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2014年6月28日 (土)

もろに佗(わび)しいわが心/面白い!中也の日本語

はじめに。

2度目に読んだ「山羊の歌」でしたが
一つひとつの詩は初めて読むように面白く
けれども1度目よりも「中へ」入った感覚があり
それは充実した時間でした。

「中へ」入ると
外側からは見えないものが見えてきて
読んだそばから読み返そうとしていて
実際また読み返してみると
それはますます強大な問いになって見えてくるのでした。

「中へ」入ったことが
「進んだ」ことなのではなく
裏返せばまだ読めていないということなのかも知れず
それでまた詩に向かう顔は
苦虫(にがむし)になっている。

こうしていつしか、

一、知れよ、面白いから笑うのであって、笑うから面白いのではない。面白いところでは、人はむし
ろニガムシをつぶしたような表情をする。やがてにっこりするのだが、ニガムシをつぶしているとこ
ろが芸術世界で、笑うところはもう生活世界だといえる。

――という「芸術論覚書」が主張する領域に入っているということなのでしょうか。

何が面白いのだろう。

悲しい詩を読んでも
面白いといえるだろうか――。

いろいろな問いが
すでに駆け巡りますが
いまは苦虫を噛んでいないで
えいっと始めましょう。

中也の詩の面白いところを
さらってみましょう。

題して
「面白い!中也の日本語」です。

そのとっかかりにするのは
これまでの流れで
関口隆克が「羊の歌」を鑑賞したときに語った話です。

この最後のところ「もろに佗(わび)しいわが心」っていう、ここが、みんなイヤでね。相撲なんかでモロにさす、っていって、まったく市井の言葉であって、詩に入る言葉じゃない、ここをよせって言ったんだけれども、中原はどうしてもよさない。直さない。安原君も、恐縮していた。「もろに侘しい」っての、どっか落ち着きが悪いって。

――というくだりです。

今回はここまで。

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