山羊の声/「いのちの声」その7
(前回から続く)
「それ」と「怒り」は同じものではありません。
「怒り」は「喜怒哀楽」の一つの態様にすぎません。
「喜怒哀楽」の負の局面といってよいかもしれません。
「熱情」も「それ」ではありませんが
「それ」にかなり近いものでしょう。
少なくとも二つは密接した領域にあります。
◇
「熱情」は「情熱」「熱意」「熱心」の「熱」の類です。
「情熱」を注(そそ)ぐ
「情熱」を傾ける
「熱意」を抱く
「熱心」に打ち込む
……。
グレードを持っていて
強弱や深浅や高低(上下)があります。
「いのちへの熱情」となれば
強く深く高いほど
歓びや快感や幸福は増加する関係でしょう。
◇
「怒り」は
これらが減少する関係でしょうか。
減少するものにしても
必要不可欠なものです。
詩(人)は
「怒れよ」と歌いながら
「最後の目標」と「次なる行為」を明示するのです。
「怒れよ」は
「それ」への動機(バネ)のようで
呼びかけている対象は
まずは自己です。
自己に向けた激励です。
次に
人々に向けたメッセージのはずです。
◇
いのちの声
もろもろの業、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
――ソロモン
僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果(あきは)てた。
あの幸福な、お調子者のジャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上りの曇った空の下の鉄橋のように生きている。
僕に押寄せているものは、何時(いつ)でもそれは寂漠(じゃくばく)だ。
僕はその寂漠の中にすっかり沈静(ちんせい)しているわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めている。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れている。
そのためにははや、食慾(しょくよく)も性慾もあってなきが如(ごと)くでさえある。
しかし、それが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それが二つあるとは思えない、ただ一つであるとは思う。
しかしそれが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それに行き著(つ)く一か八(ばち)かの方途(ほうと)さえ、悉皆(すっかり)分ったためしはない。
時に自分を揶揄(からか)うように、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいうのであろうか?
Ⅱ
否何(いないず)れとさえそれはいうことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいうものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我(わ)が生は生(い)くるに値(あたい)するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらわるものはあらわるままによいということ!
人は皆、知ると知らぬに拘(かかわ)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程(ほど)は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!
併(しか)し幸福というものが、このように無私(むし)の境のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称(しょう)して阿呆(あほう)というものであろう底(てい)のもの
とすれば、
めしをくわねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといわねばならぬ
だが、それが此(こ)の世というものなんで、
其処(そこ)に我等(われら)は生きており、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よっ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端(きょくたん)はないとて、一先(ひとま)ず休心するもよかろう。
Ⅲ
されば要は、熱情の問題である。
汝(なんじ)、心の底より立腹(りっぷく)せば
怒れよ!
さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。
そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。
Ⅳ
ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事(ばんじ)に於(おい)て文句はないのだ。
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
人々の中には
「羊の歌」を献呈した僚友・安原喜弘がいるかもしれません。
そうでなくとも
「怒れよ」は自己の中の「羊」へ向けての
「山羊」の声なのかもしれません。
そうであることによって
「いのちの声」は
詩集「山羊の歌」のエレメント(因子)になっています。
◇
夕方、空の下で、身一点に感じることができれば万事に文句はない。
――は、よりいっそう「山羊の声」として聞こえてくることでしょう。
◇
今回はここまで。
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