羊と野羊と山羊と/「いのちの声」その10
(前回から続く)
「いのちの声」に
山羊は登場しません。
それどころか
詩集「山羊の歌」のどこにも
山羊は登場しませんし
「在りし日の歌」にも登場しません。
生前発表詩篇にも
未発表詩篇にも
「山羊」は登場しないのです。
◇
「羊の歌」の羊だけが
「山羊」の近くにいます。
◇
「いのちの声」の詩行の一字一句も
アルフォンス・ドーデーの「スガンさんのやぎ」の記述と重なるところはありません。
◇
いのちの声
もろもろの業、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
――ソロモン
僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果(あきは)てた。
あの幸福な、お調子者のジャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上りの曇った空の下の鉄橋のように生きている。
僕に押寄せているものは、何時(いつ)でもそれは寂漠(じゃくばく)だ。
僕はその寂漠の中にすっかり沈静(ちんせい)しているわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めている。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れている。
そのためにははや、食慾(しょくよく)も性慾もあってなきが如(ごと)くでさえある。
しかし、それが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それが二つあるとは思えない、ただ一つであるとは思う。
しかしそれが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それに行き著(つ)く一か八(ばち)かの方途(ほうと)さえ、悉皆(すっかり)分ったためしはない。
時に自分を揶揄(からか)うように、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいうのであろうか?
Ⅱ
否何(いないず)れとさえそれはいうことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいうものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我(わ)が生は生(い)くるに値(あたい)するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらわるものはあらわるままによいということ!
人は皆、知ると知らぬに拘(かかわ)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程(ほど)は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!
併(しか)し幸福というものが、このように無私(むし)の境のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称(しょう)して阿呆(あほう)というものであろう底(てい)のものとすれば、
めしをくわねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといわねばならぬ
だが、それが此(こ)の世というものなんで、
其処(そこ)に我等(われら)は生きており、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よっ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端(きょくたん)はないとて、一先(ひとま)ず休心するもよかろう。
Ⅲ
されば要は、熱情の問題である。
汝(なんじ)、心の底より立腹(りっぷく)せば
怒れよ!
さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。
そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。
Ⅳ
ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事(ばんじ)に於(おい)て文句はないのだ。
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
中也は山羊を「野羊」と言い表すことが自然だったようです。
「野羊」は「のひつじ」ではなく「やぎ」でありそうです。
その例が
未発表詩篇(吹く風を心の友と)には、
私がげんげ田を歩いていた15の春は
煙のように、野羊のように、パルプのように、
「初恋集」の「むつよ」には、
それから暫(しばら)くしてからのこと、
野原に僕の家(うち)の野羊が放してあったのを
あなたは、それが家(うち)のだとしらずに、
それと、暫く遊んでいました
――とあります。
◇
散文では
未発表小説「校長」に「山羊」、
生前発表評論「山羊の言」はタイトルに。
翻訳では
「ランボオ詩集」中の「太陽と肉体」に
「半人半山羊神(サチール)」と「山羊足」、
「ポーヴル・レリアン」に「小老牝山羊」
――などと使われています。
(以上「新全集・第1巻・解題篇」より。)
◇
「在りし日の歌」の冒頭詩「含羞」には
「あすとらはん」が傍点つきで現われるのも
記憶する価値がありそうです。
◇
今回はここまで。
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