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2014年5月 5日 (月)

白秋の「影」/「生い立ちの歌」

(前回から続く)

「汚れっちまった悲しみに……」
「雪の宵」
「生い立ちの歌」
――の「雪3部作」が「白痴群」第6号に発表されたのは昭和5年4月。

制作はその2か月前ということですから
昭和5年(1930年)1月~2月と推定されています。
(「新編中原中也全集」第1巻 解題篇。)

生い立ちの歌

   Ⅰ

    幼 年 時

私の上に降る雪は
真綿(まわた)のようでありました

    少 年 時

私の上に降る雪は
霙(みぞれ)のようでありました

    十七〜十九

私の上に降る雪は
霰(あられ)のように散りました

    二十〜二十二

私の上に降る雪は
雹(ひょう)であるかと思われた

    二十三

私の上に降る雪は
ひどい吹雪(ふぶき)とみえました

    二十四

私の上に降る雪は
いとしめやかになりました……

   Ⅱ

私の上に降る雪は
花びらのように降ってきます
薪(たきぎ)の燃える音もして
凍(こお)るみ空の黝(くろ)む頃

私の上に降る雪は
いとなよびかになつかしく
手を差伸(さしの)べて降りました

私の上に降る雪は
熱い額(ひたい)に落ちもくる
涙のようでありました

私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して、神様に
長生(ながいき)したいと祈りました

私の上に降る雪は
いと貞潔(ていけつ)でありました

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

北原白秋の第2詩集「思い出」が東京東雲堂から発行されたのは明治44年(1911年)ですが
昭和4年(1929年)にアルス社の「白秋全集」の刊行がはじまっていますから
中也は「思い出」をこの全集で読んだのでしょうか。

それともほかに読む手立てがあったのでしょうか。

中也は昭和2年8月に白秋の「洗心歌話」、
9月に白秋訳の「まざあ・ぐうす」を読んだことを
日記の読書メモに記録していますし
これらはその一部であろうことが想像できますから
白秋の詩歌もずっと身近にあったはずのものでした。

白秋の詩集「思い出」の冒頭部にある「わが生ひたち」が
「生い立ちの歌」を作るきっかけになったとしても
ひとつも不自然ではありません。

中也の「雪の宵」が
白秋詩をエピグラフにして
「本歌取り」として作られたのは
初めてで最後のケースですが
白秋の「影」は中也の詩に度々見られるものです。

今回はここまで。

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