内部ダイアローグ/「いのちの声」その8
(前回から続く)
それ
熱情
立腹
怒れよ
最後の目標
次なる行為
……
これらの詩語が行きつ戻りつして
「羊」と「山羊」のダイアローグ(対話)を繰り広げるようです。
ダイヤローグの終わりは
夕方、空の下で、身一点に感じることができれば万事に文句はない。
――というマニフェスト。
OKOK
ウイウイ
これは祈りでしょうか
ただ一つのものへ少しでも近づいたのでしょうか――。
◇
いのちの声
もろもろの業、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
――ソロモン
僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果(あきは)てた。
あの幸福な、お調子者のジャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上りの曇った空の下の鉄橋のように生きている。
僕に押寄せているものは、何時(いつ)でもそれは寂漠(じゃくばく)だ。
僕はその寂漠の中にすっかり沈静(ちんせい)しているわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めている。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れている。
そのためにははや、食慾(しょくよく)も性慾もあってなきが如(ごと)くでさえある。
しかし、それが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それが二つあるとは思えない、ただ一つであるとは思う。
しかしそれが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それに行き著(つ)く一か八(ばち)かの方途(ほうと)さえ、悉皆(すっかり)分ったためしはない。
時に自分を揶揄(からか)うように、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいうのであろうか?
Ⅱ
否何(いないず)れとさえそれはいうことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいうものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我(わ)が生は生(い)くるに値(あたい)するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらわるものはあらわるままによいということ!
人は皆、知ると知らぬに拘(かかわ)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程(ほど)は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!
併(しか)し幸福というものが、このように無私(むし)の境のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称(しょう)して阿呆(あほう)というものであろう底(てい)のもの
とすれば、
めしをくわねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといわねばならぬ
だが、それが此(こ)の世というものなんで、
其処(そこ)に我等(われら)は生きており、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よっ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端(きょくたん)はないとて、一先(ひとま)ず休心するもよかろう。
Ⅲ
されば要は、熱情の問題である。
汝(なんじ)、心の底より立腹(りっぷく)せば
怒れよ!
さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。
そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。
Ⅳ
ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事(ばんじ)に於(おい)て文句はないのだ。
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
ダイアローグは
詩人の内部でやりとりされています。
◇
一か八か
乾坤一擲(けんこんいってき)のパッションに賭けてみよ
渾身の力を振り絞れ
大声で叫べ
熱情込めて。
生きよ
感じよ
◇
角があるのが山羊
角がないのが羊
山羊は勇敢である
羊はおとなしい
◇
夕方になれば
夜の暗闇がやがてやってくる
落日の空は
とろけるように美しい
あの無言ながら前進する
春の日の夕暮れ――
◇
太陽のやつにはかなわない。
太陽の下では
なにもかもが青ざめてしまう――。
◇
今回はここまで。
« 山羊の声/「いのちの声」その7 | トップページ | スガンさんの「山羊」/「いのちの声」その9 »
「014中原中也/「山羊の歌」の世界/「羊の歌」から「いのちの声」へ」カテゴリの記事
- 関口隆克のムシュー・スガンのシェブル/「いのちの声」その15(2014.06.25)
- スケープゴート/「いのちの声」その14(2014.06.23)
- 悲劇(トラゴイディア)の山羊/「いのちの声」その13(2014.06.22)
- 山羊の肉感/「いのちの声」その12(2014.06.21)
- マラルメの顔/「いのちの声」その11(2014.06.20)
コメント