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2014年6月29日 (日)

詩が必要とする言葉/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

「羊の歌」の第4節の冒頭に
さるにても、もろに佗(わび)しいわが心
――という詩行はあります。

この行の「もろに」という語が「俗」であるという感想を
当時、詩人の周辺にいた「文学青年」が主張した光景が
目に見えるようです。

酒が入り
天下国家を論じる談論風発(だんろんふうはつ)の中での作品評というのは
結構危ないものがあって
血しぶきのあがるようなこともあったかもしれないのに
そのような場面にならなかったのは関口との関係が良好であったからなのでしょう。

第4節をここに引いてみましょう。

さるにても、もろに佗(わび)しいわが心
夜(よ)な夜なは、下宿の室(へや)に独りいて
思いなき、思いを思う 単調の
つまし心の連弾(れんだん)よ……

汽車の笛(ふえ)聞こえもくれば
旅おもい、幼(おさな)き日をばおもうなり
いなよいなよ、幼き日をも旅をも思わず
旅とみえ、幼き日とみゆものをのみ……

思いなき、おもいを思うわが胸は
閉(と)ざされて、醺生(かびは)ゆる手匣(てばこ)にこそはさも似たれ
しらけたる脣(くち)、乾きし頬(ほう)
酷薄(こくはく)の、これな寂莫(しじま)にほとぶなり……

これやこの、慣れしばかりに耐えもする
さびしさこそはせつなけれ、みずからは
それともしらず、ことように、たまさかに
ながる涙は、人恋(ひとこ)うる涙のそれにもはやあらず……

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

今読んでみると
「もろに」が特別に「浮いている」という印象はありませんよね。

この節が文語で歌われているのだから
「俗」は間違いだとでも言いたいという気持ちは
分からないでもありません。

「もろに」という言葉が
現在でも若干「雅」を欠き
「俗」であると感じる人はあるのかもしれません。

でも中也は
詩が必要としているのであれば
俗であってもよいと思っていたのですし
浮いているという感覚はなかったはずですね。

「雅」を目指していたのでもないし
維持しようとしていたのでもない。

もとより、言語感覚というのは個人差があるうえに
時代意識や流行の中で生き物として使われていますから
当時一般の人がどのように受け取ったかは
その時代にいない者にはわかりませんが
関口や安原のように
「もろに」が俗っぽく感じられたと言うのであれば
そのように受け取ればよいものでしょう。

受け取る側のことですから
中也は「ふーん」という感じで聞いていたのでしょう、きっと。

関口はそのことを中也が死んで何年も経ってから理解したのでしょうか。
すぐに理解したのでしょうか。

これと同じようなことが
大岡昇平の発言の中にも見られます。

今回はここまで。

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