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2014年6月

2014年6月30日 (月)

「朝の歌」の「土手づたい」/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

「森竝は風に鳴るかな」と我々の想像は外へ出る。「ひろごりて平らかの空」と下を、「土手づたいきえてゆく」という比喩は再びわかりにくいが、恐らくここで我々を焦立ちから救うものは、「土手づたい」という俗にして稚拙な成句である。

大岡昇平は
1956年に雑誌「世界」に発表した「朝の歌」(現在「中原中也」所収)で
このように記しています。

「朝の歌」について
それが作られた背景から
詩自体の技術的完成の詳細を記述する中の一部に過ぎませんが
ここで注目しておきたいのは
「俗にして稚拙な成句」と大岡が指摘した「土手づたい」です。

「土手づたい」という言葉を
「俗にして稚拙な成句」と感知した大岡の言語意識です。

大岡はここで
「土手づたい」が
詩が「分かりにくい」流れに陥りそうになったところに現われたために
(かえって)救われるという肯定的評価を述べているのですが
その評価の理由になった「俗にして稚拙な成句」という受け止め方には
関口隆克が「羊の歌」の「もろに」にから「俗」を感じるのと
同じものがあります。

今回はここまで。
「朝の歌」を掲出しておきます。

朝の歌
 
天井に 朱(あか)きいろいで
  戸の隙(すき)を 洩(も)れ入(い)る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽(ぐんがく)の憶(おも)い
  手にてなす なにごともなし。

小鳥らの うたはきこえず
  空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
  諫(いさ)めする なにものもなし。

樹脂の香(か)に 朝は悩まし
  うしないし さまざまのゆめ、
森竝(もりなみ)は 風に鳴るかな

ひろごりて たいらかの空、
  土手づたい きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

今回はここまで。

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2014年6月29日 (日)

詩が必要とする言葉/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

「羊の歌」の第4節の冒頭に
さるにても、もろに佗(わび)しいわが心
――という詩行はあります。

この行の「もろに」という語が「俗」であるという感想を
当時、詩人の周辺にいた「文学青年」が主張した光景が
目に見えるようです。

酒が入り
天下国家を論じる談論風発(だんろんふうはつ)の中での作品評というのは
結構危ないものがあって
血しぶきのあがるようなこともあったかもしれないのに
そのような場面にならなかったのは関口との関係が良好であったからなのでしょう。

第4節をここに引いてみましょう。

さるにても、もろに佗(わび)しいわが心
夜(よ)な夜なは、下宿の室(へや)に独りいて
思いなき、思いを思う 単調の
つまし心の連弾(れんだん)よ……

汽車の笛(ふえ)聞こえもくれば
旅おもい、幼(おさな)き日をばおもうなり
いなよいなよ、幼き日をも旅をも思わず
旅とみえ、幼き日とみゆものをのみ……

思いなき、おもいを思うわが胸は
閉(と)ざされて、醺生(かびは)ゆる手匣(てばこ)にこそはさも似たれ
しらけたる脣(くち)、乾きし頬(ほう)
酷薄(こくはく)の、これな寂莫(しじま)にほとぶなり……

これやこの、慣れしばかりに耐えもする
さびしさこそはせつなけれ、みずからは
それともしらず、ことように、たまさかに
ながる涙は、人恋(ひとこ)うる涙のそれにもはやあらず……

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

今読んでみると
「もろに」が特別に「浮いている」という印象はありませんよね。

この節が文語で歌われているのだから
「俗」は間違いだとでも言いたいという気持ちは
分からないでもありません。

「もろに」という言葉が
現在でも若干「雅」を欠き
「俗」であると感じる人はあるのかもしれません。

でも中也は
詩が必要としているのであれば
俗であってもよいと思っていたのですし
浮いているという感覚はなかったはずですね。

「雅」を目指していたのでもないし
維持しようとしていたのでもない。

もとより、言語感覚というのは個人差があるうえに
時代意識や流行の中で生き物として使われていますから
当時一般の人がどのように受け取ったかは
その時代にいない者にはわかりませんが
関口や安原のように
「もろに」が俗っぽく感じられたと言うのであれば
そのように受け取ればよいものでしょう。

受け取る側のことですから
中也は「ふーん」という感じで聞いていたのでしょう、きっと。

関口はそのことを中也が死んで何年も経ってから理解したのでしょうか。
すぐに理解したのでしょうか。

これと同じようなことが
大岡昇平の発言の中にも見られます。

今回はここまで。

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2014年6月28日 (土)

もろに佗(わび)しいわが心/面白い!中也の日本語

はじめに。

2度目に読んだ「山羊の歌」でしたが
一つひとつの詩は初めて読むように面白く
けれども1度目よりも「中へ」入った感覚があり
それは充実した時間でした。

「中へ」入ると
外側からは見えないものが見えてきて
読んだそばから読み返そうとしていて
実際また読み返してみると
それはますます強大な問いになって見えてくるのでした。

「中へ」入ったことが
「進んだ」ことなのではなく
裏返せばまだ読めていないということなのかも知れず
それでまた詩に向かう顔は
苦虫(にがむし)になっている。

こうしていつしか、

一、知れよ、面白いから笑うのであって、笑うから面白いのではない。面白いところでは、人はむし
ろニガムシをつぶしたような表情をする。やがてにっこりするのだが、ニガムシをつぶしているとこ
ろが芸術世界で、笑うところはもう生活世界だといえる。

――という「芸術論覚書」が主張する領域に入っているということなのでしょうか。

何が面白いのだろう。

悲しい詩を読んでも
面白いといえるだろうか――。

いろいろな問いが
すでに駆け巡りますが
いまは苦虫を噛んでいないで
えいっと始めましょう。

中也の詩の面白いところを
さらってみましょう。

題して
「面白い!中也の日本語」です。

そのとっかかりにするのは
これまでの流れで
関口隆克が「羊の歌」を鑑賞したときに語った話です。

この最後のところ「もろに佗(わび)しいわが心」っていう、ここが、みんなイヤでね。相撲なんかでモロにさす、っていって、まったく市井の言葉であって、詩に入る言葉じゃない、ここをよせって言ったんだけれども、中原はどうしてもよさない。直さない。安原君も、恐縮していた。「もろに侘しい」っての、どっか落ち着きが悪いって。

――というくだりです。

今回はここまで。

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2014年6月25日 (水)

関口隆克のムシュー・スガンのシェブル/「いのちの声」その15

(前回から続く)

「春の日の夕暮」を読んだのは
いつのことだったでしょう。

「山羊の歌」の最終詩「いのちの声」を読み
「山羊の歌」という詩集名について若干まとめてみながら
それが遠い日であったような感覚が残ります。

前に読んだ詩を振り返ることより
一つ一つの詩を次々に読み進めてきたために
詩集のページをめくるにしたがって
遠ざかっていったということなのでしょうか

詩の一つ一つが作られた日時をもち
前進していった日時をたどって読んできたから
それだけ時間が遠のいていったということなのでしょうか

「いのちの声」の詩行にも
しかし「春の日の夕暮」の時間が流れ込んでいるなと感じられる瞬間はあります。

たとえば
ゆうがた、空の下で、
――と「いのちの声」が歌う「景色」は
無言ながら 前進します
――と歌われる「春の日の夕暮」とつながっています。

同じものであるとは言いませんが。

「いのちの声」を読み終えることは
詩集「山羊の歌」を読み終えることなので
「山羊の歌」のタイトルの由来について少しまとめてみましたが
そのどの一つでもなく
これだと思ったそばからいやあれだと思える仕掛けなのかもしれません。

「山羊の歌」だから
「山羊の歌」なのだよ
――と詩人は言っているようでもあります。

「宗教の山羊」については
宗教を理解していない者が深く立ち入ることはできませんが
最後に少しふれておきましょう。

先にアルフォンス・ドーデーの「スガンさんのやぎ」について記しましたが
あれは「関口隆克が語り歌う中原中也」というCDの中で語られていることを元にしています。

関口は中也の詩は「山羊の歌」のほうを高く評価していますが
「羊の歌」を解説しているくだりで
「山羊の歌」というタイトルについて自説を披瀝(ひれき)しています。

(略)

本当は「羊の歌」になるんじゃなかったのか、なぜ「山羊の歌」になったのか。

羊は飼われている。山羊も飼われているけど、山羊は岩山に立っている。山羊は、どこへ行っても、アルプスの山のてっぺんに飼われている。角を持ってですね。そして、狼にも向かっていきますね。ただ食われているだけじゃない。

アルフォンス・ドーデーの「風車小屋だより」の中に「ムシュー・スガンの山羊」という美しい短編があります。羊飼いの男が、山に迷ってしまって、牧場主のお嬢さんを守って一晩語る、星を見ながら一晩語る。

ムシュー・スガンの山羊が、ほかの者が、群が、狼に襲われた時に、戦って、みんなを守り通して、星月夜ですね 星がまたたいている間戦う、星が消えると同時に戦い破れて死んでしまった。南フランスの田舎に伝わっている物語ですが、それをアルフォンス・ドーデーが「風車小屋」の中で書いているんです。

あれは、われわれ、みんな読んだものなんです。わたしはね、中原がね、本当に山羊を知っていたか、どうかは、疑問だと思うんですがね。だけど「ムシュー・スガンのシェブル」というのは読んだと思いますよ。私はね、日本での山羊は戦う羊ですよね、羊だけど、ただ食われてしまったり、ただ言うなりになってしまう羊じゃない。従順であるからといって、弱虫じゃない。意気地なしじゃない。

(略)

「羊の歌」の第1章「祈り」を朗読する。

祈 り

死の時には私が仰向(あおむ)かんことを!
この小さな顎(あご)が、小さい上にも小さくならんことを!
それよ、私は私が感じ得なかったことのために、
罰されて、死は来たるものと思うゆえ。

ああ、その時私の仰向かんことを!
せめてその時、私も、すべてを感ずる者であらんことを!

社交とかしきりに言っていて、ボードレールの引用をしたりしている。
最後のところですね。

さるにても、もろに佗(わび)しいわが心
夜(よ)な夜なは、下宿の室(へや)に独りいて
思いなき、思いを思う 単調の
つまし心の連弾(れんだん)よ……

汽車の笛(ふえ)聞こえもくれば
旅おもい、幼(おさな)き日をばおもうなり
いなよいなよ、幼き日をも旅をも思わず
旅とみえ、幼き日とみゆものをのみ……

思いなき、おもいを思うわが胸は
閉(と)ざされて、醺生(かびは)ゆる手匣(てばこ)にこそはさも似たれ
しらけたる脣(くち)、乾きし頬(ほう)
酷薄(こくはく)の、これな寂莫(しじま)にほとぶなり……

この最後のところ「もろに佗(わび)しいわが心」っていう、ここが、みんなイヤでね。相撲なんかでモロにさす、っていって、まったく市井の言葉であって、詩に入る言葉じゃない、ここをよせって言ったんだけれども、中原はどうしてもよさない。直さない。安原君も、恐縮していた。「もろに侘しい」っての、どっか落ち着きが悪いって。

だけどその、雅に対する俗っていうか、反っていうか、アンラッキーというか、乱というか、何かいるんです。つまり、「山羊の歌」っていうのは、私はそこだと思うんです。ただの従順じゃない。本質的従順じゃない。本質的従順であるけれども、ただ従順なのではない。

人が真に従順であるべきは、神に対してでしかない。人間に対して従順である必要はない、っていう、真理と神に対してこそ従順であるべきだ、それが中原の考えなんです。

神が人間のかたちをしつつ現われた、くだらない人間でも神になることがあるんです。そのときはその人に従順であるべきでね。しかし彼が常に神であるってことはあり得ないのですね。だからある人にいつも従順であるってことはあり得ない。本質的従順ってのはそういうものじゃない、っていうのが中原の考えだと私は思います。

(略)

(※以上は、CDから起こしたもので、正確でない部分を含むことをお断りします。編者。)

「いのちの声」には
ついに「神」は現われませんが
近くに「山羊」が存在したことも確実なことでしょう。

今回で「山羊の歌」の鑑賞をひとまず終わりといたします。

いのちの声
 
          もろもろの業、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
                            ――ソロモン
 
僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果(あきは)てた。
あの幸福な、お調子者のジャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上りの曇った空の下の鉄橋のように生きている。
僕に押寄せているものは、何時(いつ)でもそれは寂漠(じゃくばく)だ。

僕はその寂漠の中にすっかり沈静(ちんせい)しているわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めている。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れている。
そのためにははや、食慾(しょくよく)も性慾もあってなきが如(ごと)くでさえある。

しかし、それが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それが二つあるとは思えない、ただ一つであるとは思う。
しかしそれが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それに行き著(つ)く一か八(ばち)かの方途(ほうと)さえ、悉皆(すっかり)分ったためしはない。

時に自分を揶揄(からか)うように、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいうのであろうか?

   Ⅱ

否何(いないず)れとさえそれはいうことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいうものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我(わ)が生は生(い)くるに値(あたい)するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらわるものはあらわるままによいということ!

人は皆、知ると知らぬに拘(かかわ)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程(ほど)は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併(しか)し幸福というものが、このように無私(むし)の境のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称(しょう)して阿呆(あほう)というものであろう底(てい)のものとすれば、
めしをくわねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといわねばならぬ

だが、それが此(こ)の世というものなんで、
其処(そこ)に我等(われら)は生きており、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よっ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端(きょくたん)はないとて、一先(ひとま)ず休心するもよかろう。

   Ⅲ

されば要は、熱情の問題である。
汝(なんじ)、心の底より立腹(りっぷく)せば
怒れよ!

さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

   Ⅳ

ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事(ばんじ)に於(おい)て文句はないのだ。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

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2014年6月23日 (月)

スケープゴート/「いのちの声」その14

(前回から続く)

「少年時」も
「修羅街輓歌」も
「空の歌」も
……

どこかスケール感がないな。
限定的だな。

詩人はそう感じたのでしょう。

「山羊の歌」というタイトルがひらめいたのは
「羊の歌」を作って以後のことか。

「羊の歌」を書き
「羊の歌」の章を設けることを決めたときか。

「羊の歌」と離れては
着想されなかったに違いありません。

そこへ「サチール」が現われました。
「これだ!」と思えた瞬間が詩人をきっと襲ったことでしょう。

「サチール」の仲間には「フォーヌ」もいます。
「ランボオ詩集」の冒頭近くに
「フォーヌの顔」はありますし。

中也が第2次ペリション版「ランボー著作集」を
正岡忠三郎から譲り受けたのは
大正15年(1926年)1月のことでした。

以来長い間に
「贖罪(しょくざい)の山羊」や「生け贄(いえにえ)の羊」の話を
詩人が耳にしたことも間違いないことでしょう。

中也はキリスト教に親密な家族の中で育ちましたし
自身早い時期に「神曲」(ダンテ)に親しみましたし
……。

「山羊の歌」編集時期の蔵書中に
「引照旧新約全書」があったこともわかっています。

「いのちの声」タイトルに添えられたエピグラフに
もろもろの業、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
                            ――ソロモン
――とあるのは
「旧約聖書」の「伝道之書」からの引用であることが推定されています。
(「新全集」第1巻・解題篇。)

「贖罪の山羊」や「スケープ・ゴート」などが
「山羊の歌」のネーミングを促したことも
容易に想像できることです。

未年(ひつじどし)の生まれである
自身の小さな顎と山羊・羊への親近感
フランス象徴詩人・マラルメへの親近感
幼少時に実家で飼っていた山羊の思い出

ドーデーの「スガンさんのやぎ」の本性・本能(従順と反抗と)
ランボー詩に現われる「サチルス」が悲劇の生成に果たした役割=song of goat(山羊の歌)

肉感の山羊、実生活の山羊、身近な山羊。
象徴や喩(メタファー)の山羊。
形而上学、神学、宗教に現われる山羊。
……

「山羊の歌」命名の背景には
さまざまなイメージが飛び交った跡(あと)があります。

「山羊の歌」は
それ自体が多義的です。

今回はここまで。

いのちの声
 
          もろもろの業、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
                            ――ソロモン
 
僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果(あきは)てた。
あの幸福な、お調子者のジャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上りの曇った空の下の鉄橋のように生きている。
僕に押寄せているものは、何時(いつ)でもそれは寂漠(じゃくばく)だ。

僕はその寂漠の中にすっかり沈静(ちんせい)しているわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めている。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れている。
そのためにははや、食慾(しょくよく)も性慾もあってなきが如(ごと)くでさえある。

しかし、それが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それが二つあるとは思えない、ただ一つであるとは思う。
しかしそれが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それに行き著(つ)く一か八(ばち)かの方途(ほうと)さえ、悉皆(すっかり)分ったためしはない。

時に自分を揶揄(からか)うように、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいうのであろうか?

   Ⅱ

否何(いないず)れとさえそれはいうことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいうものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我(わ)が生は生(い)くるに値(あたい)するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらわるものはあらわるままによいということ!

人は皆、知ると知らぬに拘(かかわ)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程(ほど)は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併(しか)し幸福というものが、このように無私(むし)の境のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称(しょう)して阿呆(あほう)というものであろう底(てい)のものとすれば、
めしをくわねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといわねばならぬ

だが、それが此(こ)の世というものなんで、
其処(そこ)に我等(われら)は生きており、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よっ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端(きょくたん)はないとて、一先(ひとま)ず休心するもよかろう。

   Ⅲ

されば要は、熱情の問題である。
汝(なんじ)、心の底より立腹(りっぷく)せば
怒れよ!

さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

   Ⅳ

ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事(ばんじ)に於(おい)て文句はないのだ。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

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2014年6月22日 (日)

悲劇(トラゴイディア)の山羊/「いのちの声」その13

(前回から続く)

昭和2年、詩人は第1詩集を構想しましたが
同年3月9日の日記のページに
題無き歌
無軌
乱航星
生命の歌

空の歌
瑠璃玉
青玉
瑠璃夜
――などと記し
日記の裏表紙の見返しにも
無題詩集
空の餓鬼
孤独の底
――などのメモを残しているそうです。

中に「空の歌」はあります。

「空の歌」は「いのちの声」第1連で

それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいうのであろうか?
――と歌われますし

「憔悴」でも
ああ 空の歌、海の歌、
僕は美の、核心を知っているとおもうのですが
それにしても辛いことです、怠惰を逭(のが)れるすべがない!
――と歌われていますが
最後になってタイトルの候補から消えました。

「少年時」や「修羅街輓歌」も消え
「山羊の歌」が現われたのは
「羊の歌」そして「憔悴」そして「いのちの声」を歌う過程でのことか
「いのちの声」を歌い終えてからのことになるでしょうか。

いのちの声
 
          もろもろの業、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
                            ――ソロモン
 
僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果(あきは)てた。
あの幸福な、お調子者のジャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上りの曇った空の下の鉄橋のように生きている。
僕に押寄せているものは、何時(いつ)でもそれは寂漠(じゃくばく)だ。

僕はその寂漠の中にすっかり沈静(ちんせい)しているわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めている。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れている。
そのためにははや、食慾(しょくよく)も性慾もあってなきが如(ごと)くでさえある。

しかし、それが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それが二つあるとは思えない、ただ一つであるとは思う。
しかしそれが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それに行き著(つ)く一か八(ばち)かの方途(ほうと)さえ、悉皆(すっかり)分ったためしはない。

時に自分を揶揄(からか)うように、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいうのであろうか?

   Ⅱ

否何(いないず)れとさえそれはいうことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいうものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我(わ)が生は生(い)くるに値(あたい)するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらわるものはあらわるままによいということ!

人は皆、知ると知らぬに拘(かかわ)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程(ほど)は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併(しか)し幸福というものが、このように無私(むし)の境のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称(しょう)して阿呆(あほう)というものであろう底(てい)のもの
とすれば、
めしをくわねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといわねばならぬ

だが、それが此(こ)の世というものなんで、
其処(そこ)に我等(われら)は生きており、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よっ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端(きょくたん)はないとて、一先(ひとま)ず休心するもよかろう。

   Ⅲ

されば要は、熱情の問題である。
汝(なんじ)、心の底より立腹(りっぷく)せば
怒れよ!

さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

   Ⅳ

ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事(ばんじ)に於(おい)て文句はないのだ。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

あわれげにメーと鳴く現実のやぎのイメージ(肉感)があるいっぽう
「形而上(けいじじょう)の山羊」のイメージを詩人は探していました。
「空の歌」のような。

そこへアルチュール・ランボーの詩「太陽と肉体」が
現われたのは偶然だったのでしょうか?

中に「des satyres」=半神半山羊神(サチール)はあり
「サチール」の意味を知る過程で
サチールと悲劇との密接な関係を知ったのでしょうか?

そもそも詩人が初めて「太陽と肉体」の原詩に目を通したのはいつのことだったのでしょうか?

英語でtragedy(トラジディー)として馴染みの「悲劇」は
ギリシア語(トラゴイディア)を語源とし
トラゴイディアは「song of goat山羊の歌」を意味する。

中也は「song of goat=悲劇」を「山羊の歌」に込めたのではないか
――という真にスリリングな「読み」が
「新編中原中也全集」の解題篇に記録されています。

「関連として」という控えめな記録なのは
「定説」に至っていないからでしょうか。

しかし、なんだ、そういうことだったのか、という感想を抱くのが
自然です。

「山羊の歌=悲劇」とは
スリリングな解読ではありますが
あまりにもストンと腑に落ちる感じであっけないものが残るのも確かです。

詩人自身が「山羊の歌」をタイトルとした理由を記録していないので
仕方がないことなのでしょう。

悲劇といえば
ニーチェの「悲劇の誕生」。

中に「サチルス」の役割が解明されていることは
比較的よく知られたことです。
中也が「悲劇の誕生」にたどりついたことは容易に想像できます。

「悲劇の誕生」にたどりつかなくても
「サチール」の正体を追求する中で
山羊がアッチカ悲劇に現われるコーラス隊の衣装とされていたことを知るのは
容易なはずでした。

阿部六郎もいたし
なんらかの方法で知ったことが考えられます。

「サチール」は
中也が使用していたフランス語辞書にも載っていたのですし。

今回はここまで。

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2014年6月21日 (土)

山羊の肉感/「いのちの声」その12

(前回から続く)

「羊の歌」を作ったときに
詩集タイトル「山羊の歌」が着想されていたということは断言できませんが
そのアイデアが胚胎(はいたい)していた可能性を否定できません。

言葉に結晶する以前のかすかな兆。
このとき予め「山羊」は孕(はら)まれていた――。

自覚されていなかったかもしれないが
やがて形(言葉)となる。

「山羊の歌」を読んできて

「春の日の夕暮」から「サーカス」を経て「朝の歌」へ
「黄昏」「秋の夜空」から「宿酔」に至る「初期詩篇」は
前進する一方。

「少年時」「みちこ」「秋」に入って
遡行(そこう)し
そして現在へ。

「羊の歌」へ辿りついては
立ち止まり振り返り
先を見ようとし。

詩人が
詩集を世に問おうとするのですから
これら一つひとつの作品をながめて
一つひとつの作品があっちこっちを向いているのを知ったとしても
これに「一つ」の名前を与えようとしたことが思いやられます。

ひたすら詩を読む。

詩の「外部」に引っ張り込まれないように
詩を一字一句読んできて
「羊」には静止させるものがあるのを感じないわけにはいきません。
「山羊」にも。

大岡昇平は
「山羊の歌」のタイトルが生まれた背景に照明をあてます。
詩の外部から内部から。

「羊の歌」の「小さな顎」が
詩人自身の細くとんがった顔の描写であることなど
いまや「定説」になりました。

いっぽう、「山羊」を
詩人の「実生活」の中からとらえた証言があります。

「山羊」 中也の父謙助は、湯田医院長のとき山羊を飼った。牡牝二頭。飼った当初は、小枝のような角が突き出ていたが、日が経つにつれて角は太くなり後ろに曲ってきた。やがて牝が妊娠し二頭の仔山羊を産んだ。

中也たちは分娩の現場を目撃し、溢れる羊水と、ブラリと垂れ下がった胎盤に衝撃を受けた。産後が悪く牝は死に、間もなく牡も何処かに消えた。
(略)

山羊健在の頃、中也たちは、近くの野原に山羊を連れていき、近所の子供たちに誇示するかのように山羊に巻きついて戯れた。山羊は首をのばしてメーメーと鳴いた。
(略)

中也の3番目の弟・中原思郎(4男)は「事典・中也詩と故郷」(中原中也必携、学燈社)で
このように記しました。
(※改行を加えました。編者。)

「山羊の歌」のタイトルを決めたときに
この幼時体験が詩人の想念をめぐっていたかどうか。
めぐっていなかったと考える理由は探せません。

詩人にとって「山羊」は
肉感のある存在でした。

今回はここまで。

いのちの声
 
          もろもろの業、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
                            ――ソロモン
 
僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果(あきは)てた。
あの幸福な、お調子者のジャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上りの曇った空の下の鉄橋のように生きている。
僕に押寄せているものは、何時(いつ)でもそれは寂漠(じゃくばく)だ。

僕はその寂漠の中にすっかり沈静(ちんせい)しているわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めている。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れている。
そのためにははや、食慾(しょくよく)も性慾もあってなきが如(ごと)くでさえある。

しかし、それが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それが二つあるとは思えない、ただ一つであるとは思う。
しかしそれが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それに行き著(つ)く一か八(ばち)かの方途(ほうと)さえ、悉皆(すっかり)分ったためしはない。

時に自分を揶揄(からか)うように、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいうのであろうか?

   Ⅱ

否何(いないず)れとさえそれはいうことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいうものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我(わ)が生は生(い)くるに値(あたい)するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらわるものはあらわるままによいということ!

人は皆、知ると知らぬに拘(かかわ)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程(ほど)は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併(しか)し幸福というものが、このように無私(むし)の境のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称(しょう)して阿呆(あほう)というものであろう底(てい)のものとすれば、
めしをくわねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといわねばならぬ

だが、それが此(こ)の世というものなんで、
其処(そこ)に我等(われら)は生きており、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よっ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端(きょくたん)はないとて、一先(ひとま)ず休心するもよかろう。

   Ⅲ

されば要は、熱情の問題である。
汝(なんじ)、心の底より立腹(りっぷく)せば
怒れよ!

さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

   Ⅳ

ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事(ばんじ)に於(おい)て文句はないのだ。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

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2014年6月20日 (金)

マラルメの顔/「いのちの声」その11

(前回から続く)

「山羊の歌」のネーミングについては
大岡昇平の研究が詳細です。

「白痴群」の廃刊後に中也と親しかった
宮崎の詩人・高森文夫からいろいろと聞き出す中で
中也が「修羅街輓歌」か「山羊の歌」かのどちらがいいかと
高森は詩集名を相談されたという実話を紹介しています。

「修羅街輓歌」が歌う反世間的、反都会的な気分が
「少年時」以後に強く表われ
詩集タイトルの候補になっていたことを大岡は指摘、
「少年時」も詩集題に考えられていたことにふれています。

「山羊の歌」については――

中也が未年の生まれであり
自分をおとなしい人間だと思いたがった、
「羊の歌」の章が作られたのはそのため。

山羊と羊の差異は角があるということである。
攻撃されれば抵抗するぞ、との意気だろう
(それは)彼の人格の特徴である攻撃性(を示している)、

昭和55年の高森文夫の証言によれば、
自分は顎が細く、耳が立っているから山羊だ、
マラルメの肖像を見て、親近感を表明した、と(中也が)いっていた。

この証言は「羊の歌」の中の「この小さな顎が、小さい上にも小さくならんことを」の詩句と照応している。

――などと考察しています。
(以上「新全集」第1巻・解題篇より。)

「山羊の歌」というタイトルが
「羊の歌」とともに着想されたということは当たり前のようですが
押さえておかなければいけない重要な点です。

今回はここまで。

いのちの声
 
          もろもろの業、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
                            ――ソロモン
 
僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果(あきは)てた。
あの幸福な、お調子者のジャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上りの曇った空の下の鉄橋のように生きている。
僕に押寄せているものは、何時(いつ)でもそれは寂漠(じゃくばく)だ。

僕はその寂漠の中にすっかり沈静(ちんせい)しているわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めている。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れている。
そのためにははや、食慾(しょくよく)も性慾もあってなきが如(ごと)くでさえある。

しかし、それが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それが二つあるとは思えない、ただ一つであるとは思う。
しかしそれが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それに行き著(つ)く一か八(ばち)かの方途(ほうと)さえ、悉皆(すっかり)分ったためしはない。

時に自分を揶揄(からか)うように、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいうのであろうか?

   Ⅱ

否何(いないず)れとさえそれはいうことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいうものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我(わ)が生は生(い)くるに値(あたい)するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらわるものはあらわるままによいということ!

人は皆、知ると知らぬに拘(かかわ)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程(ほど)は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併(しか)し幸福というものが、このように無私(むし)の境のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称(しょう)して阿呆(あほう)というものであろう底(てい)のもの
とすれば、
めしをくわねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといわねばならぬ

だが、それが此(こ)の世というものなんで、
其処(そこ)に我等(われら)は生きており、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よっ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端(きょくたん)はないとて、一先(ひとま)ず休心するもよかろう。

   Ⅲ

されば要は、熱情の問題である。
汝(なんじ)、心の底より立腹(りっぷく)せば
怒れよ!

さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

   Ⅳ

ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事(ばんじ)に於(おい)て文句はないのだ。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

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2014年6月19日 (木)

羊と野羊と山羊と/「いのちの声」その10

(前回から続く)

「いのちの声」に
山羊は登場しません。

それどころか
詩集「山羊の歌」のどこにも
山羊は登場しませんし
「在りし日の歌」にも登場しません。

生前発表詩篇にも
未発表詩篇にも
「山羊」は登場しないのです。

「羊の歌」の羊だけが
「山羊」の近くにいます。

「いのちの声」の詩行の一字一句も
アルフォンス・ドーデーの「スガンさんのやぎ」の記述と重なるところはありません。

いのちの声
 
          もろもろの業、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
                            ――ソロモン
 
僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果(あきは)てた。
あの幸福な、お調子者のジャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上りの曇った空の下の鉄橋のように生きている。
僕に押寄せているものは、何時(いつ)でもそれは寂漠(じゃくばく)だ。

僕はその寂漠の中にすっかり沈静(ちんせい)しているわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めている。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れている。
そのためにははや、食慾(しょくよく)も性慾もあってなきが如(ごと)くでさえある。

しかし、それが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それが二つあるとは思えない、ただ一つであるとは思う。
しかしそれが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それに行き著(つ)く一か八(ばち)かの方途(ほうと)さえ、悉皆(すっかり)分ったためしはない。

時に自分を揶揄(からか)うように、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいうのであろうか?

   Ⅱ

否何(いないず)れとさえそれはいうことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいうものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我(わ)が生は生(い)くるに値(あたい)するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらわるものはあらわるままによいということ!

人は皆、知ると知らぬに拘(かかわ)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程(ほど)は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併(しか)し幸福というものが、このように無私(むし)の境のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称(しょう)して阿呆(あほう)というものであろう底(てい)のものとすれば、
めしをくわねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといわねばならぬ

だが、それが此(こ)の世というものなんで、
其処(そこ)に我等(われら)は生きており、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よっ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端(きょくたん)はないとて、一先(ひとま)ず休心するもよかろう。

   Ⅲ

されば要は、熱情の問題である。
汝(なんじ)、心の底より立腹(りっぷく)せば
怒れよ!

さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

   Ⅳ

ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事(ばんじ)に於(おい)て文句はないのだ。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

中也は山羊を「野羊」と言い表すことが自然だったようです。
「野羊」は「のひつじ」ではなく「やぎ」でありそうです。

その例が
未発表詩篇(吹く風を心の友と)には、

私がげんげ田を歩いていた15の春は
煙のように、野羊のように、パルプのように、

「初恋集」の「むつよ」には、

それから暫(しばら)くしてからのこと、
野原に僕の家(うち)の野羊が放してあったのを
あなたは、それが家(うち)のだとしらずに、
それと、暫く遊んでいました
――とあります。

散文では
未発表小説「校長」に「山羊」、
生前発表評論「山羊の言」はタイトルに。

翻訳では
「ランボオ詩集」中の「太陽と肉体」に
「半人半山羊神(サチール)」と「山羊足」、
「ポーヴル・レリアン」に「小老牝山羊」
――などと使われています。

(以上「新全集・第1巻・解題篇」より。)

「在りし日の歌」の冒頭詩「含羞」には
「あすとらはん」が傍点つきで現われるのも
記憶する価値がありそうです。

今回はここまで。

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2014年6月14日 (土)

スガンさんの「山羊」/「いのちの声」その9

(前回から続く)

 白いやぎが山に着くと、山じゅうがうっとりとした。年を経たもみも、今までこれほどきれいなのには会ったことがなかった。やぎは小さな女王のように迎えられた。くりの木は枝先で彼女をなでようとして、地に着くまで身を屈めた。黄金色のえにしだは、その通路に花を開いて、香りの限り快くにおった。山にありとあるものが、彼女を歓待した。
 
(「風車小屋だより」ドーデー作、桜田佐訳。岩波文庫昭和37年3月30日第35刷発行。※ルビ・傍点はすべて省略してあります。編者。)

アルフォンス・ドーデーの短編小説「スガンさんのやぎ」は
山にやってきた小娘の山羊ブランケットの様子をこのように描写しています。

少しおいて
さらに描写は続きます。

 半ば酔い心地の白いやぎは、その中を仰向けに転げまわり、落葉やくりと乱れ合いながら、坂道を転げ落ちたりした…… やがて、いきなり彼女は一跳ねして立ち上がった。そら行け! さあやぎは駆けだした。頭を前に突き出して、やぶを抜け、つげ林を過ぎ、ある時は険しい峰の上に、ある時はくぼ地の底に、あるいは高く、あるいは低く、ここといわず、かしこといわず…… まるで山の中に、スガンさんのやぎが十匹もいるかのように。
 ブランケットはもう何も恐くなかったのである。

小娘やぎは
夜になって狼と戦い
鶏が一声あげるころに息絶え
白い毛皮を紅に染めて地に横たえたところで
食べられてしまいます。

「スガンさんのやぎ」は
後輩のグランゴアールが
新聞記者の職を放棄して詩人になろうとするのを知って
「はなむけ」に書いた手紙という形の短編です。

作者アルフォンス・ドーデーが
せっかく斡旋(あっせん)した記者の仕事を蹴っぽって
グランゴアールは抒情詩を書く貧乏暮らしを選び取ったという設定です。

中原中也が「いのちの声」を作り
「山羊の歌」を編む中で
「スガンさんのやぎ」を参照していたか
そもそも読んでいたのか
はっきりしたことは分かっていません。

「山羊の歌」という詩集のタイトルがつけられた理由は
さまざまな説があります。

いのちの声
 
          もろもろの業、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
                            ――ソロモン
 
僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果(あきは)てた。
あの幸福な、お調子者のジャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上りの曇った空の下の鉄橋のように生きている。
僕に押寄せているものは、何時(いつ)でもそれは寂漠(じゃくばく)だ。

僕はその寂漠の中にすっかり沈静(ちんせい)しているわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めている。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れている。
そのためにははや、食慾(しょくよく)も性慾もあってなきが如(ごと)くでさえある。

しかし、それが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それが二つあるとは思えない、ただ一つであるとは思う。
しかしそれが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それに行き著(つ)く一か八(ばち)かの方途(ほうと)さえ、悉皆(すっかり)分ったためしはない。

時に自分を揶揄(からか)うように、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいうのであろうか?

   Ⅱ

否何(いないず)れとさえそれはいうことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいうものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我(わ)が生は生(い)くるに値(あたい)するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらわるものはあらわるままによいということ!

人は皆、知ると知らぬに拘(かかわ)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程(ほど)は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併(しか)し幸福というものが、このように無私(むし)の境のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称(しょう)して阿呆(あほう)というものであろう底(てい)のものとすれば、
めしをくわねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといわねばならぬ

だが、それが此(こ)の世というものなんで、
其処(そこ)に我等(われら)は生きており、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よっ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端(きょくたん)はないとて、一先(ひとま)ず休心するもよかろう。

   Ⅲ

されば要は、熱情の問題である。
汝(なんじ)、心の底より立腹(りっぷく)せば
怒れよ!

さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

   Ⅳ

ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事(ばんじ)に於(おい)て文句はないのだ。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

今回はここまで。

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2014年6月12日 (木)

内部ダイアローグ/「いのちの声」その8

(前回から続く)

それ
熱情
立腹
怒れよ
最後の目標
次なる行為
……

これらの詩語が行きつ戻りつして
「羊」と「山羊」のダイアローグ(対話)を繰り広げるようです。

ダイヤローグの終わりは
夕方、空の下で、身一点に感じることができれば万事に文句はない。
――というマニフェスト。

OKOK
ウイウイ

これは祈りでしょうか
ただ一つのものへ少しでも近づいたのでしょうか――。

いのちの声
 
          もろもろの業、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
                            ――ソロモン
 
僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果(あきは)てた。
あの幸福な、お調子者のジャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上りの曇った空の下の鉄橋のように生きている。
僕に押寄せているものは、何時(いつ)でもそれは寂漠(じゃくばく)だ。

僕はその寂漠の中にすっかり沈静(ちんせい)しているわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めている。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れている。
そのためにははや、食慾(しょくよく)も性慾もあってなきが如(ごと)くでさえある。

しかし、それが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それが二つあるとは思えない、ただ一つであるとは思う。
しかしそれが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それに行き著(つ)く一か八(ばち)かの方途(ほうと)さえ、悉皆(すっかり)分ったためしはない。

時に自分を揶揄(からか)うように、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいうのであろうか?

   Ⅱ

否何(いないず)れとさえそれはいうことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいうものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我(わ)が生は生(い)くるに値(あたい)するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらわるものはあらわるままによいということ!

人は皆、知ると知らぬに拘(かかわ)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程(ほど)は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併(しか)し幸福というものが、このように無私(むし)の境のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称(しょう)して阿呆(あほう)というものであろう底(てい)のもの
とすれば、
めしをくわねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといわねばならぬ

だが、それが此(こ)の世というものなんで、
其処(そこ)に我等(われら)は生きており、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よっ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端(きょくたん)はないとて、一先(ひとま)ず休心するもよかろう。

   Ⅲ

されば要は、熱情の問題である。
汝(なんじ)、心の底より立腹(りっぷく)せば
怒れよ!

さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

   Ⅳ

ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事(ばんじ)に於(おい)て文句はないのだ。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

ダイアローグは
詩人の内部でやりとりされています。

一か八か
乾坤一擲(けんこんいってき)のパッションに賭けてみよ

渾身の力を振り絞れ
大声で叫べ

熱情込めて。
生きよ
感じよ

角があるのが山羊
角がないのが羊
山羊は勇敢である
羊はおとなしい

夕方になれば
夜の暗闇がやがてやってくる

落日の空は
とろけるように美しい

あの無言ながら前進する
春の日の夕暮れ――

太陽のやつにはかなわない。

太陽の下では
なにもかもが青ざめてしまう――。

今回はここまで。

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2014年6月11日 (水)

山羊の声/「いのちの声」その7

(前回から続く)

「それ」と「怒り」は同じものではありません。
「怒り」は「喜怒哀楽」の一つの態様にすぎません。
「喜怒哀楽」の負の局面といってよいかもしれません。

「熱情」も「それ」ではありませんが
「それ」にかなり近いものでしょう。

少なくとも二つは密接した領域にあります。

「熱情」は「情熱」「熱意」「熱心」の「熱」の類です。
「情熱」を注(そそ)ぐ
「情熱」を傾ける
「熱意」を抱く
「熱心」に打ち込む
……。

グレードを持っていて
強弱や深浅や高低(上下)があります。

「いのちへの熱情」となれば
強く深く高いほど
歓びや快感や幸福は増加する関係でしょう。

「怒り」は
これらが減少する関係でしょうか。

減少するものにしても
必要不可欠なものです。

詩(人)は
「怒れよ」と歌いながら
「最後の目標」と「次なる行為」を明示するのです。

「怒れよ」は
「それ」への動機(バネ)のようで
呼びかけている対象は
まずは自己です。
自己に向けた激励です。

次に
人々に向けたメッセージのはずです。

いのちの声
 
          もろもろの業、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
                            ――ソロモン
 
僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果(あきは)てた。
あの幸福な、お調子者のジャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上りの曇った空の下の鉄橋のように生きている。
僕に押寄せているものは、何時(いつ)でもそれは寂漠(じゃくばく)だ。

僕はその寂漠の中にすっかり沈静(ちんせい)しているわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めている。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れている。
そのためにははや、食慾(しょくよく)も性慾もあってなきが如(ごと)くでさえある。

しかし、それが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それが二つあるとは思えない、ただ一つであるとは思う。
しかしそれが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それに行き著(つ)く一か八(ばち)かの方途(ほうと)さえ、悉皆(すっかり)分ったためしはない。

時に自分を揶揄(からか)うように、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいうのであろうか?

   Ⅱ

否何(いないず)れとさえそれはいうことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいうものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我(わ)が生は生(い)くるに値(あたい)するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらわるものはあらわるままによいということ!

人は皆、知ると知らぬに拘(かかわ)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程(ほど)は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併(しか)し幸福というものが、このように無私(むし)の境のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称(しょう)して阿呆(あほう)というものであろう底(てい)のもの
とすれば、
めしをくわねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといわねばならぬ

だが、それが此(こ)の世というものなんで、
其処(そこ)に我等(われら)は生きており、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よっ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端(きょくたん)はないとて、一先(ひとま)ず休心するもよかろう。

   Ⅲ

されば要は、熱情の問題である。
汝(なんじ)、心の底より立腹(りっぷく)せば
怒れよ!

さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

   Ⅳ

ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事(ばんじ)に於(おい)て文句はないのだ。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

人々の中には
「羊の歌」を献呈した僚友・安原喜弘がいるかもしれません。

そうでなくとも
「怒れよ」は自己の中の「羊」へ向けての
「山羊」の声なのかもしれません。

そうであることによって
「いのちの声」は
詩集「山羊の歌」のエレメント(因子)になっています。

夕方、空の下で、身一点に感じることができれば万事に文句はない。

――は、よりいっそう「山羊の声」として聞こえてくることでしょう。

今回はここまで。

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2014年6月10日 (火)

「それ」へのバネ(契機)/「いのちの声」その6

(前回から続く)

何れとさえそれはいうことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいうものの、説明なぞ出来ぬもの

説明できないものを
説明しようとしている矛盾を知りながら
どうにかそれを言葉にしようとして行き着くのは

我(わ)が生は生(い)くるに値(あたい)するものと信ずる
それよ現実! 
汚れなき幸福! 
あらわるものはあらわるままによいということ!

いのちのようですが
ひとことでは言ってしまえば
直ちにそれは遠ざかります。

グルグルぐるぐるそれの周辺を旋回しながら
時にはそれの至近距離にあり
それをつかまえそうになりますが
触れたと思うまもなく
そうではない、そうではない――。

「在りし日の歌」の「言葉なき歌」の「あれ」へつながり
最終詩「蛙声」の「声」へと結んでいく
詩人畢生(ひっせい)のテーマがここでも歌われています。

近くは「憔悴」から連なっている詩(人)論を
ここで歌う境地に至ったからなのですが
「憔悴」で十分といえるほど歌ったはずでも
歌い切れないのが「それ」ですから
またここで繰り返しているのです。

「山羊の歌」の最終詩だからです。
戦略の役割があります。

いのちの声
 
          もろもろの業、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
                            ――ソロモン
 
僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果(あきは)てた。
あの幸福な、お調子者のジャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上りの曇った空の下の鉄橋のように生きている。
僕に押寄せているものは、何時(いつ)でもそれは寂漠(じゃくばく)だ。

僕はその寂漠の中にすっかり沈静(ちんせい)しているわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めている。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れている。
そのためにははや、食慾(しょくよく)も性慾もあってなきが如(ごと)くでさえある。

しかし、それが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それが二つあるとは思えない、ただ一つであるとは思う。
しかしそれが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それに行き著(つ)く一か八(ばち)かの方途(ほうと)さえ、悉皆(すっかり)分ったためしはない。

時に自分を揶揄(からか)うように、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいうのであろうか?

   Ⅱ

否何(いないず)れとさえそれはいうことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいうものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我(わ)が生は生(い)くるに値(あたい)するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらわるものはあらわるままによいということ!

人は皆、知ると知らぬに拘(かかわ)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程(ほど)は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併(しか)し幸福というものが、このように無私(むし)の境のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称(しょう)して阿呆(あほう)というものであろう底(てい)のもの
とすれば、
めしをくわねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといわねばならぬ

だが、それが此(こ)の世というものなんで、
其処(そこ)に我等(われら)は生きており、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よっ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端(きょくたん)はないとて、一先(ひとま)ず休心するもよかろう。

   Ⅲ

されば要は、熱情の問題である。
汝(なんじ)、心の底より立腹(りっぷく)せば
怒れよ!

さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

   Ⅳ

ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事(ばんじ)に於(おい)て文句はないのだ。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

いま詩人にひらめいているものは
「怒り」です。

怠惰に生まれ
寂漠に沈静しない。

たえず「それ」を求めている。

「それ」への一つのバネ(契機)が
「怒り」です。

今回はここまで。

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2014年6月 9日 (月)

最後の目標/「いのちの声」その5

(前回から続く)

「いのちの声」は4章構成の詩ですから
「Ⅲ」は起承転結の転に相当します。

ダイナミックな展開が行われるのが「転」です。

いのちの声
 
          もろもろの業、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
                            ――ソロモン
 
僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果(あきは)てた。
あの幸福な、お調子者のジャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上りの曇った空の下の鉄橋のように生きている。
僕に押寄せているものは、何時(いつ)でもそれは寂漠(じゃくばく)だ。

僕はその寂漠の中にすっかり沈静(ちんせい)しているわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めている。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れている。
そのためにははや、食慾(しょくよく)も性慾もあってなきが如(ごと)くでさえある。

しかし、それが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それが二つあるとは思えない、ただ一つであるとは思う。
しかしそれが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それに行き著(つ)く一か八(ばち)かの方途(ほうと)さえ、悉皆(すっかり)分ったためしはない。

時に自分を揶揄(からか)うように、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいうのであろうか?

   Ⅱ

否何(いないず)れとさえそれはいうことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいうものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我(わ)が生は生(い)くるに値(あたい)するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらわるものはあらわるままによいということ!

人は皆、知ると知らぬに拘(かかわ)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程(ほど)は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併(しか)し幸福というものが、このように無私(むし)の境のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称(しょう)して阿呆(あほう)というものであろう底(てい)のもの
とすれば、
めしをくわねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといわねばならぬ

だが、それが此(こ)の世というものなんで、
其処(そこ)に我等(われら)は生きており、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よっ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端(きょくたん)はないとて、一先(ひとま)ず休心するもよかろう。

   Ⅲ

されば要は、熱情の問題である。
汝(なんじ)、心の底より立腹(りっぷく)せば
怒れよ!

さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

   Ⅳ

ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事(ばんじ)に於(おい)て文句はないのだ。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

とはいえ「Ⅲ」は
「Ⅰ」「Ⅱ」に比べて
コンパクトな作りです。

4行4連の「Ⅰ」「Ⅱ」に対して
「Ⅲ」は3行3連で
何よりも1行の字数がグンと少なくなります。

コンパクトにするということは
濃縮したということでもあり
省略・飛躍を施(ほどこ)したということでもありそうですが。

韻律を作らず
定型へ拘(こだわ)らず
口語体の中に自然に文語を交ぜました。

されば

立腹せば
さあれ
前にであれ
勿れ
そは
やむなるに
なるなれば
……

そうならば
おまえ
立腹するならば
だけど
前にあるのであって
いけない
それは
やむからであり
なるのであれば
……

汝(なんじ)は
詩(人)が自らに向って語りかけているととるのが自然ですから
「おまえ」のニュアンスです。

命令する口調です。

そうすると
要は「熱情」の問題なのであります。

おまえが、心の底から腹が立つことがあるならば
怒りなさい!
(怒りを表しなさい!)

だけど、
怒ることは
おまえの最後の目標の前にあるのだ
このことを決しておろそかにしてはいけない。

それは
熱情はしばらく持続し、やがて終わるものであるけれど
その社会的効用はあり続け、
おまえの次の行為への転調を邪魔するからです。

最後の目標とはなんのことでしょう。

それが
たとえば
幸福。

次の行為とはなんでしょう。

それが
たとえば
自由。

「最後の目標」と「次の行為」は別のものでしょうか。

次の行為は
最後の目標へのプロセスでしょうか。

いずれも
幸福とか自由とかにかかわりそうです。

「Ⅰ」で歌われた
それが二つあるとは思えない、ただ一つであるとは思う。
――と大いにつながっていそうです。

今回はここまで。

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2014年6月 8日 (日)

汚れなき幸福/「いのちの声」その4

(前回から続く)

「いのちの声」「Ⅱ」の第3連が
併(しか)し幸福というものが、
――と「幸福」について歌うのは唐突(とうとつ)なのではなく
すでに「Ⅱ」に入ってそのことを歌ってきたのを継いでいるだけです。

   Ⅱ

否何(いないず)れとさえそれはいうことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいうものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我(わ)が生は生(い)くるに値(あたい)するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらわるものはあらわるままによいということ!

人は皆、知ると知らぬに拘(かかわ)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程(ほど)は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併(しか)し幸福というものが、このように無私(むし)の境のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称(しょう)して阿呆(あほう)というものであろう底(てい)のものとすれば、
めしをくわねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといわねばならぬ

だが、それが此(こ)の世というものなんで、
其処(そこ)に我等(われら)は生きており、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よっ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端(きょくたん)はないとて、一先(ひとま)ず休心するもよかろう。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

生は生きるに値する
それが現実だ
汚れなき幸福だ
あらわれるものはあらわれるままによいということ!
そのことを希望している
それは誰も知る放心の快感(に似て)
誰もが望み
完全には望み得ないもの
……
などと歌ってきたのは
みんな「幸福」に関わることでした。

幸福が「このように無私の境のもの」であって
頭のよい(慧敏なる)商人からは「アホ(阿呆)」としか見えないものであるのなら
食わねば生きていけない現世は
不公平であるといわねばならない。

幸福は「無私の境のもの」というのは
「金銭関係から離れた領域」ということでしょう。

にもかかわらず
食わねば生きていけないこの世(の風)に晒(さら)されざるを得ないのは
不公平なことだよといわねばなりません。

だけれども
それがこの世というものでもありまして
そのこの世に我らは生きているのでありまして
それは「任意の不公平」なのではない。

「任意の」は「自由な」ほどの意味か。
「自由意志による不公平」なのではない。

この世というのは
そこに我らが生きている
それ(この世)によって我ら自身を構成している
(この世が我らを作っている)
そういう「原理」(システム)と考えればいいんだ。

だから
この世には「極端」はない。

極端な不公平はないものと
ひとまず「休心」してもよいのではなかろうか。

この世に生きている自分を
ひとまずは認めてもよろしかろう。

この世に生きていることを
まずは肯定してもよかろう。

「いのちの声」は
「Ⅰ」「Ⅳ」は口語、
「Ⅱ」「Ⅲ」は文語を交えて歌われました。

詩人は
「Ⅱ」「Ⅲ」を文語まじりで歌いたかったのです。

今回はここまで。

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2014年6月 7日 (土)

それは何か/「いのちの声」その3

(前回から続く)

バッハやモーツアルトやジャズにでさえすっかり倦き果てたところの寂漠にあってなお
そこに沈み静まっていることもしないで
「何か」を求めている――。

それは何か――。

それは「空の歌」というものでもない。

では何か?

「いのちの声」の「Ⅱ」は
執拗にといってよいほどに
「それ」を言葉にしようとします。

「Ⅱ」をじっくり読んでみましょう。

   Ⅱ

否何(いないず)れとさえそれはいうことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいうものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我(わ)が生は生(い)くるに値(あたい)するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらわるものはあらわるままによいということ!

人は皆、知ると知らぬに拘(かかわ)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程(ほど)は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併(しか)し幸福というものが、このように無私(むし)の境のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称(しょう)して阿呆(あほう)というものであろう底(てい)のものとすれば、
めしをくわねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといわねばならぬ

だが、それが此(こ)の世というものなんで、
其処(そこ)に我等(われら)は生きており、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よっ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端(きょくたん)はないとて、一先(ひとま)ず休心するもよかろう。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

否! どんなふうにもいうことはできないもの!
手短かに、時には説明したくなるけれど
説明などできないものであってこそ

「我が生(いのち)」は生きる価値があると信じていられる
それが現実というものだ! 汚れない幸福というものだ!
現われるものは現われるままに「善い」ということだ!

人はみんな、知っているか知らないかに関係なく
そのことを希望していて
(誰もが希望している)

勝敗に熱中している間には知ることはないものの
(勝敗ごとに心を奪われているときは別だが)

それは誰でもが知っている、放心状態の快感に似て
誰もがこの世に生きている限りは、完全には望み得ないもの!
(誰でもが知っている「放心の快感」に似て、誰でもが完全には得ることができないもの!)

説明できないことを
執拗に説明しようとして歌うのは
「生」を語るのに似て
容易なようで困難なことです。

ではなぜここで
それを歌わなければならないのでしょう。

そこに「羊の歌」の最終詩であり
詩集「山羊の歌」の最終詩であるこの詩の戦略的位置づけがあります。

途中ですが
今回はここまで。

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2014年6月 5日 (木)

押し寄せる寂漠/「いのちの声」その2

(前回から続く)

バッハやモーツアルトが
「倦き果て」られるほどに聴かれ
ジャズが「お調子者」に聴こえるほど
「倦き果て」るまで聴かれました。

音楽が詩人を「ちょっとは生き生き」とさせることがあっても
「怠惰」の中に詩人は存在したのです。

「空の歌」「海の歌」が聴こえてきたとしても
ああ、それにしてもやすやすと得ることはできないのが「美」で
その核心を僕は知っていながら
「怠惰」から逃れることができない。

「怠惰」を逃れては
「美の核心」を知ることはできない
――と「憔悴」で歌われても明示されなかった「何か」への追求は
「いのちの声」にそのまま引き継がれます。

音楽を通過しても獲得し得なかった怠惰の果ては
雨上がりの曇った空の下の鉄橋のような「生」ですが
そこにあるのは「寂漠(じゃくばく)」です。

「怠惰」の底にあるのは
「寂漠」です。

いのちの声
 
          もろもろの業、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
                            ――ソロモン
 
僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果(あきは)てた。
あの幸福な、お調子者のジャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上りの曇った空の下の鉄橋のように生きている。
僕に押寄せているものは、何時(いつ)でもそれは寂漠(せきばく)だ。

僕はその寂漠の中にすっかり沈静(ちんせい)しているわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めている。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れている。
そのためにははや、食慾(しょくよく)も性慾もあってなきが如(ごと)くでさえある。

しかし、それが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それが二つあるとは思えない、ただ一つであるとは思う。
しかしそれが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それに行き著(つ)く一か八(ばち)かの方途(ほうと)さえ、悉皆(すっかり)分ったためしはない。

時に自分を揶揄(からか)うように、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいうのであろうか?

   Ⅱ

否何(いないず)れとさえそれはいうことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいうものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我(わ)が生は生(い)くるに値(あたい)するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらわるものはあらわるままによいということ!

人は皆、知ると知らぬに拘(かかわ)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程(ほど)は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併(しか)し幸福というものが、このように無私(むし)の境のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称(しょう)して阿呆(あほう)というものであろう底(てい)のもの
とすれば、
めしをくわねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといわねばならぬ

だが、それが此(こ)の世というものなんで、
其処(そこ)に我等(われら)は生きており、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よっ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端(きょくたん)はないとて、一先(ひとま)ず休心するもよかろう。

   Ⅲ

されば要は、熱情の問題である。
汝(なんじ)、心の底より立腹(りっぷく)せば
怒れよ!

さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

   Ⅳ

ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事(ばんじ)に於(おい)て文句はないのだ。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「いのちの声」は
「怠惰」の先(または底)にあるのが「寂漠(じゃくばく)」で
それに沈潜し静まってはいない詩人の
求めているものを歌いはじめるのです。

「怠惰」や「倦怠(けだい)」を歌った詩(行)は
幾つもありますが
その先(または底)を歌って
ここでは内部にある「寂」「漠」に触れます。

バッハやモーツアルトやジャズを通じてでも
押し寄せてくる「寂漠」が
僕を沈静させることはありません。

僕はまだ何かを求めています。
それは音楽のような
すでに築きあげられている形のあるものではありません。

いまだれっきとした形のないものの中にあるはずのもので
それを求めて求めて心は逸(はや)るばかり。

それを求めるあまり
食欲も性欲もどっかへすっ飛んでしまいます。

それが何かは分からない
分かったためしがない。

それは「二つ」あるものでもない
たった「一つ」のものであると思う。

それが何かは分からない、分かったためしがない。
それへ行き着くいろんな方法さえも、すっかり分かったことがない。

時に自分をからかうようにして、僕は僕に聞いてみる
それは女か?
甘いものか?うまいか?
それは栄誉のことか?

すると心は叫ぶ、
あれでもない
これでもない
あれでもこれでもない!

それでは
それは空の歌。

朝の高い空に鳴り響く空の歌とでもいうのだろうか?

いやいや、そうじゃない。

「それ」は
「憔悴」末尾に現われた空の歌ともいえないもののようです。

今回はここまで。

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2014年6月 4日 (水)

詩集の最終詩/「いのちの声」

(前回から続く)

「羊の歌」は
「憔悴」を経て
「いのちの声」を歌い
この3篇を5番目の章「羊の歌」として編み
詩集「山羊の歌」を完成しました。

「初期詩篇」
「少年時」
「みちこ」
「秋」
「羊の歌」
――の全5章を設けて
詩集のタイトルを「山羊の歌」としたのです。

詩集「山羊の歌」の編集がはじめられたのは
昭和7年4月ごろと考えられています。

およそ2か月でこの編集は終了しますが
出版されたのは昭和9年12月。
結婚した中也に第1子が生まれた直後のことでした。

出版元が決まらず
高村光太郎の装丁で刊行される昭和9年12月までの紆余曲折(うよきょくせつ)は
安原喜弘が著した「中原中也への手紙」などで知ることができます。

「山羊の歌」は出版元が決まって
最後の校正の段階になっても
詩への推敲やページデザインの修正などが行われたということですが
集中の詩の制作は「いのちの声」が最終になりました。

「いのちの声」初稿の制作は
詩集が編集された昭和7年(1924年)4月~6月と推定されています。

「憔悴」が書かれ
まもなくして「いのちの声」は書かれたということになります。
(「新全集」より。)

いのちの声
 
          もろもろの業、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
                            ――ソロモン
 
僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果(あきは)てた。
あの幸福な、お調子者のジャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上りの曇った空の下の鉄橋のように生きている。
僕に押寄せているものは、何時(いつ)でもそれは寂漠(じゃくばく)だ。

僕はその寂漠の中にすっかり沈静(ちんせい)しているわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めている。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れている。
そのためにははや、食慾(しょくよく)も性慾もあってなきが如(ごと)くでさえある。

しかし、それが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それが二つあるとは思えない、ただ一つであるとは思う。
しかしそれが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それに行き著(つ)く一か八(ばち)かの方途(ほうと)さえ、悉皆(すっかり)分ったためしはない。

時に自分を揶揄(からか)うように、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいうのであろうか?

   Ⅱ

否何(いないず)れとさえそれはいうことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいうものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我(わ)が生は生(い)くるに値(あたい)するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらわるものはあらわるままによいということ!

人は皆、知ると知らぬに拘(かかわ)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程(ほど)は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併(しか)し幸福というものが、このように無私(むし)の境のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称(しょう)して阿呆(あほう)というものであろう底(てい)のものとすれば、
めしをくわねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといわねばならぬ

だが、それが此(こ)の世というものなんで、
其処(そこ)に我等(われら)は生きており、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よっ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端(きょくたん)はないとて、一先(ひとま)ず休心するもよかろう。

   Ⅲ

されば要は、熱情の問題である。
汝(なんじ)、心の底より立腹(りっぷく)せば
怒れよ!

さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

   Ⅳ

ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事(ばんじ)に於(おい)て文句はないのだ。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「憔悴」の最終節「Ⅵ」で歌われた「音楽」が
「いのちの声」冒頭の2行
僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果(あきは)てた。
あの幸福な、お調子者のジャズにもすっかり倦果てた。
――へとストレートに連続しています。

と、聞えてくる音楽には心惹(ひ)かれ、
ちょっとは生き生きしもするのですが、
その時その二っつは僕の中に死んで、

ああ 空の歌、海の歌、
僕は美の、核心を知っているとおもうのですが
それにしても辛いことです、怠惰を逭(のが)れるすべがない!

――と「憔悴」で歌われた「音楽」は
「いのちの声」では「倦果て」られているのです。

「倦果てた」のと「怠惰」は同じことです。

今回はここまで。

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2014年6月 3日 (火)

船頭と蛙二つのメタファー/「憔悴」その7

(前回から続く)

「長いトンネル」といってよいのでしょうか。
「雌伏」はすなわち「負」のイメージなのでしょうか。
「沈滞期」でよいのでしょうか。

「憔悴」は
字義通りならば
これも「負」のイメージですが。

熟読玩味すればするほど
「決算」の実りを歌っていることを知らされて驚きます。

そこにはこれまで歌われてきた数々の詩が反響し合い
相互にエールを送り合っているのが見られることでしょう。

憔 悴
 
       Pour tout homme, il vient une èpoque
     
       où l'homme languit. ―Proverbe.

       Il faut d'abord avoir soif……
                       
                 ――Cathèrine de Mèdicis.

私はも早、善(よ)い意志をもっては目覚めなかった
起きれば愁(うれ)わしい 平常(いつも)のおもい
私は、悪い意志をもってゆめみた……
(私は其処(そこ)に安住したのでもないが、
其処を抜け出すことも叶(かな)わなかった)
そして、夜が来ると私は思うのだった、
此(こ)の世は、海のようなものであると。

私はすこししけている宵(よい)の海をおもった
其処を、やつれた顔の船頭(せんどう)は
おぼつかない手で漕(こ)ぎながら
獲物があるかあるまいことか
水の面(おもて)を、にらめながらに過ぎてゆく

   Ⅱ

昔 私は思っていたものだった
恋愛詩なぞ愚劣(ぐれつ)なものだと

今私は恋愛詩を詠(よ)み
甲斐(かい)あることに思うのだ

だがまだ今でもともすると
恋愛詩よりもましな詩境にはいりたい

その心が間違っているかいないか知らないが
とにかくそういう心が残っており

それは時々私をいらだて
とんだ希望を起(おこ)させる

昔私は思っていたものだった
恋愛詩なぞ愚劣なものだと

けれどもいまでは恋愛を
ゆめみるほかに能がない

   Ⅲ

それが私の堕落かどうか
どうして私に知れようものか

腕にたるんだ私の怠惰(たいだ)
今日も日が照る 空は青いよ

ひょっとしたなら昔から
おれの手に負えたのはこの怠惰だけだったかもしれぬ

真面目(まじめ)な希望も その怠惰の中から
憧憬(しょうけい)したのにすぎなかったかもしれぬ

ああ それにしてもそれにしても
ゆめみるだけの 男になろうとはおもわなかった!

   Ⅳ

しかし此の世の善だの悪だの
容易に人間に分りはせぬ

人間に分らない無数の理由が
あれをもこれをも支配しているのだ

山蔭(さんいん)の清水のように忍耐ぶかく
つぐんでいれば愉(たの)しいだけだ

汽車からみえる 山も 草も
空も 川も みんなみんな

やがては全体の調和に溶けて
空に昇って 虹となるのだろうとおもう……

   Ⅴ

さてどうすれば利(り)するだろうか、とか
どうすれば哂(わら)われないですむだろうか、とかと

要するに人を相手の思惑(おもわく)に
明けくれすぐす、世の人々よ、

僕はあなたがたの心も尤(もっと)もと感じ
一生懸命郷(ごう)に従ってもみたのだが

今日また自分に帰るのだ
ひっぱったゴムを手離したように

そうしてこの怠惰の窗(まど)の中から
扇(おうぎ)のかたちに食指をひろげ

青空を喫(す)う 閑(ひま)を嚥(の)む
蛙(かえる)さながら水に泛(うか)んで

夜(よる)は夜とて星をみる
ああ 空の奥、空の奥。

   Ⅵ

しかし またこうした僕の状態がつづき、
僕とても何か人のするようなことをしなければならないと思い、
自分の生存をしんきくさく感じ、
ともすると百貨店のお買上品届け人にさえ驚嘆(きょうたん)する。

そして理窟(りくつ)はいつでもはっきりしているのに
気持の底ではゴミゴミゴミゴミ懐疑(かいぎ)の小屑(おくず)が一杯です。
それがばかげているにしても、その二っつが
僕の中にあり、僕から抜けぬことはたしかなのです。

と、聞えてくる音楽には心惹(ひ)かれ、
ちょっとは生き生きしもするのですが、
その時その二っつは僕の中に死んで、

ああ 空の歌、海の歌、
僕は美の、核心を知っているとおもうのですが
それにしても辛いことです、怠惰を逭(のが)れるすべがない!

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

やつれた顔の船頭(せんどう)は
おぼつかない手で漕(こ)ぎながら
獲物があるかあるまいことか
水の面(おもて)を、にらめながらに過ぎてゆく

――ここには「心象」「Ⅰ」の船頭がいます。

「心象」「Ⅱ」の「み空」は
「失せし希望」の「暗き空」や
「夏」の燃える「空」へ行き
「憔悴」「Ⅲ」の「空は青いよ」や
「Ⅳ」の「空も川も」や
「Ⅴ」の「青空」「空の奥」や
「Ⅵ」の「空の歌、海の歌」へ跳ね返ってきます。

船頭は詩人のメタファーですが
「憔悴」「Ⅴ」で詩人は「蛙」のメタファーに変化します。

一つのメタファーでは足りなくて
もう一つのメタファーを呼び出したかのように。

船頭が獲物を求めて水面をにらんでいる様も
蛙が水面に浮かんでいる様も
それぞれ「渇き」のメタファーに変わりありません。

船頭は「心象」で
「船頭(せんどう)がその女房に向って何かを云(い)った。
――その言葉は、聞きとれなかった。」と歌われた詩人の別の姿です。

蛙は「在りし日の歌」最終詩の「蛙声」へと
遠く木霊を送っているはずです。

青空を喫(す)う 閑(ひま)を嚥(の)む
蛙(かえる)さながら水に泛(うか)んで

――の「蛙」は
「憔悴」内部の「Ⅲ」で歌われた「堕落」を受けていますが
冒頭の「それ」は
「汚れっちまった悲しみに……」の「倦怠(けだい)」などを通過しながら
ここへ来て「怠惰」として歌われています。

「Ⅱ」の

昔 愚劣(ぐれつ)な 恋愛詩
今 詠(よ)み甲斐(かい)ある 恋愛詩

恋愛詩よりもましな詩境にはいりたい今
いらだちと希望を起させる恋愛詩

けれどもいまでは「恋愛」を
ゆめみるほかに能がない

――などと歌われる「恋愛詩と恋愛と私(詩人)の三角形」は
「盲目の秋」
「わが喫煙」
「妹よ」
「みちこ」
「生い立ちの歌」
「時こそ今は……」などの恋愛詩の傑作と次々に連結し
詩の「外」の「恋愛」を想像させます。

「Ⅴ」の「思惑」は
「寒い夜の自我像」の
人々の憔懆(しょうそう)のみの愁(かな)しみや
憧れに引廻(ひきまわ)される女等(おんなら)の鼻唄
――へ。

「無題」「Ⅲ」の
おのが心も魂も、忘れはて棄て去りて
悪酔の、狂い心地に美を索(もと)む
わが世のさまのかなしさや、
――へ。

「修羅街輓歌」の
それにしても私は憎む、
対外意識にだけ生きる人々を。
――パラドクサルな人生よ。
――へ。

「羊の歌」の
思惑(おもわく)よ、汝(なんじ) 古く暗き気体よ、
――へと直通します。

一生懸命郷(ごう)に従ってもみたのだが
――は「無題」「Ⅴ」の
されば人よ、つねにまず従(したが)わんとせよ。――に。

「更くる夜」の
「感謝」に通じています。

最終節「Ⅵ」の「海の歌」「空の歌」は
遠く「朝の歌」の「ひろごりて たいらかの空」
「逝く夏の歌」の「空は高く高く、それを見ていた」
「夏の日の歌」の「動かない青い空」
――などとも連なっていて
「木蔭」の空へも循環します。

もっとじっくりよめば
もっと多くの「木霊(こだま)」を聴くことができるでしょう。

「憔悴」は
「雌伏中」の「充電」であり「決算」の様相を映しています。

詩人が詩集を持つことの
詩人以外には想像できない決意みたいなものが
「憔悴」にみなぎっています。

決意に至る足取りは単純ではありませんでした。

複雑曲線をたどりながら
前進したり遡行(そこう)したり
螺旋(らせん)を描いたり
ジレンマ=焦燥を抱えながらも
「羊の歌」の暗闇を脱しています。

今回はここまで。

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2014年6月 1日 (日)

沈滞期を脱け出る/「憔悴」その6

(前回から続く)

「憔悴」の初稿が書かれたのは昭和7年2月。

「白痴群」が廃刊した昭和5年4月以後の「雌伏期間」に
中也は中央大学予科に通い
続けて東京外国語学校専修科(仏語)に入り
フランス語の修得に励みました。
(東京外語を修了するのは昭和8年の3月。)

このおよそ2年の間に
泰子が築地小劇場の演出家・山川幸世の子を生み
高田博厚が渡仏し
弟・恰三が死亡する
――という経験をくぐりました。

代々木へ転居し
千駄ヶ谷へ転居し
――と「角川ソフィア文庫」の年譜にありますが
詳しくは、

「白痴群」が廃刊してすぐに
長崎町(北豊島郡)に「ひっこみ」(大岡昇平)
中高井戸(高田博厚アトリエの近く)に住み
代々木(代々幡町山谷、小田急本社裏)へ転居し
また近くの千駄ヶ谷(「山羊の歌」を編集)へ転居したのです。
(「新編中原中也全集」別巻<上>ほか。)

吉田秀和を知ったのは昭和5年秋
高森文夫を知ったのは昭和6年冬で
ともに「雌伏中」ということになります。

学校に通いながらも
「怠惰を飲んで蛙さながらに生きる」
詩人の道を放棄したものではありません。

にもかかわらず
この時期は詩人の「沈滞期」といわれていて
「憔悴」はその「沈滞期」を脱け出した詩人が
ようやく書いた詩篇と考えられています。
(「新編中原中也全集」第1巻・解題篇。)

昭和6年春から年末までの詩作における沈滞期を通過した後、年が明けてようやく中原の精神が活力を取り戻した時期に書かれたもの
――と「新全集」は記録しています。

憔 悴
 
       Pour tout homme, il vient une èpoque
     
       où l'homme languit. ―Proverbe.

       Il faut d'abord avoir soif……
                       
                 ――Cathèrine de Mèdicis.

私はも早、善(よ)い意志をもっては目覚めなかった
起きれば愁(うれ)わしい 平常(いつも)のおもい
私は、悪い意志をもってゆめみた……
(私は其処(そこ)に安住したのでもないが、
其処を抜け出すことも叶(かな)わなかった)
そして、夜が来ると私は思うのだった、
此(こ)の世は、海のようなものであると。

私はすこししけている宵(よい)の海をおもった
其処を、やつれた顔の船頭(せんどう)は
おぼつかない手で漕(こ)ぎながら
獲物があるかあるまいことか
水の面(おもて)を、にらめながらに過ぎてゆく

   Ⅱ

昔 私は思っていたものだった
恋愛詩なぞ愚劣(ぐれつ)なものだと

今私は恋愛詩を詠(よ)み
甲斐(かい)あることに思うのだ

だがまだ今でもともすると
恋愛詩よりもましな詩境にはいりたい

その心が間違っているかいないか知らないが
とにかくそういう心が残っており

それは時々私をいらだて
とんだ希望を起(おこ)させる

昔私は思っていたものだった
恋愛詩なぞ愚劣なものだと

けれどもいまでは恋愛を
ゆめみるほかに能がない

   Ⅲ

それが私の堕落かどうか
どうして私に知れようものか

腕にたるんだ私の怠惰(たいだ)
今日も日が照る 空は青いよ

ひょっとしたなら昔から
おれの手に負えたのはこの怠惰だけだったかもしれぬ

真面目(まじめ)な希望も その怠惰の中から
憧憬(しょうけい)したのにすぎなかったかもしれぬ

ああ それにしてもそれにしても
ゆめみるだけの 男になろうとはおもわなかった!

   Ⅳ

しかし此の世の善だの悪だの
容易に人間に分りはせぬ

人間に分らない無数の理由が
あれをもこれをも支配しているのだ

山蔭(さんいん)の清水のように忍耐ぶかく
つぐんでいれば愉(たの)しいだけだ

汽車からみえる 山も 草も
空も 川も みんなみんな

やがては全体の調和に溶けて
空に昇って 虹となるのだろうとおもう……

   Ⅴ

さてどうすれば利(り)するだろうか、とか
どうすれば哂(わら)われないですむだろうか、とかと

要するに人を相手の思惑(おもわく)に
明けくれすぐす、世の人々よ、

僕はあなたがたの心も尤(もっと)もと感じ
一生懸命郷(ごう)に従ってもみたのだが

今日また自分に帰るのだ
ひっぱったゴムを手離したように

そうしてこの怠惰の窗(まど)の中から
扇(おうぎ)のかたちに食指をひろげ

青空を喫(す)う 閑(ひま)を嚥(の)む
蛙(かえる)さながら水に泛(うか)んで

夜(よる)は夜とて星をみる
ああ 空の奥、空の奥。

   Ⅵ

しかし またこうした僕の状態がつづき、
僕とても何か人のするようなことをしなければならないと思い、
自分の生存をしんきくさく感じ、
ともすると百貨店のお買上品届け人にさえ驚嘆(きょうたん)する。

そして理窟(りくつ)はいつでもはっきりしているのに
気持の底ではゴミゴミゴミゴミ懐疑(かいぎ)の小屑(おくず)が一杯です。
それがばかげているにしても、その二っつが
僕の中にあり、僕から抜けぬことはたしかなのです。

と、聞えてくる音楽には心惹(ひ)かれ、
ちょっとは生き生きしもするのですが、
その時その二っつは僕の中に死んで、

ああ 空の歌、海の歌、
僕は美の、核心を知っているとおもうのですが
それにしても辛いことです、怠惰を逭(のが)れるすべがない!

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「憔悴」の現在は、
エピグラフとともに
詩の冒頭に開示されています。

第1節、

私はも早、善(よ)い意志をもっては目覚めなかった
起きれば愁(うれ)わしい 平常(いつも)のおもい
私は、悪い意志をもってゆめみた……
(私は其処(そこ)に安住したのでもないが、
其処を抜け出すことも叶(かな)わなかった)
そして、夜が来ると私は思うのだった、
此(こ)の世は、海のようなものであると。

――という何やら難しそうな詩行が
「憔悴」の現在を示しています。

ここに詩人はいます。

夜になると「海」を思う詩人です。
海で詩人は船頭になります。

今回はここまで。

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