
時こそ今は花は香炉に打薫じ
ボードレール
時こそ今は花は香炉(こうろ)に打薫(うちくん)じ、
そこはかとないけはいです。
しおだる花や水の音や、
家路をいそぐ人々や。
いかに泰子(やすこ)、いまこそは
しずかに一緒に、おりましょう。
遠くの空を、飛ぶ鳥も
いたいけな情(なさ)け、みちてます。
いかに泰子、いまこそは
暮るる籬(まがき)や群青の
空もしずかに流るころ。
いかに泰子、いまこそは
おまえの髪毛なよぶころ
花は香炉に打薫じ、
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
「薄暮の曲」は
堀口大学の訳では「夕べのしらべ」と平明でモダンになりますが
「はくぼ(薄暮)」=夕暮れ、黄昏(たそがれ)は
中也の詩に度々現われるモチーフの一つです。
◇
「時こそ今は……」も
第1連
そこはかとないけはいです。
しおだる花や水の音や、
家路をいそぐ人々や。
第2連
遠くの空を、飛ぶ鳥も
いたいけな情(なさ)け、みちてます。
第3連
暮るる籬(まがき)や群青の
空もしずかに流るころ。
――と暮れなずむ風景を歌い
「薄暮の曲」やボードレールの原詩「Harmonie du Soir」を踏まえつつも
その夕暮れは中也特有の「都会の自然の情景」がにじみます。
これらの情景は
この詩を制作したころに住んでいた
昭和初期の東京・高井戸(現杉並)周辺の街並みに違いありません。
家路をいそぐ人々
暮るる籬(まがき)
――はいかにも中也の眼差しがとらえた景色ですが……。
◇
「花」が秋の花ならば
百合か薔薇か。
第1連、
しおだる花や水の音や、
――には、
「薄暮の曲」で「水枝」と上田敏が訳した情景が映っていますから
百合や薔薇ではないのかもしれません。
「しおだる」は、
「潮垂る。濡れて雫が垂れる。」の意味の古語(もしくは中也の造語)らしく
上田敏訳の水辺のイメージを
中也は生かそうとしています。
こだわっている感じがあります。
玉川上水とか桜上水とか、
神田川とか……。
高田博厚のアトリエ近くには
武蔵野の雑木林の風景ばかりでなく
「水辺」のイメージもあったのでしょうか。
◇
今回はここまで。
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