「朝の歌」の「土手づたい」/面白い!中也の日本語
(前回からつづく)
「森竝は風に鳴るかな」と我々の想像は外へ出る。「ひろごりて平らかの空」と下を、「土手づたいきえてゆく」という比喩は再びわかりにくいが、恐らくここで我々を焦立ちから救うものは、「土手づたい」という俗にして稚拙な成句である。
◇
大岡昇平は
1956年に雑誌「世界」に発表した「朝の歌」(現在「中原中也」所収)で
このように記しています。
「朝の歌」について
それが作られた背景から
詩自体の技術的完成の詳細を記述する中の一部に過ぎませんが
ここで注目しておきたいのは
「俗にして稚拙な成句」と大岡が指摘した「土手づたい」です。
「土手づたい」という言葉を
「俗にして稚拙な成句」と感知した大岡の言語意識です。
◇
大岡はここで
「土手づたい」が
詩が「分かりにくい」流れに陥りそうになったところに現われたために
(かえって)救われるという肯定的評価を述べているのですが
その評価の理由になった「俗にして稚拙な成句」という受け止め方には
関口隆克が「羊の歌」の「もろに」にから「俗」を感じるのと
同じものがあります。
◇
今回はここまで。
「朝の歌」を掲出しておきます。
◇
朝の歌
天井に 朱(あか)きいろいで
戸の隙(すき)を 洩(も)れ入(い)る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽(ぐんがく)の憶(おも)い
手にてなす なにごともなし。
小鳥らの うたはきこえず
空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
諫(いさ)めする なにものもなし。
樹脂の香(か)に 朝は悩まし
うしないし さまざまのゆめ、
森竝(もりなみ)は 風に鳴るかな
ひろごりて たいらかの空、
土手づたい きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
今回はここまで。
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