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2014年5月14日 (水)

目の前に髪毛がなよぶ/「時こそ今は……」その3

(前回から続く)

大岡昇平によれば
「白痴群」が廃刊してからの3年間が
「彼の生涯で一番孤独で不幸な時期」になります。

昭和5年4月に「白痴群」が廃刊し
昭和8年12月に結婚するまでの期間です。

「時こそ今は……」は
廃刊になった「白痴群」第6号(昭和5年4月1日発行)に発表されました。

「時こそ今は……」を制作したのは
昭和5年の1~2月と推定されていますから
「一番孤独で不幸」であった時期より前に作られたことになります。

この時期、中也は国電西荻窪駅南(中高井戸)の
高田博厚のアトリエ近くに住んでいました。

「時こそ今は……」が「最後の輝き=頂点の輝き」をはなっているのは
高田博厚のアトリエへ入り浸っていたころが
「その時」であったことを示すものです。

泰子と「相変わらず」喧嘩しつつも
詩人は幸福の時を過ごしていたのです。

時こそ今は……
 
         時こそ今は花は香炉に打薫じ
                 ボードレール

時こそ今は花は香炉(こうろ)に打薫(うちくん)じ、
そこはかとないけはいです。
しおだる花や水の音や、
家路をいそぐ人々や。

いかに泰子(やすこ)、いまこそは
しずかに一緒に、おりましょう。
遠くの空を、飛ぶ鳥も
いたいけな情(なさ)け、みちてます。

いかに泰子、いまこそは
暮るる籬(まがき)や群青の
空もしずかに流るころ。

いかに泰子、いまこそは
おまえの髪毛なよぶころ
花は香炉に打薫じ、

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

第1連冒頭行から第2行への移行が
絶妙です。

ボードレール原詩や上田敏訳の「薄暮の曲」に
「そこはかとないけはい」が歌われていないとはいえませんが
中也は第2行から中也の詩の世界を出現させたようです。

花が開ききって
芳香を放ち終えた後の静かな時。

宴の後のそこはかない気配が
しおだる花
水の音
家路をいそぐ人々
――といつしか街の情景に溶け込みます。

家路をいそぐ人々の中に
泰子、中也の二人の姿もあるかのようです。

高田博厚のアトリエを出て
泰子の住まいのある東中野へ帰るには
西荻窪の駅へ出るか
そのまま歩いて東中野へ向うか。

泰子と中也は
少なくとも中也の住まいまで一緒でした。

その道すがらの情景が、

遠くの空を、飛ぶ鳥も
いたいけな情(なさ)け、みちてます。

暮るる籬(まがき)や群青の
空もしずかに流るころ。

――と歌われたのです。

詩人は
呼吸の聞こえる距離でしみじみと泰子を見ています。

なよやかに揺らいでいる泰子の髪が
目の前にあります。

遠くなった「その時の時」が
詩人によみがえりますが……。

花は香炉に打薫じ、

――と「、」で詩が閉じるのは
その時が永遠に続くことの願望をあらわしています。

今回はここまで。

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