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2014年5月24日 (土)

嵐の間に陽の光/「羊の歌」その4

(前回から続く)

「羊の歌」「Ⅲ」はボードレールの詩から

我が生は恐ろしい嵐のようであった、
其処此処に時々陽の光も落ちたとはいえ。

――をエピグラフに取り
「陽の光」の落ちたある時にスポットライト(照明)をあてます。

恐ろしい嵐のような人生にもこんな時があった……と
幸福の時間を歌います。

この幸福の時間は「時こそ今は……」と響き合いますが
その時は「大過去」へとさかのぼり
ここでは9歳の子どもと僕の
遠い日の物語として語られるのです。

羊の歌
        安原喜弘に

   Ⅰ 祈 り

死の時には私が仰向(あおむ)かんことを!
この小さな顎(あご)が、小さい上にも小さくならんことを!
それよ、私は私が感じ得なかったことのために、
罰されて、死は来たるものと思うゆえ。

ああ、その時私の仰向かんことを!
せめてその時、私も、すべてを感ずる者であらんことを!

   Ⅱ

思惑(おもわく)よ、汝(なんじ) 古く暗き気体よ、
わが裡(うち)より去れよかし!
われはや単純と静けき呟(つぶや)きと、
とまれ、清楚(せいそ)のほかを希(ねが)わず。

交際よ、汝陰鬱(いんうつ)なる汚濁(おじょく)の許容よ、
更(あらた)めてわれを目覚ますことなかれ!
われはや孤寂(こじゃく)に耐えんとす、
わが腕は既(すで)に無用の有(もの)に似たり。

汝、疑いとともに見開く眼(まなこ)よ
見開きたるままに暫(しば)しは動かぬ眼よ、
ああ、己(おのれ)の外(ほか)をあまりに信ずる心よ、

それよ思惑、汝 古く暗き空気よ、
わが裡より去れよかし去れよかし!
われはや、貧しきわが夢のほかに興(きょう)ぜず

   Ⅲ

     我が生は恐ろしい嵐のようであった、
     其処此処に時々陽の光も落ちたとはいえ。
                    ボードレール

九歳の子供がありました
女の子供でありました
世界の空気が、彼女の有であるように
またそれは、凭(よ)っかかられるもののように
彼女は頸(くび)をかしげるのでした
私と話している時に。

私は炬燵(こたつ)にあたっていました
彼女は畳に坐っていました
冬の日の、珍(めずら)しくよい天気の午前
私の室には、陽がいっぱいでした
彼女が頸かしげると
彼女の耳朶(みみのは)陽に透(す)きました。

私を信頼しきって、安心しきって
かの女の心は密柑(みかん)の色に
そのやさしさは氾濫(はんらん)するなく、かといって
鹿のように縮かむこともありませんでした
私はすべての用件を忘れ
この時ばかりはゆるやかに時間を熟読翫味(じゅくどくがんみ)しました。

   Ⅳ

さるにても、もろに佗(わび)しいわが心
夜(よ)な夜なは、下宿の室(へや)に独りいて
思いなき、思いを思う 単調の
つまし心の連弾(れんだん)よ……

汽車の笛(ふえ)聞こえもくれば
旅おもい、幼(おさな)き日をばおもうなり
いなよいなよ、幼き日をも旅をも思わず
旅とみえ、幼き日とみゆものをのみ……

思いなき、おもいを思うわが胸は
閉(と)ざされて、醺生(かびは)ゆる手匣(てばこ)にこそはさも似たれ
しらけたる脣(くち)、乾きし頬(ほお)
酷薄(こくはく)の、これな寂莫(しじま)にほとぶなり……

これやこの、慣れしばかりに耐えもする
さびしさこそはせつなけれ、みずからは
それともしらず、ことように、たまさかに
ながる涙は、人恋(ひとこ)うる涙のそれにもはやあらず……

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

現われるのは女の子どもです。
この子どもは泰子でしょうが
断定はできません。

女の子は生きている世界の空気を
すべて自分が所有しているかのように
また凭(もた)れて(すべてをそこに投げ出して)もよいものと思ってでもいるかのように
「首を傾ける」のでした
――と絶妙な詩行を紡(つむ)いではじまります。

第2連。

私はコタツにあたり
彼女はタタミにすわり

冬の日の天気のよい午前
私の部屋には陽がいっぱい当たり
彼女が首を傾(かし)げると
耳朶(みみたぶ)が陽に透けます

私を信頼しきって安心しきって
彼女の心はミカン色に
その優しさが氾濫することなく
鹿のように縮こまることもなく

第3連。

私はすべての用事も忘れて
この時ばかりはゆるやかに時間を熟読玩味しました。

なんと美しい言葉の行列!
詩の言葉を何度も何度も味わってください。

この幸福は
あるいは京都で泰子と暮らした「時」のことでしょうか。

ところが最終節にきて
この詩は急激に転調します。
暗転します。

今回はここまで。

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