白秋の「影」/「生い立ちの歌」
(前回から続く)
「汚れっちまった悲しみに……」
「雪の宵」
「生い立ちの歌」
――の「雪3部作」が「白痴群」第6号に発表されたのは昭和5年4月。
制作はその2か月前ということですから
昭和5年(1930年)1月~2月と推定されています。
(「新編中原中也全集」第1巻 解題篇。)
◇
生い立ちの歌
Ⅰ
幼 年 時
私の上に降る雪は
真綿(まわた)のようでありました
少 年 時
私の上に降る雪は
霙(みぞれ)のようでありました
十七〜十九
私の上に降る雪は
霰(あられ)のように散りました
二十〜二十二
私の上に降る雪は
雹(ひょう)であるかと思われた
二十三
私の上に降る雪は
ひどい吹雪(ふぶき)とみえました
二十四
私の上に降る雪は
いとしめやかになりました……
Ⅱ
私の上に降る雪は
花びらのように降ってきます
薪(たきぎ)の燃える音もして
凍(こお)るみ空の黝(くろ)む頃
私の上に降る雪は
いとなよびかになつかしく
手を差伸(さしの)べて降りました
私の上に降る雪は
熱い額(ひたい)に落ちもくる
涙のようでありました
私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して、神様に
長生(ながいき)したいと祈りました
私の上に降る雪は
いと貞潔(ていけつ)でありました
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
北原白秋の第2詩集「思い出」が東京東雲堂から発行されたのは明治44年(1911年)ですが
昭和4年(1929年)にアルス社の「白秋全集」の刊行がはじまっていますから
中也は「思い出」をこの全集で読んだのでしょうか。
それともほかに読む手立てがあったのでしょうか。
◇
中也は昭和2年8月に白秋の「洗心歌話」、
9月に白秋訳の「まざあ・ぐうす」を読んだことを
日記の読書メモに記録していますし
これらはその一部であろうことが想像できますから
白秋の詩歌もずっと身近にあったはずのものでした。
白秋の詩集「思い出」の冒頭部にある「わが生ひたち」が
「生い立ちの歌」を作るきっかけになったとしても
ひとつも不自然ではありません。
中也の「雪の宵」が
白秋詩をエピグラフにして
「本歌取り」として作られたのは
初めてで最後のケースですが
白秋の「影」は中也の詩に度々見られるものです。
◇
今回はここまで。
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