侘しい下宿/「羊の歌」その5
(前回から続く)
陽の光があふれる「私の室」(「Ⅲ」)は
突如、下宿の独り暮らしの現在に転じます。
「羊の歌」の最終節「Ⅳ」だけをクローズアップして
読んでみましょう。
◇
Ⅳ
さるにても、もろに佗(わび)しいわが心
夜(よ)な夜なは、下宿の室(へや)に独りいて
思いなき、思いを思う 単調の
つまし心の連弾(れんだん)よ……
汽車の笛(ふえ)聞こえもくれば
旅おもい、幼(おさな)き日をばおもうなり
いなよいなよ、幼き日をも旅をも思わず
旅とみえ、幼き日とみゆものをのみ……
思いなき、おもいを思うわが胸は
閉(と)ざされて、醺生(かびは)ゆる手匣(てばこ)にこそはさも似たれ
しらけたる脣(くち)、乾きし頬(ほお)
酷薄(こくはく)の、これな寂莫(しじま)にほとぶなり……
これやこの、慣れしばかりに耐えもする
さびしさこそはせつなけれ、みずからは
それともしらず、ことように、たまさかに
ながる涙は、人恋(ひとこ)うる涙のそれにもはやあらず……
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
「さるにても」は「それはそうであっても」という
一種の話法(ナラティブ)。
詩の作者が話者として発語し
物語を案内する言葉使いです。
◇
「Ⅲ」を受けていることを示しますが
受けた後に案内されるのは
「もろに侘しいわが心」です。
むかし、あんなに幸せだったけれど
今、こんなに侘しい。
夜な夜な
下宿の独り住まいで
思いのない思いを思う
単調の
つましい
心だけの連弾……。
◇
連弾に
不在の泰子がいます。
心の中だけの連弾なのです。
◇
汽車の笛が聞こえるのですから
中央本線でしょうか。
汽笛を聞いて
旅を思い幼時を思うのですが
否(いな)、否。
幼時も旅も思わないとすぐさま打ち消し
旅と見え幼時と見えるものをのみ……。
この「……」には「思う」が隠されてしまいました。
「見えてくるものだけを思う」ということは
思うにまかせるのですが
思いが結んでいかない状態を言っているのでしょうか。
思いが凍えている――。
◇
その胸の内は
閉ざされて、カビの生えた手箱にとても似ている。
白くなった唇。
乾いた頬。
酷薄の(ひどい、むごい)
「これな」の「な」は強調。古語で「これは」を強調するとこうなります。
「寂莫(しじま)に」は、
単に「沈黙(しじま)」ではなく、静寂が莫大(無限)であることを含んでいて
「ほとぶ」は「ほとぼり」の動詞化か、
「ほとぼり」と「ほとばしる」との合成か
「ほとり(辺、畔)」や「ほろぶ(滅ぶ)」をも含めているか、
「どっぷりつかっている」ほどの意味。
「酷薄の、寂莫(しじま)にほとぶ」で
ひどい、底知れぬ静寂に付きまとわれている(襲われている)状態。
「ほとぶ」の主語が
白くなった唇、乾いた頬。
◇
「これやこの」は
「さるにても」「いなよいなよ」と同じナラティブ(話法)でしょう。
57音75音を保とうとしながら
「物語」を進める話者の声。
沈痛な寂しさの中に
詩人は立っています。
立とうとしています。
◇
これはこの
慣れっこになって耐えている
さびしくてせつないものだから、
自分はそれと気づかず
ことように(異様に、普通ではない)
たまさかに(偶然に)
涙が流れる。
この涙、人を恋う涙では、もはやない……
◇
まだ歌い足りずに詩は閉じますが
この「……」もまた
詩の冒頭へと誘導を促す印かもしれません。
◇
4節で構成される詩の
「Ⅲ」は過去。
「Ⅰ」「Ⅱ」「Ⅳ」が現在なのです。
◇
今回はここまで。
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