目の前に髪毛がなよぶ/「時こそ今は……」その3
(前回から続く)
大岡昇平によれば
「白痴群」が廃刊してからの3年間が
「彼の生涯で一番孤独で不幸な時期」になります。
昭和5年4月に「白痴群」が廃刊し
昭和8年12月に結婚するまでの期間です。
「時こそ今は……」は
廃刊になった「白痴群」第6号(昭和5年4月1日発行)に発表されました。
◇
「時こそ今は……」を制作したのは
昭和5年の1~2月と推定されていますから
「一番孤独で不幸」であった時期より前に作られたことになります。
この時期、中也は国電西荻窪駅南(中高井戸)の
高田博厚のアトリエ近くに住んでいました。
「時こそ今は……」が「最後の輝き=頂点の輝き」をはなっているのは
高田博厚のアトリエへ入り浸っていたころが
「その時」であったことを示すものです。
泰子と「相変わらず」喧嘩しつつも
詩人は幸福の時を過ごしていたのです。
◇
時こそ今は……
時こそ今は花は香炉に打薫じ
ボードレール
時こそ今は花は香炉(こうろ)に打薫(うちくん)じ、
そこはかとないけはいです。
しおだる花や水の音や、
家路をいそぐ人々や。
いかに泰子(やすこ)、いまこそは
しずかに一緒に、おりましょう。
遠くの空を、飛ぶ鳥も
いたいけな情(なさ)け、みちてます。
いかに泰子、いまこそは
暮るる籬(まがき)や群青の
空もしずかに流るころ。
いかに泰子、いまこそは
おまえの髪毛なよぶころ
花は香炉に打薫じ、
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
第1連冒頭行から第2行への移行が
絶妙です。
ボードレール原詩や上田敏訳の「薄暮の曲」に
「そこはかとないけはい」が歌われていないとはいえませんが
中也は第2行から中也の詩の世界を出現させたようです。
花が開ききって
芳香を放ち終えた後の静かな時。
宴の後のそこはかない気配が
しおだる花
水の音
家路をいそぐ人々
――といつしか街の情景に溶け込みます。
◇
家路をいそぐ人々の中に
泰子、中也の二人の姿もあるかのようです。
高田博厚のアトリエを出て
泰子の住まいのある東中野へ帰るには
西荻窪の駅へ出るか
そのまま歩いて東中野へ向うか。
泰子と中也は
少なくとも中也の住まいまで一緒でした。
その道すがらの情景が、
遠くの空を、飛ぶ鳥も
いたいけな情(なさ)け、みちてます。
暮るる籬(まがき)や群青の
空もしずかに流るころ。
――と歌われたのです。
◇
詩人は
呼吸の聞こえる距離でしみじみと泰子を見ています。
なよやかに揺らいでいる泰子の髪が
目の前にあります。
遠くなった「その時の時」が
詩人によみがえりますが……。
◇
花は香炉に打薫じ、
――と「、」で詩が閉じるのは
その時が永遠に続くことの願望をあらわしています。
◇
今回はここまで。
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