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2014年7月

2014年7月31日 (木)

ボードレールの「月」/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

ボードレールの永井荷風訳「月の悲しみ」(Tristesse de la lune)の冒頭行
「月」今宵(こよひ)いよゝ懶(ものう)く夢みたり。
――が中也の記憶に残ったのかどうか。

月がもの憂い状態にあることを歌った詩が
そうざらに見つかることはないのでしょうが
ボードレールのほかの詩に「憑かれた人」があり
この詩にも「月の倦怠」というモチーフがあることを指摘するのは
「中原中也必携」(学燈社、吉田凞生・編)です。

「月」が制作された大正14年(と吉田は推定)は
中也が上京した年であり
8月頃には「大体詩を専心」しようと決めた年であり
前年に京都で富永太郎と親交を結び
この年4月には小林秀雄を知った中也が
ボードレールに強い影響を受けていた富永、小林との交友の中で
ボードレールに関心を抱いていたことに吉田は着眼しました。

そしてボードレールを渉猟(しょうりょう)したのか
偶然見つけたかしたのでしょう。

いま手元にある「悪の華」(集英社文庫、安藤元雄訳)の
「憑かれた人」に目を通しておきましょう。

37憑かれた人

太陽が喪のヴェールに顔をかくした。それと同じに、
おお わがいのちの月よ! すっぽりと闇に包まれなさい。
眠るもよし 煙草を喫むもよし。じっと黙って、暗い顔で、
『倦怠』の深淵にそっくり沈みこんでいきなさい。

私はそんなおまえが好きだ! けれども、もしもおまえが今日、
蝕みあった天体が薄闇からぬけ出すように、
『狂気』のあるれ返る場所に羽根をひろげてみたいなら、
それもよし! 魅惑にみちた短剣よ、鞘から走れ!

シャンデリアの焔でおまえの瞳に火をともせ!
無作法な男どもの目に欲望の火をともせ!
おまえのすべてが わが喜びだ、しなだれていても活発でも。

好きな姿でいればいいのさ、黒い夜、赤いあけぼの。
ふるえる私の全身の筋という筋が一つ残らず
叫んでやまない、『おお いとしの魔王よ、おまえを崇める!』と。

月が現われ
倦怠が歌われ
短剣が出てくるあたりに
中也の「月」への反映があるといえばありそうなかすかなものですね。

そのためか
「新編中原中也全集」はこの吉田説を案内していません。

新全集が新たに参考文献として紹介するのは
オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」です。

途中ですが今回はここまで。

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2014年7月30日 (水)

読まれるたびに詩は生まれるが/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

「月」の主格を父と見なし
「在りし日の歌」の「月」を同時に読む
中原思郎の眼差しが貴重です。

この眼差しによって
「山羊の歌」を「春の日の夕暮」から読みはじめ
「月」を読み
次に「在りし日の歌」の「月」を読むという道筋を
可能にするからです。

「山羊の歌」と「在りし日の歌」の間に横たわる深い溝は
こうして一っ飛びに越えることができますから
中也の詩の読みに幅が出てきます。

「山羊の歌」と「在りし日の歌」は断絶するものではなく
つながっていることを改めて気づかされるものですし
詩(集)は自由に読まれてよいという道を開いてもいるからです。

一つの詩は
なんとさまざまな読みができるものでありましょう!

もとより詩は人によって着眼するところが異なり
多種多様な読まれ方をしますし
そのどれもが新しい発見に満ちていておかしくはありませんし
詩はあらゆる所あらゆる時に読まれますから
ひっきりなしに新しい詩の読まれ方が生じるものです。

詩は読まれるたびに生まれるのですが……。

難解といわれる詩「月」には
難解であるゆえにか
もっともっと角度の異なる読みが試みられています。

「新編中原中也全集」第1巻の「解題篇」で提案されている読み(参考文献)は
その一部であるのかも知れませんが
多様にある読みのうちの「定説」に近いものでもありますから
それを見てみましょう。

その一つは、
ボードレールの(詩の)影響
もう一つは、
オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」の影響です。

ボードレールの詩は、韻文詩集「悪の花」の中にあり、
中也の同時代訳である永井荷風の翻訳詩集「珊瑚集」中の「月の悲しみ」の冒頭行が
参考文献として挙げられています。

「想を得た」とか「触発された」とか
なんらの断定もされていない記述です。

永井荷風の翻訳を全文引いておきましょう。

月の悲しみ
シャアル・ボオドレエル

「月」今宵(こよひ)いよゝ懶(ものう)く夢みたり。
おびただしき小蒲団(クツサン)に乱れて軽き片手して、
まどろむ前にそが胸の
ふくらみ撫(な)づる美女の如(ごと)。

軟(やはらか)き雪のなだれの繻子(しゆす)の背や、
仰向(あふむ)きて横(よこた)はる月は吐息も長々と、
青空に真白く昇(のぼ)る幻(まぼろし)の
花の如(ごと)きを眺(なが)めやりて、

懶(ものう)き疲れの折折(をりをり)は下界の面(おも)に、
消え易(やす)き涙の玉を落す時、
眠りの仇敵(きゆうてき)、沈思(ちんし)の詩人は、
そが掌(てのひら)に猫眼石の破片(かけ)ときらめく
蒼白(あおじろ)き月の涙を摘取(つみと)りて、
「太陽」の眼(まなこ)を忍(しの)びて胸にかくしつ。

(「珊瑚集」仏蘭西近代叙情詩選 永井荷風訳、新潮社、昭和43年7月20日9刷改版)

途中ですが今回はここまで。

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2014年7月29日 (火)

父・戦争・祖先を歌う流れか/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

「月」といえば、直ちに「父」を連想する先入観が子供たちにある。
――と中原思郎は書きました。

ということは
「山羊の歌」の「月」も
「在りし日の歌」の「月」も
どちらも父・謙助のメタファーという読みになります。

「養父の疑惑――」 養子だった父には、いつも養父の監視の眼がつきまとっていた。
「ああ忘られた運河の岸堤、――戦車の地音」 軍人時代、戦地を思い出す。
「銹びつく鑵の煙草とりいで 月は懶く喫っている。」 ヘビースモーカーだった父は、エヂプト煙草の古いブリキの空罐に入れた刻みたばこを、気力のない手付きで喫っていた。

――と「山羊の歌」の「月」の詩行について
「事典・中也詩と故郷」は続けます。

「七人の天女」 看護婦たちは忙がしげに立ち働いているが、
「汚辱(おじょく)に浸る月の心に なんの慰愛(いあい)もあたえはしない。」 中也の落第は痛恨だった。
「遠にちらばる星と星よ!」 あちこちの患者たちが眼に浮かぶ。
「おまえの劊手を月は待ってる」 外科手術の手伝いをしてくれる軍医時代の部下でもやって来ないかナー、父はもう何もしたくない。

――と「劊手」を「外科手術の手伝い」の意味に取りました。

(「中原中也必携」学燈社、「別冊国文学」1979年夏季号、吉田凞生・編より。)

目から鱗(うろこ)が落ちるようです。
疑問がことごとく氷解してゆきます。
溜飲が下がるとでもいいましょうか。

「サーカス」の「茶色い戦争」や「落下傘奴のノスタルヂア」

「朝の歌」の「鄙びたる 軍楽の憶い」

「都会の夏の夜」の「商用のことや祖先のことや」

「黄昏」の「なんだか父親の映像が気になりだす」

「冬の雨の夜」の「いつだか消えてなくなった、あの乳白の脬囊(ひょうのう)たち」

「逝く夏の歌」の「嘗(かつ)て陥落(かんらく)した海のことを その浪(なみ)のことを語ろうと思う。」や
「騎兵聯隊(きへいれんたい)や上肢(じょうし)の運動や、下級官吏(かきゅうかんり)の赤靴(あかぐつ)のことや、山沿(やまぞ)いの道を乗手(のりて)もなく行く 自転車のことを語ろうと思う。」

「春の思い出」の「古き代(よ)の富みし館(やかた)の カドリール ゆらゆるスカーツ」や
「何時(いつ)の日か絶(た)えんとはする カドリール!」

――等々、「父」や戦争や祖先に関して歌った詩の流れへと続きますから
とても説得力のある読みであることに違いありません。

と同時に
あんまりスッキリした読みなので
むしろ振幅(はば)を失った感じを否めないのはなぜでしょうか。

詩人の含意(の射程)は
もう少し広いのではないか。

父の愁しみを歌うこと自体は自然ですが
「春の日の夕暮」から
「サーカス」を歌い
「朝の歌」を歌う流れを外れてしまうというおそれもあります。

詩人はどこへ行った?
父の愁しみをここでわざわざ歌う必然はないのではないか?
――などという疑問が生じます。

とりわけ「春の日の夕暮」からの繋がりが見えなくなりそうなことが
いっそう新たな読みの探求へと駆り立てることでしょう。

「月」という詩は
詩の作者に最も近く存在した者の読みによって
新たないのちを得ることになりましたが
この読みによって
閉じられたということにはなりません。

次から次へと新しい読みが
試みられ研究され
詩はたえず生成されます。

今回はここまで。


 
今宵(こよい)月はいよよ愁(かな)しく、
養父の疑惑に瞳を睜(みは)る。
秒刻(とき)は銀波を砂漠に流し
老男(ろうなん)の耳朶(じだ)は蛍光をともす。

ああ忘られた運河の岸堤
胸に残った戦車の地音(じおん)
銹(さ)びつく鑵(かん)の煙草とりいで
月は懶(ものう)く喫(す)っている。

それのめぐりを七人の天女(てんにょ)は
趾頭舞踊(しとうぶよう)しつづけているが、
汚辱(おじょく)に浸る月の心に

なんの慰愛(いあい)もあたえはしない。
遠(おち)にちらばる星と星よ!
おまえの劊手(そうしゅ)を月は待ってる

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

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2014年7月28日 (月)

おやじのハゲ頭/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

月は、地球の衛星である月ではなくて
人のメタファー(喩)です。
その人は愁しみのドラマの中にあり
その主人公です。

誰だか不明な人間を月に見立てて
その悲愁の根を
首切りナイフで切り落としてしまいたいと願うほどに
根深い愁しみのようです。

はじめ不明なこの人こそ
詩の作者である詩人にほかならないことが見えてきました。

詩人と遠いところにいる一人の読者が
素手で「月」を読めばこのようになりますが
詩の読みは十人十色、百人百様。
人によってまったく異なる読みが試みられるのが普通です。

幼き日の詩人に最も近くにいた弟、中原思郎は
まったく意外な読みを披瀝していて
とても説得力がありますし
あまりに面白いので
それを見ておくことにしましょう。

「中原中也必携」(学燈社、「別冊国文学」1979年夏季号、吉田凞生・編)の中に
「事典・中也詩と故郷」はあり
「月」に関する記述を読むことができます。

「あゝ」
「いちじく」
「蛙」
「家系」
「帰郷」
「汽笛」
「血縁」
「校外教師」
「権現山(ごんげんやま)」
「三歳の記憶」
「詩的萌芽」
「詩碑」
「泰雲寺(たいうんじ)」
「長門峡(ちょうもんきょう)」
「長楽寺」(ちょうらくじ)」
「月」
「トタンがセンベイ」
「墓」
「椹野川(ふしのがわ)」
「防長新聞(ぼうちょうしんぶん)」
「亡弟」
「骨」
「水無川(みずなしがわ)」
「山羊」
「山口・湯田」
――。

この「事典」の見出し語をすべて挙げてみましたが
タイトル「事典・中也詩と故郷」の通り
中也の先祖から幼少時代のエピソードを集めた事典であり
詩人の故郷への案内になっています。

いまや世界詩人としての評価が高まりつつあり
これまで都会詩人であると見なされてきた中也は
まぎれもなく地方詩人でありました。

もっともどんな国際詩人も
出自となるとローカル色がにじみだすのは当たり前ですが。

中に「月」の項はあります。

「月」を中也の父・謙助と見立てて読んでいます。
一部を読みましょう。

(略)
父謙助の頭髪は、軍人時代の半ばころから薄くなり、爾来急速に禿げつづけ、黄金時代の中期す
でに丸禿げであった。中也ら子供たちは、父の禿げ頭を背ろから指さし、「出た出た月が、まある
いまあるいまんまるい」と歌って笑い転んだ。
(略)

月が「おやじのハゲ頭」だなんて!

オモシロスギマセンカ!


 
今宵(こよい)月はいよよ愁(かな)しく、
養父の疑惑に瞳を睜(みは)る。
秒刻(とき)は銀波を砂漠に流し
老男(ろうなん)の耳朶(じだ)は蛍光をともす。

ああ忘られた運河の岸堤
胸に残った戦車の地音(じおん)
銹(さ)びつく鑵(かん)の煙草とりいで
月は懶(ものう)く喫(す)っている。

それのめぐりを七人の天女(てんにょ)は
趾頭舞踊(しとうぶよう)しつづけているが、
汚辱(おじょく)に浸る月の心に

なんの慰愛(いあい)もあたえはしない。
遠(おち)にちらばる星と星よ!
おまえの劊手(そうしゅ)を月は待ってる

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

途中ですが
今回はここまで。

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2014年7月25日 (金)

大きな手がかり「ああ」/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

第1連と最終連で、
悲愁に暮れている月(誰か)が
首切り(役人)を待っている
――ということがわかり、

各連に月を主語にした述語がはっきり明示され、
月が、
愁しく
懶く
汚辱に浸(り)
待ってる
――のですから
これで大体はつかめたと考えてよいでしょう。

そこでディテール(細部)に目を配る余裕ができます。
「月」の周辺の登場人物の正体や
それぞれの関係を詮索(せんさく)しはじめることになり
詩のレトリック(修辞法)にも目が向かいます。

第1連は「起」。

養父とはだれのことか、とか
その疑惑とはなんのことか、とか
その疑惑に瞳を睜(みは)るのは月のようだがなんのことか、とか
幾つかの問いが生まれますが
さしあたっては言葉通りに読んでおけば済むはずです。

月には養父があり
その養父が疑惑を抱いていて
その疑惑に月は目を凝(こ)らしているのでしょう。

秒刻(とき)は銀波を砂漠に流し
老男(ろうなん)の耳朶(じだ)は蛍光をともす。
――は歯が立たないからパスすることにして。

第1連は最後までやっかいですが
このやっかいさを苦痛にしてはいけません。

第2連は「承」。
1連を受けます。
「愁しみ」が続くのでしょう。

「ああ」と嘆息(たんそく)するのは詩の作者=詩人に違いありません。
詩人が顔を出すのです!
ここに大きな手がかりがありますね。

忘れられた運河の岸堤を
詩人は想起しているようです。

ああ! (みんなあの)運河の岸堤のことを忘れてしまった。

(月の)胸に残った戦車の地音(じおん)。
戦車が大地を轟かす音。
戦争の記憶がよみがえるのです。

銹(さ)びつく鑵(かん)の煙草とりいで
月は懶(ものう)く喫(す)っている。
――は字義通りで
戦争の記憶を呼び起こした月が
浮かぬ思いを抱いてタバコをクサクサとふかしている描写。

運河の岸堤も戦車も戦争も
詩人が実際に見聞きしたものか
喩え(メタファー)としての戦車・戦争かを
どこかで見極めなければなりません。

ここでは
その段階に来ていません。

第3連は「転」。
展開があります。

それ(月)の周りを7人の天女(てんにょ)が踊っています。
先ほどからトーダンスで
月を喜ばそうとしているのですが。

第4連は「結(論)」。

天女たちのダンスは
月をいっこうに慰めないのです。

そして、
あっちの方で瞬(またた)いている星々に向かって
月は呼びかけるのです。
お前の首切りナイフを待ってるぜ、と。

難解難解と感じながらも
なんとか読めたのではないでしょうか。

途中ですが
今回はここまで。


 
今宵(こよい)月はいよよ愁(かな)しく、
養父の疑惑に瞳を睜(みは)る。
秒刻(とき)は銀波を砂漠に流し
老男(ろうなん)の耳朶(じだ)は蛍光をともす。

ああ忘られた運河の岸堤
胸に残った戦車の地音(じおん)
銹(さ)びつく鑵(かん)の煙草とりいで
月は懶(ものう)く喫(す)っている。

それのめぐりを七人の天女(てんにょ)は
趾頭舞踊(しとうぶよう)しつづけているが、
汚辱(おじょく)に浸る月の心に

なんの慰愛(いあい)もあたえはしない。
遠(おち)にちらばる星と星よ!
おまえの劊手(そうしゅ)を月は待ってる

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

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2014年7月24日 (木)

骨格から肉へ/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

悲愁に暮れている月(誰か)が
首切り(役人)を待っているのです。

――と読めたところで
詩の骨格(大意)はつかめたとみなしてよいでしょう。

ここまで読んで
詩を離れてもいっこうに構いません。

次の詩へ進むのも
一つのあり得る詩集の読み方であることでしょう。

「悲しみ」を縦糸(たていと)にして
次に置かれた
「サーカス」
「春の夜」
「朝の歌」
「臨終」
……と詩集を追って行く味わい方もOKでしょう。

いつかまた戻ってきて
もっともっと親密に詩の内部世界へ入りたくなることもあるでしょうし
戻ってこなくても
「月」はしつっこい悲愁(かなしみ)に付き纏(まと)われる誰かが
そのかなしみを首切り役人に断ち切ってほしいことを願う「あの詩だな」くらいで
通り過ぎるのも詩の読み方の一つではあるでしょう。

そうでなければ
あとは肉(ディテール=細部)が残るのですが
それは詩でいえば第2連、第3連です。


 
今宵(こよい)月はいよよ愁(かな)しく、
養父の疑惑に瞳を睜(みは)る。
秒刻(とき)は銀波を砂漠に流し
老男(ろうなん)の耳朶(じだ)は蛍光をともす。

ああ忘られた運河の岸堤
胸に残った戦車の地音(じおん)
銹(さ)びつく鑵(かん)の煙草とりいで
月は懶(ものう)く喫(す)っている。

それのめぐりを七人の天女(てんにょ)は
趾頭舞踊(しとうぶよう)しつづけているが、
汚辱(おじょく)に浸る月の心に

なんの慰愛(いあい)もあたえはしない。
遠(おち)にちらばる星と星よ!
おまえの劊手(そうしゅ)を月は待ってる

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

そこでまた読み返してみれば
第1連=起
第2連=承
第3連=転
第4連=結
――の整った形が見え
骨格はいっそうはっきりつかめることでしょう。

過程、経緯を歌った部分である
第2連と第3連は
なにを歌っているのでしょうか?

そこで繰り返し繰り返し
全体をまた読みます。

ここで「月」に現われる登場するモノ(者・物)を
擬人化されたキャラクターを含めて整理してみましょう。


養父
老男
七人の天女
星(と星)
劊手(そうしゅ)
――となります。

主格は月ですね。

よく読めば
すべての連に月は登場しています。

今宵(こよい)月はいよよ愁(かな)しく、=第1連
月は懶(ものう)く喫(す)っている。=第2連
汚辱(おじょく)に浸る月の心に=第3連
おまえの劊手(そうしゅ)を月は待ってる=第4連

ますます整った形の詩であることが見えてきました。

月は、
愁しく
懶く
汚辱に浸(り)
待ってる
――のです。

月と養父の関係はどうなっているのか?
養父と老男は同一人物か?
同一人物ならば
なぜ養父が出てくるのか?

第3連の「それ」は月だから
7人の天女が月の周りを踊っているのですが、
この7人の天女は
一般名詞ではなく固有名詞でありそうだ

――などといろいろと疑問が出てきたり
不明な部分が明らかになったりします。

途中ですが
今回はここまで。

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2014年7月23日 (水)

素手(すで)で「月」をつかむ/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)


 
今宵(こよい)月はいよよ愁(かな)しく、
養父の疑惑に瞳を睜(みは)る。
秒刻(とき)は銀波を砂漠に流し
老男(ろうなん)の耳朶(じだ)は蛍光をともす。

ああ忘られた運河の岸堤
胸に残った戦車の地音(じおん)
銹(さ)びつく鑵(かん)の煙草とりいで
月は懶(ものう)く喫(す)っている。

それのめぐりを七人の天女(てんにょ)は
趾頭舞踊(しとうぶよう)しつづけているが、
汚辱(おじょく)に浸る月の心に

なんの慰愛(いあい)もあたえはしない。
遠(おち)にちらばる星と星よ!
おまえの劊手(そうしゅ)を月は待ってる

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「山羊の歌」で2番目に配置されている「月」は
難解な詩ですが
難解な詩であることのために
難解な詩を読み解く楽しみがある詩でもあります。

素手(すで)でこの詩を読むと
難解さを倍加させることになりそうですが
一概にそうとは言えず
参考書のようなものに頼れば頼るほど
詩が遠ざかっていくというような羽目に陥ることもありますから
用心しなければなりません。

なんにも頼らずに
詩と向き合っているだけのほうが
詩に近づけるケースというものがあります。

一読して、うーんと頭をかかえてしまいそうですが
やっぱりここは
「春の日の夕暮」からの流れに置いて
読むと見えてくるものがあります。

瓦がはぐれた――。

ここに「春の日の夕暮」は動きはじめました。
ここでスイッチ・オンの状態に入りました。

夕暮が静脈管の中へ前進するのですが
それがどうしたというのでしょうか?

美しいのでしょうか
悔しいのでしょうか
悲しいのでしょうか
寂しいのでしょうか
空しいのでしょうか
焦っているのでしょうか
怒っているのでしょうか
……。

さしあたっては
ヒントがこのあたりにありそうと見当をつけてみますと……。

夕暮れの中に
一人ぽつねんとしている詩人の姿が見えてきます。

その流れではないだろうか。

「月」が難解なのは
特に第1連。
そのうち第3行、第4行は特に。

秒刻(とき)は銀波を砂漠に流し
老男(ろうなん)の耳朶(じだ)は蛍光をともす。
――は、歯が立ちませんから飛ばしましょう。

(最後になれば理解できるかもしれませんし、理解は永遠に訪れないかもしれません。)

第1行に
今宵(こよい)月はいよよ愁(かな)しく、
――とあり
最終行が
おまえの劊手(そうしゅ)を月は待ってる
――で終わっていることを読み取ることができれば
しめた!ではないでしょうか。

悲愁に暮れている月(誰か)が
首切り(役人)を待っているのです。

月がこの悲しみを
断ち切ってほしいと願っているのです。

となると、
月は私=詩人でしょうか?
ほかの人物でしょうか?

こんな疑問が出てきます。

なんの前知識もなく「月」を読んで
糸口をつかむには
何度も何度も読むしかありません。

ある時、ふと気がつくのです。

今回はここまで。

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2014年7月22日 (火)

それは女か?/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

恋の終わりは世界の終わり。
――であるかのように「羊の歌」は凍(こご)えるこころを歌って閉じるのですが
「いのちの声」冒頭連では
僕は何かを求めている、
絶えず何かを求めている。
――と歌う自問の中で
それは女か? 
甘いものか?
それは栄誉か?
――と恋は「女」として客観化されます。

あられもない姿をさらした詩人は
女一般を歌えるところに来ています。

詩人は立ち直ったのです。

「山羊の歌」に充満する恋愛は
詩(人)論を歌う過程で
恋愛詩論を呼び出し
詩(人)論への問いを生みながら
それを補完し強化し
消えて行きました。

詩とはなにか――。

「それ」の答えを探す旅が
一巡りしたかのようです。

ゴミゴミゴミゴミ
懐疑の小屑を腹の底に抱えたまま
詩人はやがて
夜の波止場裏の路地にさしかかります。

だらだらだらだら
しつこい雨が降る中を
ゴム合羽をひっかけて行くのは
ベルレーヌさんです。

「在りし日の歌」の「夜更の雨」へは
もう一息のところへ詩人は来ています。

いっぽう、

瓦が一枚はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら前進します
自らの静脈管の中へです。
――と歌った「春の日の夕暮」から
詩人は前進したといえるのでしょうか?

「山羊の歌」2番目の詩「月」の愁しみへと
ふたたびやって来ました。

「在りし日の歌」の詩(人)論
そして恋愛詩論の行方はどうなることでしょう。

引き続き注目されるところですが
「山羊の歌」にも
「在りし日の歌」にも
「月」が置かれているのは
なんともいえない配剤の妙というものでしょうか
どちらへも道は開かれています。

今回はここまで。
ここでは「夜更の雨」を読んでおきましょう。

「夜更の雨」は
「含羞」「むなしさ」に続いて
「在りし日の歌」3番目に配置されている詩です。

夜更の雨
    ――ヴェルレーヌの面影――
 
 
雨は 今宵(こよい)も 昔 ながらに、
  昔 ながらの 唄を うたってる。
だらだら だらだら しつこい 程だ。
  と、見る ヴェル氏の あの図体(ずうたい)が、
倉庫の 間の 路次(ろじ)を ゆくのだ。

倉庫の 間にゃ 護謨合羽(かっぱ)の 反射(ひかり)だ。
  それから 泥炭(でいたん)の しみたれた 巫戯(ふざ)けだ。
さてこの 路次を 抜けさえ したらば、
  抜けさえ したらと ほのかな のぞみだ……
いやはや のぞみにゃ 相違も あるまい?

自動車 なんぞに 用事は ないぞ、
  あかるい 外燈(ひ)なぞは なおの ことだ。
酒場の 軒燈(あかり)の 腐った 眼玉よ、
  遐(とお)くの 方では 舎密(せいみ)も 鳴ってる。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

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2014年7月21日 (月)

身も世もない恋の残骸/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

ひっぱったゴムを手離したように
――というのは
いったんは手元において制御しておいた気持ちを
好きなようにしなさいとばかりに手離して
解放するという意味合いでしょうか。

こうして自分に帰った詩人ですが
やっぱり何か世間の人のするようなことをしなければと思うと
百貨店の配達人(の物腰)を見てさえ驚嘆し(感心)するほど
(誠実そうで小心そうな気持ちを装ってみたりして)
気持ちの底はゴミゴミゴミゴミ懐疑の屑だらけ。

解放感とゴミゴミ感とのジレンマ(二律背反)が
憔悴の元になるのです。

恋愛詩よりましな詩境を求めて
もっといい詩を作りたいとあがく行為は
それ自体が詩(人)論になるのですが
「憔悴」という詩に恋愛詩論は歌われていても
恋愛は歌われていないことにふとここで気づいてしまい
目が開かれる思いです。

恋愛詩はどこで途絶えたのだろう?
――という眼差しで「山羊の歌」を見ると
「憔悴」になく
「いのちの声に」なく
「羊の歌」が最後であることを発見します。

「羊の歌」の第3節、
9歳の子供がありました
――にはじまる6行3連と
もう一つは第4節
さるにても、もろに侘しいわが心
――ではじまる第4節が
集中で最後の恋愛詩になるのです。

第3節を恋愛詩と見なすことができるのは
ボードレールのエピグラフ、
我が生は恐ろしい嵐のようであった、
其処此処に時々陽の光も落ちたとはいえ。
――があるので間違いないことでしょう。

恐ろしい嵐のような人生にも
陽の光が落ちたことがあるというのは
遠い日の恋を指している以外に考えられませんから。

9歳の女の子と過ごした
完全無垢な恋の時間がここで歌われましたが
この恋が泰子との恋でない理由は見当たりません。

そして第4節こそ
「山羊の歌」の最後の恋愛詩ですが
そこに歌われるのは
身も世もない恋の残骸!

凍(こご)える詩人の声が聞こえてくるばかりです。

その声が破調を孕んだ五七のリズムの中に刻まれました。

最後の行に
ながる涙は、人恋うる涙のそれにはもはやあらず……
(流れる涙は、人を恋する涙ではもはやない……)
――とあるのは
恋愛が完全に消えて無くなったことを歌っていますが
この詩が恋愛の消滅を歌った恋愛詩であることに変わりはありません。

ここに「羊の歌」の第3節と第4節だけを
掲出しておきましょう。

   Ⅲ

     我が生は恐ろしい嵐のようであった、
     其処此処に時々陽の光も落ちたとはいえ。
                    ボードレール

九歳の子供がありました
女の子供でありました
世界の空気が、彼女の有であるように
またそれは、凭(よ)っかかられるもののように
彼女は頸(くび)をかしげるのでした
私と話している時に。

私は炬燵(こたつ)にあたっていました
彼女は畳に坐っていました
冬の日の、珍(めずら)しくよい天気の午前
私の室には、陽がいっぱいでした
彼女が頸かしげると
彼女の耳朶(みみのは)陽に透(す)きました。

私を信頼しきって、安心しきって
かの女の心は密柑(みかん)の色に
そのやさしさは氾濫(はんらん)するなく、かといって
鹿のように縮かむこともありませんでした
私はすべての用件を忘れ
この時ばかりはゆるやかに時間を熟読翫味(じゅくどくがんみ)しました。

   Ⅳ

さるにても、もろに佗(わび)しいわが心
夜(よ)な夜なは、下宿の室(へや)に独りいて
思いなき、思いを思う 単調の
つまし心の連弾(れんだん)よ……

汽車の笛(ふえ)聞こえもくれば
旅おもい、幼(おさな)き日をばおもうなり
いなよいなよ、幼き日をも旅をも思わず
旅とみえ、幼き日とみゆものをのみ……

思いなき、おもいを思うわが胸は
閉(と)ざされて、醺生(かびは)ゆる手匣(てばこ)にこそはさも似たれ
しらけたる脣(くち)、乾きし頬(ほう)
酷薄(こくはく)の、これな寂莫(しじま)にほとぶなり……

これやこの、慣れしばかりに耐えもする
さびしさこそはせつなけれ、みずからは
それともしらず、ことように、たまさかに
ながる涙は、人恋(ひとこ)うる涙のそれにもはやあらず……

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

今回はここまで。

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2014年7月20日 (日)

恋愛詩は愚劣じゃない/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

詩(人)論としての詩なら
「羊の歌」よりも「いのちの声」よりも
「憔悴」が面白いというのは
そこに真っ向から恋愛詩について歌っているという一点にあります。

なんの衒(てら)いもなくといえば語弊(ごへい)がありますが
恥をかなぐり捨ててというほど恋愛を恥じていたものではなく
堂々と恋愛詩論を詩人論として詩の中で歌うのは
日本詩の流れの中でも珍しいことでしょう。

まずはそういう意味で
面白いといわねばなりますまい。

これを面白く思わない
モダニスト詩人たちや
プロレタリアート詩人たちや
星菫派詩人たちの苦虫が浮かんでくるようです。

その恋愛詩論の部分は
「Ⅱ」で歌われています。

   Ⅱ

昔 私は思っていたものだった
恋愛詩なぞ愚劣(ぐれつ)なものだと

今私は恋愛詩を詠(よ)み
甲斐(かい)あることに思うのだ

だがまだ今でもともすると
恋愛詩よりもましな詩境にはいりたい

その心が間違っているかいないか知らないが
とにかくそういう心が残っており

それは時々私をいらだて
とんだ希望を起(おこ)させる

昔私は思っていたものだった
恋愛詩なぞ愚劣なものだと

けれどもいまでは恋愛を
ゆめみるほかに能がない

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「恋愛詩」と「恋愛」を使い分けているところを
見逃してはいけませんが

昔私は思っていたものだった
恋愛詩なぞ愚劣なものだと

――には
「今は」恋愛詩を愚劣などとは思っていないというメッセージが
果敢に歌われていると読むのが自然でしょう。

その上で「今」
恋愛詩よりもましな詩境にはいりたい
――と新たな詩を求めている心のうちが明かされるのです。

このように歌ったあとで
第3、第4節を歌い
第5節では
青空を喫(す)う 閑(ひま)を嚥(の)む
蛙(かえる)さながら水に泛(うか)んで
夜(よる)は夜とて星をみる

――という自分に帰る詩人です。

今回はここまで。

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2014年7月19日 (土)

「憔悴」の詩(人)論/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

「羊の歌」を作り
「憔悴」を作り
「いのちの声」を作る過程は
一方向的な流れというよりも
行きつ戻りつする「可逆時間」を詩人が支配していました。

詩集を作ろうという意志を詩人は持ち
編集する意志に満たされていたはずでした。

この過程で生まれた詩は
この3作のほかに「宿酔」があるだけのようです。

詩(人)論の詩の系譜を見るうちに
恋愛詩の系譜へのクロスオーバーにたどり着きました。

「山羊の歌」は
つまるところここへ行き着き
またここから離れ
ここを通過しないでは読めない詩集であることを知ったようです。

「憔悴」は
そのことを歌った詩(人)についての詩です。
詩(人)論が全面展開されています。

――ということがどんなに面白いことであるかを知ったということですが
それは裏返せば
「羊の歌」よりも「いのちの声」よりも面白いという意味をもつということですよ!

ここでしっかり
「憔悴」を読み直しておきましょう。

憔 悴
 
       Pour tout homme, il vient une èpoque
     
       où l'homme languit. ―Proverbe.

       Il faut d'abord avoir soif……
                       
                 ――Cathèrine de Mèdicis.

私はも早、善(よ)い意志をもっては目覚めなかった
起きれば愁(うれ)わしい 平常(いつも)のおもい
私は、悪い意志をもってゆめみた……
(私は其処(そこ)に安住したのでもないが、
其処を抜け出すことも叶(かな)わなかった)
そして、夜が来ると私は思うのだった、
此(こ)の世は、海のようなものであると。

私はすこししけている宵(よい)の海をおもった
其処を、やつれた顔の船頭(せんどう)は
おぼつかない手で漕(こ)ぎながら
獲物があるかあるまいことか
水の面(おもて)を、にらめながらに過ぎてゆく

   Ⅱ

昔 私は思っていたものだった
恋愛詩なぞ愚劣(ぐれつ)なものだと

今私は恋愛詩を詠(よ)み
甲斐(かい)あることに思うのだ

だがまだ今でもともすると
恋愛詩よりもましな詩境にはいりたい

その心が間違っているかいないか知らないが
とにかくそういう心が残っており

それは時々私をいらだて
とんだ希望を起(おこ)させる

昔私は思っていたものだった
恋愛詩なぞ愚劣なものだと

けれどもいまでは恋愛を
ゆめみるほかに能がない

   Ⅲ

それが私の堕落かどうか
どうして私に知れようものか

腕にたるんだ私の怠惰(たいだ)
今日も日が照る 空は青いよ

ひょっとしたなら昔から
おれの手に負えたのはこの怠惰だけだったかもしれぬ

真面目(まじめ)な希望も その怠惰の中から
憧憬(しょうけい)したのにすぎなかったかもしれぬ

ああ それにしてもそれにしても
ゆめみるだけの 男になろうとはおもわなかった!

   Ⅳ

しかし此の世の善だの悪だの
容易に人間に分りはせぬ

人間に分らない無数の理由が
あれをもこれをも支配しているのだ

山蔭(さんいん)の清水のように忍耐ぶかく
つぐんでいれば愉(たの)しいだけだ

汽車からみえる 山も 草も
空も 川も みんなみんな

やがては全体の調和に溶けて
空に昇って 虹となるのだろうとおもう……

   Ⅴ

さてどうすれば利(り)するだろうか、とか
どうすれば哂(わら)われないですむだろうか、とかと

要するに人を相手の思惑(おもわく)に
明けくれすぐす、世の人々よ、

僕はあなたがたの心も尤(もっと)もと感じ
一生懸命郷(ごう)に従ってもみたのだが

今日また自分に帰るのだ
ひっぱったゴムを手離したように

そうしてこの怠惰の窗(まど)の中から
扇(おうぎ)のかたちに食指をひろげ

青空を喫(す)う 閑(ひま)を嚥(の)む
蛙(かえる)さながら水に泛(うか)んで

夜(よる)は夜とて星をみる
ああ 空の奥、空の奥。

   Ⅵ

しかし またこうした僕の状態がつづき、
僕とても何か人のするようなことをしなければならないと思い、
自分の生存をしんきくさく感じ、
ともすると百貨店のお買上品届け人にさえ驚嘆(きょうたん)する。

そして理窟(りくつ)はいつでもはっきりしているのに
気持の底ではゴミゴミゴミゴミ懐疑(かいぎ)の小屑(おくず)が一杯です。
それがばかげているにしても、その二っつが
僕の中にあり、僕から抜けぬことはたしかなのです。

と、聞えてくる音楽には心惹(ひ)かれ、
ちょっとは生き生きしもするのですが、
その時その二っつは僕の中に死んで、

ああ 空の歌、海の歌、
僕は美の、核心を知っているとおもうのですが
それにしても辛いことです、怠惰を逭(のが)れるすべがない!

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

この詩でもっとも詩(人)論が剥き出しになっているのは
「Ⅴ」の、

今日また自分に帰るのだ
ひっぱったゴムを手離したように

そうしてこの怠惰の窗(まど)の中から
扇(おうぎ)のかたちに食指をひろげ

青空を喫(す)う 閑(ひま)を嚥(の)む
蛙(かえる)さながら水に泛(うか)んで

夜(よる)は夜とて星をみる

――でしょう。

末行に
ああ 空の奥、空の奥。
――とあるのに撹乱(かくらん)されずに読んでおきましょう。

今回はここまで。

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2014年7月18日 (金)

充満する失われた恋/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

「山羊の歌」の「秋」の章は
「秋」
「修羅街輓歌」
「雪の宵」
「生い立ちの歌」
「時こそ今は……」
――の5作構成で
「秋」はこれも唐突であるかのように
死ももう、とおくはないのかもしれない……
――と僕の死が歌われる第1節に続いて
僕が死んでしまった後で
それを見届けた女性と死んだ僕との会話で作る第2節となります。

死が詩の前面に浮かんできた「秋」の章です。

忌まわしき過去への挽歌を歌い(修羅街輓歌)
別れた女は思い出となり(雪の宵)
半生を振り返る(生い立ちの歌)のは自然の成り行きですから
「時こそ今は……」の恋は
絶頂を歌っているようでありながら
過去へと遠のいていることに気づかねばなりません。

詩人の恋は
ではいったい春があり夏があったのでしょうか。

「山羊の歌」では
はじめから終わりまで
失われた恋ばかりが歌われたのではないか。
――という疑問が生じます。

疑問の目で「黄昏」や「深夜の思い」あたりまで遡ると
すでに恋は失われていることを知らされるのです。

ではもっと前に作られた
「朝の歌」や
「臨終」や
「春の夜」や
「サーカス」や
「月」はどうなのか。

これらの詩に失われた恋は充満しているともいえるのに
なぜそのように読まないかが不思議に思えてきます。

どんどん脱線していくようですが
詩(人)論の詩の系譜は
恋愛詩の系譜とクロスするのですから
脱線とはいえないことがやがてわかります。

しかし結論を急ぐのはやめて
「山羊の歌」の最終章「羊の歌」の詩(人)論の詩を追うことにしましょう。

「羊の歌」という章は
「詩(人)論」の詩の集大成のように捉えられることが多いのですが
それはどういうことかを見ることになります。

「羊の歌」は、

「秋」で歌った死を継ぐかのように
のっけから「死の時」を歌う詩です。

この詩ににはじまる「羊の歌」の章の詩については
すでに立ち入った読みを試みました。

「羊の歌」は
「冬の時代へ」ではじまる計6回のシリーズ、

「憔悴」は
「雌伏中に歌った」ではじまる計7回のシリーズ、

「いのちの声」は
「詩集の最終詩」ではじまる計15回のシリーズでしたから
参照してみてください。

途中ですが今回はここまで。

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2014年7月17日 (木)

詩(人)論と恋愛詩と/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

「心象」の、

亡びたる過去のすべてに
涙湧く。

――にも詩が発生するわけが明示されています。
涙は詩にほかなりません。

涙は、
あわれわれ死なんと欲(ほっ)す、
あわれわれ生きんと欲す
――と続いて歌われる詩人の生き死にを左右するほどのものです。

「みちこ」の章へ入って
「無題」では、
唐突であるかのように
「こい人よ」の呼びかけで詩が歌い出されます。

「山羊の歌」には
「恋愛詩」の系譜があり
詩(人)論の系譜とからまっているところも見逃せませんが
いまここではそれに深入りしません。

深入りしませんが
二つの系譜の詩を截然(せつぜん)と分けることができないケースが
やがて「憔悴」として現われます。

「無題」も
恋愛だけを歌っているものでないのは

頑(かたく)なの心は、不幸でいらいらして、
  せめてめまぐるしいものや
  数々のものに心を紛(まぎ)らす。
  そして益々(ますます)不幸だ。

――などと最終節にあることから分かります。

恋愛詩は詩(人)論の詩とからむこともあるのは
詩人論の詩が自然詠とからむことがあるのと同じです。

「みちこ」の章が
「みちこ」
「汚れっちまった悲しみに……」
「無題」
「更くる夜」
「つみびとの歌」
――の5篇で構成されているのは
このあたりの事情の反映でしょう。

(最終章「羊の歌」の「憔悴」は、これらの事情を一つの詩の中で展開した詩です。)

「更くる夜」は、

その頃です、僕が囲炉裏(いろり)の前で、
  あえかな夢をみますのは。

――と詩の発生の瞬間を歌い出しますが
あえかな夢は「損なわれて」いることが明かされます。

損なわれたものであっても
この夜に詩人はそれを
感謝の気持ちで聴き入ることができたのです。

その夜自体が
詩の元でした。

「つみびとの歌」は、

わが生(せい)は、下手な植木師らに
あまりに夙(はや)く、手を入れられた悲しさよ!

――と詩(人)の淵源に遡(さかのぼ)ります。

「秋」の章に入っても
事情は「みちこ」の章と変わりません。

変わっているのは
頂点を過ぎたというところです。
「修羅街輓歌」は「秋」の章に置かれています。

ほんに前後もみないで生きて来た……
私はあんまり陽気にすぎた?
――無邪気な戦士、私の心よ!
それにしても私は憎む、
対外意識にだけ生きる人々を。
――パラドクサルな人生よ。

――に表明される来し方(淵源を含む)を振り返る眼差しはいっそう煮詰まり
憎むべき対象(人々)が詩の言葉になります。

それよかなしき
拳(こぶし)する
せつなきことのかぎりなり。

――にはかなしいというよりも怒りがにじみます。

この「拳=こぶし」は
「いのちの声」の「怒れよ!」に繋がっています。

途中ですが今回はここまで。

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2014年7月16日 (水)

詩人が描いた自我像/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

「山羊の歌」は「初期詩篇」を終えても
詩(人)に関して歌う詩が繰り返し繰り返し続くことを
改めて発見することになります。

こんなにも
詩人は詩について歌わねばならなかったのだ!

「少年時」は、

夏の日の午過(ひるす)ぎ時刻
誰彼(だれかれ)の午睡(ひるね)するとき、
私は野原を走って行った……

私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦(あきら)めていた……
噫(ああ)、生きていた、私は生きていた!
――と詩はもはや生きることとピッタリ重なります。

「盲目の秋」については繰り返すようですが、

第1節で、

風が立ち、浪(なみ)が騒ぎ、
  無限の前に腕を振る。

その間(かん)、小さな紅(くれない)の花が見えはするが、
  それもやがては潰(つぶ)れてしまう。

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまえに腕を振る。

もう永遠に帰らないことを思って
  酷薄(こくはく)な嘆息(たんそく)するのも幾(いく)たびであろう……

私の青春はもはや堅い血管となり、
  その中を曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽とがゆきすぎる。

それはしずかで、きらびやかで、なみなみと湛(たた)え、
  去りゆく女が最後にくれる笑(えま)いのように、
  
厳(おごそ)かで、ゆたかで、それでいて佗(わび)しく
  異様で、温かで、きらめいて胸に残る……

      ああ、胸に残る……

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまえに腕を振る。

――と絶唱する中に
「曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽」を歌って
詩のいのちのようなものを喩(たと)えました。

「寒い夜の自我像」は、

きらびやかでもないけれど
この一本の手綱(たずな)をはなさず
この陰暗の地域を過ぎる!
その志(こころざし)明らかなれば
冬の夜を我(われ)は嘆(なげ)かず
人々の憔懆(しょうそう)のみの愁(かな)しみや
憧れに引廻(ひきまわ)される女等(おんなら)の鼻唄を
わが瑣細(ささい)なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。

蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、
聊(いささ)かは儀文(ぎぶん)めいた心地をもって
われはわが怠惰(たいだ)を諫(いさ)める
寒月(かんげつ)の下を往(ゆ)きながら。

陽気で、坦々(たんたん)として、而(しか)も己(おのれ)を売らないことをと、
わが魂の願うことであった!

――と全15行が詩(人)の宣言(マニフェスト)と化します。

自我を見つめた自画像が
この詩に描かれたのです。

「木蔭」には、

忍従(にんじゅう)することのほかに生活を持たない
怨みもなく喪心(そうしん)したように

「失せし希望」には、

今はた此処(ここ)に打伏(うちふ)して
  獣(けもの)の如くは、暗き思いす。

――とあるのが詩の元以外ではありません。

「夏」の、

血を吐くようなせつなさかなしさ

――も詩の元です。

途中ですが今回はここまで。

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2014年7月15日 (火)

詩は「ためいき」である/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

「悲しき朝」は、

知れざる炎、空にゆき!
響(ひびき)の雨は、濡(ぬ)れ冠(かむ)る!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
われかにかくに手を拍く……
――に切迫した詩心の芽生えが歌われています。

幼い日の経験の中に
詩人は「詩」が訪れた瞬間を見い出しました。

「夕照」は、

かかる折(おり)しも我(われ)ありぬ
少児(しょうに)に踏まれし
貝の肉。

かかるおりしも剛直(ごうちょく)の、
さあれゆかしきあきらめよ
腕拱(く)みながら歩み去る。

――という第3、第4連に
やはり詩にしか歩むべき道を見い出さなかった
詩人の決意を歌いました。

この詩を歌ったころ
決意はすでに固く

剛直であり
ゆかしきあきらめさえ
詩人のものでした。

「港市の秋」は、

私はその日人生に、
  椅子(いす)を失くした。
――に詩人の出発はあります。

居所(いどころ)がないという感覚により
詩人は歩き続けます。

「ためいき」は、
言いかえれば詩のことです。

この詩についても
これまでに何回か長い読みを試みました。
→きらきら「初期詩篇」の世界/11「ためいき」

「ためいき」は
詩論であり詩人論ですから
ここに詩を掲げておきましょう。

この詩のどこに「詩」があるか?っていったって
そうたやすく見つけられるものではありませんが。

ためいき
       河上徹太郎に 
 
ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気(しょうき)の中で瞬(まばた)きをするであろう。
その瞬きは怨めしそうにながれながら、パチンと音をたてるだろう。
木々が若い学者仲間の、頸(くび)すじのようであるだろう。

夜が明けたら地平線に、窓が開くだろう。
荷車(にぐるま)を挽(ひ)いた百姓が、町の方へ行くだろう。
ためいきはなお深くして、
丘に響きあたる荷車の音のようであるだろう。

野原に突出(つきで)た山(やま)ノ端(は)の松が、私を看守(みまも)っているだろう。
それはあっさりしてても笑わない、叔父(おじ)さんのようであるだろう。
神様が気層(きそう)の底の、魚を捕っているようだ。

空が曇ったら、蝗螽(いなご)の瞳が、砂土(すなつち)の中に覗(のぞ)くだろう。
遠くに町が、石灰(せっかい)みたいだ。
ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光っている。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「月」や「凄じき黄昏」や「深夜の思い」なども
「ためいき」と似ているところがあります。

読みようによっては
これらも詩についての詩であると取ることができそうです。

「春の日の夕暮」がそうであるように
詩についての詩でない詩を探すことのほうが難しいほど
「初期詩篇」に配置された詩は
詩について歌われていると読んでもそれほど間違わないことでしょう。

今回はここまで。

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2014年7月14日 (月)

空を飛ぶ「知れざる炎」/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

詩論・詩人論を歌った詩を
「山羊の歌」の「初期詩篇」からひろっています。

「悲しき朝」については
先に「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「悲しき朝」――と題してじっくり読み、
「詩の発生」についても詳しく書きましたから
一部に修正を加えたものを再び読んでおきましょう。

4回にわたって記録したものを
一挙に読みます。

悲しき朝
  
河瀬(かわせ)の音が山に来る、 
春の光は、石のようだ。 
筧(かけい)の水は、物語る 
白髪(しらが)の嫗(おうな)にさも肖(に)てる。

雲母(うんも)の口して歌ったよ、 
背ろに倒れ、歌ったよ、 
心は涸(か)れて皺枯(しわが)れて、 
巌(いわお)の上の、綱渡り。

知れざる炎、空にゆき!

響(ひびき)の雨は、濡(ぬ)れ冠(かむ)る!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

われかにかくに手を拍く……

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

詩は省略の多少を按配(あんばい)することで作られている――といってよいほど
1字1句、1行1行、1連1連……
詩の全体の細部にわたる省略の建築みたいなもので
その過不足によって詩心は刻まれ
形になります。

「悲しき朝」は
省略というありふれた技法を使って
春の朝の山村の情景に
老女に物語らせ
幼児に歌わせ
詩の「ありか」を歌います。

なぜ「悲しき」なのか。
省略を極限までほどこした果てに
「詩」は知れざる炎となって空へ行き
響(ひびき)の雨となってずぶ濡れになります。

炎であり
雨であり
「……」であり

詩人が歌おうとした「詩」は
言い尽くせぬ
言うに言われぬ
「……」であり

幼い日
口をとがらせて歌ったあの時の
涸れて皺枯(しわが)れて
いわばしる滝の上を渡っていった
あの歌で…………

「悲しき朝」は
詩人の故郷のものらしき河瀬の音を歌いだし(遠景)
やがて、昔日に、一人岩場に歌う詩人(近景)をとらえます。

そして後半部に入って「展開」があるはずが

知れざる炎、空にゆき!

響(ひびき)の雨は、濡(ぬ)れ冠(かむ)る!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

われかにかくに手を拍く……

――と俗に言えば「感極まって」閉じます。

連の形をつくらずに詩は完結するのです。
後半のこの4行は
きっと4連の省略です。

省略は詩を生む有力な武器ですが
それが強い分だけ
説明とか描写とか独白とか……
詩行としてあってもおかしくない部分がなくなるわけですから
想像力による補完を求められたり
読み違いを生じさせたり
詩に強度が増すいっぽうで難しさも加わります。

冒険ともいえるような
言語の遊びもしくは実験を
詩人は詩を書きはじめたダダ時代以来
果敢に本気で試みています。
この詩もその例です。

後半部の4行をいかに読むか――。

4行は
前半2連と何らかは連続しているのですから
4行はみんな
河瀬の音を聴きながら
雲母の口をして歌った、という描写を受けているものと読むのが自然でしょう。

これ(前半と後半)が無関係であったら
まったく詩を読むことはできなくなります。

前半2連に引き続いて
詩は詩人の「思い」を述べている――。

あの時の情景を振り返る詩人の思いは
次第に乱れあるいは高まり
口をとがらせてしゃがれるまでに歌った「ぼく」の心に
すっかりかぶさりますが……

あの時
「知れざる炎」が空に飛んでいったのだ!
「響の雨」はぼくを濡れ冠むったのだ!
……

行末に「!」が連続していることは
この2行が同格を示しているものといえるでしょう。

3行目の「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」と
最終行の末尾「……」も同格らしい。

こみ上げてきて言い尽くせぬ思い
言ってはいけない秘密のようなもの。

「知れざる炎」も「響の雨」も
詩人が河瀬で歌った過去に喚起されて
現在の詩人の中に湧き起こった思いです。
それを「詩の言葉」にしたものです。

今日この日に河瀬に来て
昔のある日の経験を思い出して書いたのか
河瀬をこの詩を書いた時の詩人が見たかどうかはわかりませんが
遠い日の思い出が現在にかぶさってきて
詩人の心は揺れています。

「……」は
詩人の心の揺れを表わすでしょう。
その揺れこそ
「詩」を書くことそのものに繋がります。
「詩」そのものかもしれません。

「悲しき朝」は
なぜ「悲しき」なのでしょう?
どこがどのように悲しいのでしょう?

この詩の中に
それを明示する詩語を見つけるのは
困難といえば困難でしょうが
ヒントくらいは見つかるでしょう、きっと。

それを見つけることは
この詩を読むのに等しいことかもしれません。

1行1行を読み返してみれば
「悲しみ」につながるものならば
「響の雨」という言葉に強く吸引されます。

「悲しみ」ならば
「炎」よりも「雨」になりますから。

「響の雨」とは
第1連、第2連を通じて歌われている
河瀬の音であると同時に
それを聞きながらぼくが口をとがらせて歌った歌が
岩の上を綱渡りしていく声でもあります。

河瀬をバックに歌ったぼくの声は
カラカラの心が歌ったしゃがれ声でした。
その歌が滝の岩の上を走るのです。

雨も炎も
同じことのようですね。

雲母の口して歌ったよ、 
背ろに倒れ、歌ったよ、 
心は涸(か)れて皺枯(しわが)れて、 
巌(いわお)の上の、綱渡り。
――という第2連が
単なる情景描写ではないのを
なぜ感じられるのでしょうか。

ここにこの詩の最大の不思議があるのですが
よくよく考えてみると
幼い子どもであった詩人が巨大な滝を背に
声を枯らして歌っているというその一種異様な姿が
異様ではなく自然に歌われているこの連は
この詩の中で詩人その人のその心に
もっとも接近している部分です。

詩人の思いを
もっともクローズアップする詩行です。

雲母の口して
背に倒れ
歌った
――という状況にいたるまでにどのような経緯があったのか
想像するのはそれほど困難なことではありません。

巌を背にして
子どもがひとりぼっちで
声を限りに歌っているのです。
「悲しみ」の元が
このあたりにありそうです。

後半部の「省略」は
詩(人)が自ずと辿(たど)った結果といえるものですから
隠された無数の言葉を思い巡らすことは
かなり無意味なことになりましょう。

想像が的外れになり
無闇に想像すれば
詩を見失うことになります。



この詩を再び一歩距離をおいて読んでみると
第1連が「起」
第2連が「承」
「知れざる炎、空にゆき!」
「響(ひびき)の雨は、濡(ぬ)れ冠(かむ)る!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」――の3行が「転」
「われかにかくに手を拍く……」が「結」
――という構造になっていることが見えてきます。

「悲しみの朝」という主題(テーマ)から
そのように見直すことができるからです。

「悲しみ」とはなんだろう、という眼差しで読み返すと
この詩はひとかたまりのまとまったものになり
すると「起承転結」がはっきりしてきます。



「転」を「連」のつくりにしなかったには
色々な理由があったことでしょう。

詩人には
無数の言葉が散乱していたはずです。

それはさながら
轟音とどろく巌(いわお)の上を走る歌声……。
詩心の氾濫……。



「知れざる炎」は、空に行き、
「響の雨」は、ぼくを濡れこぼす。
――という二つの氾濫。

一つは、空へ向かう炎。
一つは、ぼくに降りしきる雨。

相反する氾濫。



いや、それだけじゃない。
詩心は溢れ返ります。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

書きようにも
書ききれない。

それを書いたら
詩でなくなってしまう。



詩と格闘する詩人。
孤独な詩人。

そして
はたと手をはたく詩人。

最後の1行
われかにかくに手を拍く……
――は、こうして書かれました。

詩末尾の「……」は
格闘の続行を示しています。

今回はここまで。

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2014年7月13日 (日)

詩論・詩人論を歌う/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

「春の日の夕暮」は風景である以上に
詩が生まれ出るメカニズム(からくり)の比喩(メタファー)でもありました。

ということは
「夕暮が前進していった静脈管」というメタファーが
指し示すもの(領域)の存在を示しています。

それは詩(や詩人)が生まれる過程の
懊悩(おうのう)や思索や祈りのようなものまでを含み
詩論であり詩人論であるケースがほとんどです。

詩人として生きることを決意した中也は
日々、詩人とは何か詩とは何かを考える必要に迫られていたのです。

詩論の詩や詩人論の詩は
必要から生まれた歌でした。

優れた小説がいつも「小説とは何か」という問いを含み
その答えが小説の中に準備されるというケースは
音楽や絵画や建築などあらゆる芸術作品に見られることですが
それは詩についてもいえることでしょう。

「音楽とは何か」
「絵画とは何か」
……という問いを作者が立て
それに答えようとした苦闘の痕(あと)が
その作品の中に現われるのは
創作者がいま作っている作品の限界へと自己を追い込み
それ以上踏み込むとそれは作品ではなくなってしまうギリギリの前線にあるからで
それは必要に迫られた結果です。

中也の詩にも
「詩とは何か」という問いに答えた詩の流れがあります。

「山羊の歌」の「初期詩篇」には
詩論や詩人論を歌った詩群が大きな流れを作っています。

「秋の一日」は、

ぽけっとに手を突込んで
路次(ろじ)を抜け、波止場(はとば)に出(い)でて
今日の日の魂に合う
布切屑(きれくず)をでも探して来よう。
――ともろに詩の言葉の布(きれ)くずを探しに出かける
詩人の出発を歌います。

「黄昏」は、

――竟(つい)に私は耕やそうとは思わない!
じいっと茫然(ぼんやり)黄昏(たそがれ)の中に立って、
なんだか父親の映像が気になりだすと一歩二歩歩(あゆ)みだすばかりです
――と突然意を決して歩みはじめる姿を歌います。

蓮池の蓮の葉群に囲まれてたたずんでいた詩人は
失われた過去を思ってぼんやり悲しみに沈んでいたのです。

これも詩人の出発です。

「帰郷」は、

ああ おまえはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云(い)う
――の「なに」は「詩」の仕事のことです。
詩(人)としての仕事の何事も成し遂げていない自分に
奮い立つ詩人の心の内を歌っています。

詩人は後悔しているのではなく
逸(はや)る心を抑えています。

「逝く夏の歌」は、

風はリボンを空に送り、
私は嘗(かつ)て陥落(かんらく)した海のことを 
その浪(なみ)のことを語ろうと思う。

騎兵聯隊(きへいれんたい)や上肢(じょうし)の運動や、
下級官吏(かきゅうかんり)の赤靴(あかぐつ)のことや、
山沿(やまぞ)いの道を乗手(のりて)もなく行く
自転車のことを語ろうと思う。
――と繰り返される「語ろうと思う。」が
作ろうとしている詩の内容を明かしています。

父の思い出は
詩人が歌おうとした大きな領域でした。

途中ですが
今回はここまで。

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2014年7月12日 (土)

瓦がはぐれて詩が動く/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

「春の日の夕暮」の中に
動きがあるのはどこだろう?
――という視点で読み返すと
この詩のヤマというか心臓部というか
最も肝腎な部分が
瓦が一枚 はぐれました
――の1行にあることに気づくでしょうか。

トタンがセンベイ食べて、とか
アンダースローされた灰が蒼ざめて、とか
月の光のヌメランとするままに、とか
ポトホトと野の中に伽藍は紅く、とか
……

奇抜で難解な詩行に目を奪われて
この詩が動きはじめる瞬間を見失いがちですが
最終連の4行は
この詩が夕暮の美しさを歌った詩ではないことを示すものですから
じっくりとつかんでおかなければならないところです。

どこかで見た覚えのあるような
詩の中の動き――。

あ、そうだ!
これは「汚れっちまった悲しみに……」の「狐の革裘」だ。
「狐の革裘」と同じ登場の仕方だ。

汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘(かわごろも)

あっ、そうだ!
「一つのメルヘン」に現われる
「一つの蝶」もそうだ。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。

あ、そうだ!
「冬の長門峡」の「魂」や「蜜柑の如き夕陽」も
同じ現われ方だ。

水は、恰(あたか)も魂あるものの如(ごと)く、
流れ流れてありにけり。
やがても密柑(みかん)の如き夕陽、
欄干(らんかん)にこぼれたり。

どの場合も
その部分を取り出してみれば
さりげない現われ方をしていますが
さりげないというのは
言葉使いが決まっちゃっているからであるでしょう、きっと。

瓦がはぐれて……。

その結果、
夕暮が静脈管の中へと前進していくというのは
「詩」が生まれ出ることの喩(メタファー)に他ならないのならば
瓦がはぐれるというのは
「詩」の原因のようなものになります。

中也の詩の発生には
瓦がはぐれるという事態が
大きな影響をもっているということになります。

そのメタファーが指し示しているのは
まぎれもなく「ひとりぽっち」とか「孤独」「弧絶」とか
「迷子」とか「彷徨(さすらい)」とか浮浪とか浮遊とか
「離脱」とか「隔絶」とか
「居場所がない」とか「疎外された」とか
……でありましょう。

今回はここまで。

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2014年7月 9日 (水)

センベイがミカンになる/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

トタンがセンベイを食べる、という「風景」は
表現こそ突飛(とっぴ)ですが
巨大でまん丸の落日を民家のトタン屋根のシルエットが噛んでいるという
リアルな映像を結ばせます。

これが「冬の長門峡」の
ミカンのような夕陽が欄干にこぼれる、というイメージとそっくりです。

なんだ!
センベイがミカンになったんだってわけです。

「冬の長門峡」を歌ったときに
中也が「春の日の夕暮」をふと思い出して
この二つの太陽を連結させた、なんて読むのも魅力的で
ひとたびそう読んだら捨てがたくなってくるひらめきです。

落日の風景は
中也に何かしら特別な親しさを感じさせるもののようで
「山羊の歌」にはほかにも
さまざまな形(表現)で登場します。

パラパラめくってみると……。

「黄昏」には
夕日は詩語としては現われませんが
日没前の風景の中にある詩人が
出発の第一歩を促されるまでを歌っているのですから
「春の日の夕暮」の構造と同じです。

「夕照」は
落陽は、慈愛の色の
金の色。
――と夕日が「落陽」と明示され
詩の重要なモチーフになります。

「春の日の夕暮」で
夕暮れが詩のタイトルであり
詩の主格であったのと同様の位置を占めているのと同時に
詩の在り処(ありか)や詩(人)論を歌っているという作りから見ても
この二つの詩は重なります。

「盲目の秋」には第1節に
私の青春はもはや堅い血管となり、
  その中を曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽とがゆきすぎる。
――とあり
「曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽」はこの節およびこの詩全体の中でも
核となるモチーフです。

「盲目の秋」第1節は
「無限の前に腕を振る」詩人の内部を通り過ぎてゆく
「花と夕陽」を歌うのですから
夕陽がいかに大きなモチーフであるか
モチーフというよりもテーマに近い扱いであることを知ります。

私の青春はもはや堅い血管となり、
――が「春の日の夕暮」の「静脈管」に連なっていることも明白です。

ここではすでに「秋」へと
季節を巡らしていますが。

ほかにも
「春の思い出」に「夕陽の丘」と
「みちこ」に「金にして夕陽をたたえ」と
「時こそ今は……」に「暮るる籬(まがき)や群青の 空もしずかに流るころ。」と
夕暮れどきが歌われているのも
「春の日の夕暮」の拡散と見ることができるかもしれません。

「山羊の歌」の最終詩「いのちの声」の最終行
ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事(ばんじ)に於(おい)て文句はないのだ。
――という1行には
以上のような「夕陽」があちこちから流れ込んでいると考えたらどうなることでしょう。

あっけないようなこの1行が
俄然、ずしりと重くなってきませんか?

「ゆうがた」と
ひらがな4文字で書かれた「夕暮」が
谺(こだま)を返しはじめませんか?

「ゆうがた」が
静脈管の中へ逆流しはじめませんか?

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2014年7月 8日 (火)

「冬の長門峡」の二つの過去/面白い!中也の日本語

すでに「冬の長門峡」へのアプローチを
「生きているうちに読んでおきたい名作たち4」としてアップしましたが
ここでもう一度読んでおきましょう。

少しだけ手を入れた部分がありますが
過去の読みと現在の読みとが
ようやく繋がりはじめました。

冬の長門峡

長門峡に、水は流れてありにけり。 
寒い寒い日なりき。

われは料亭にありぬ。 
酒酌みてありぬ。

われのほか別に、 
客とてもなかりけり。

水は、恰も魂あるものの如く、 
流れ流れてありにけり。

やがても密柑の如き夕陽、 
欄干にこぼれたり。

ああ! ――そのような時もありき、 
寒い寒い 日なりき。

(※「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ」より。「新字・新かな」に変えてあります。編者。)

叙景にはじまり叙情に転じる詩であるという角度でみると
「冬の長門峡」は
「春の日の夕暮」と同じグループの詩篇です。

しかし「転」の部分の動きが
それほどくっきりしているものではないので
そうとは見えにくいのですが
じっくり読めば「起承転結」が浮かび上がってきます。

そもそも2行6連構成の詩ですから
きっかり起承転結に当てはまりませんが
第1連が起
第2、3連が承
第4、5連が転
第6連が結
――というようなことになるでしょうか。

第1連で、長門峡の風景から起こし
第2連、第3連で、それを受(承)けて詩人が登場します。
ここまでは静かな長門峡と宿にいる詩人の叙景です。

第4連、第5連
水は、恰(あたか)も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。

やがても密柑(みかん)の如き夕陽、 
欄干にこぼれたり。
――で、この詩の風景の中に動きが出てきて

最終第6連
ああ! ――そのような時もありき、 
寒い寒い 日なりき。
――が「結(論)」と読める構造です。

技巧も修辞(レトリック)もないような詩で
プロの読み手にも賛否両論がありますが
読み込めば読み込むほど
ハイ・ブローな技が見えてくる詩です。

一読して単調な感じを抱かせますが
読めば読むほどに深みが出てきます。

まず冒頭連の

長門峡に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。
――で、ある特定の過去(ある日ある時)に
長門峡に遊んだのが寒い日だったことを叙述します。

第2連から第5連までは
長門峡での経験の内容が淡々と語られ
最終第6連でふたたび
寒い寒い 日なりき。
――と、その日が寒い日だったことを述べます。

それだけです。

かつて長門峡に遊んだ日が寒い日だったことを
冒頭と末尾で繰り返し
その間の連で
詩人が目にした景色や経験が歌われるのですが
冒頭行など3か所に出てくる「けり」には
過去を表わしつつ「詠嘆」の気持ちが込められています。

水は流れてありにけり。
客とてもなかりけり。
流れ流れてありにけり。

この3行には「詠嘆」の気持ちがあるということです。

情景描写の中に情感が込められているのですが
ほかの行は、

なりき
ありぬ
こぼれたり
ありき
なりき
――と過去を断定的に叙述するだけになっています。

こちらは心の動きを感じさせない工夫が凝らされているのです。

この詩の背後には
愛息文也を失った悲しみがあり
詩人はそれを表面に出すまいと歯を食いしばっているからです。

詩人はいま長門峡を目前にしているのではありません。
長門峡を見ながら写生しているのではありません。
長門峡は遠い日に遊んだ場所です。

それを回想して歌っているうちにその過去へ入り込み
長門峡を流れる水が
魂を持つかのように流れているのを感じたのです。

この魂は文也以外にありえません。

水に魂を感じてまもなく
今度はミカンのような真ん丸であったかそうな夕陽が
欄干越しに現われました。

この夕陽も文也以外にありえません。

どちらも回想の中に現われた風景なのですが
詩人はいま、それらを目前にしているように
ありありと思い出すのです。

が……次の瞬間、
それらが遠い過去のものであることを知ります。

第5連と第6連の間は
連続しているようで
無限といってよい時間が存在します。

ああ! ――そのような時もありき、
寒い寒い 日なりき。

――と我に帰る詩人は
回想をはじめた冒頭の時間から
遠く隔たった今を自覚します。

この詩には
二つの過去があります。

過去の時間が二つあります。

今回はここまで。

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2014年7月 7日 (月)

詩集の起点・詩人の出発/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

「春の日の夕暮」は
第1詩集「山羊の歌」の巻頭を飾る詩であり
詩集編纂上の戦略的起点(基点)の位置にあります。

詩人の意図を
詩集以外に探ることはできませんが
詩集の1番目に置いたからには
ほかにどのような意図があろうと
「出発」を示すものであることは間違いないことでしょう。

「出発」は
多様なベクトル(方向性)を含んでいます。

文法より優位にある言葉使い。
詩が必要とするならば掟・慣習・ルールに束縛されない。
叙景から叙情へ転じる詩のパタン。
結末に何らかのメッセージを込める傾向の萌芽。
(「述志」という言葉を使う言説もあります。大岡昇平、中村稔ら。)
詩(人)論の展開や宣言(マニフェスト)。
等々。

これらのベクトルを読み取ってしまうかぎり
「春の日の夕暮」からまだ離れられません。

今回見ておきたいのは

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言(むごん)ながら 前進します
自(みずか)らの 静脈管の中へです
――という最終連が向かう
他の詩への繋(つな)がりです。

この最終連は
なにを歌っているのでしょうか?

再び「です・ます調」に復帰して歌うのは
タイトルでもあるこの詩の主語「春の日の夕暮」が
静脈管の中へ前進するという「風景」のようです。

「自ら」をどう読むかによって異なってきますが
「春の日の夕暮」の静脈管の中へ前進していくと取るには
「春の日の夕暮」自体が擬人化されたものであり
それは「詩人自ら」の擬人化であると見なすことになるのであれば
それはそれで辻褄(つじつま)のあった読みということになります。

ここではそのように読みまして
この詩が結局は
「風景」を叙述しているだけのものではなく
「風景」を歌う中で詩人の感情の動き、情動、内面を歌っていることは明らかです。

叙景がいつしか叙情に変成しているのです。

と同時にこの「叙情」は
この「叙情」の中にメッセージ(志)を込める「容器」にもなるものであり
時には告白し、
時には祈り、
時には訴え……

詩(人)の在り処(ありか)を問い
詩人(論)を歌っているものでもあると受け取ることができます。

そうするとまた
いろいろな繋がりが見えてきます。

たとえば「在りし日の歌」の末部にある「冬の長門峡」にさえ
「春の日の夕暮」は繋がっていきます。

「冬の長門峡」は一見、
叙景ではじまり叙景で閉じる叙景詩のように見えますが
亡き子を追悼した叙情詩であるところで
「連続」を読むことだってできるのです。

今回はこれまで。
「冬の長門峡」を載せておきます。

冬の長門峡
 
長門峡(ちょうもんきょう)に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。

われは料亭にありぬ。
酒酌(く)みてありぬ。

われのほか別に、
客とてもなかりけり。

水は、恰(あたか)も魂あるものの如(ごと)く、
流れ流れてありにけり。

やがても密柑(みかん)の如き夕陽、
欄干(らんかん)にこぼれたり。

ああ! ――そのような時もありき、
寒い寒い 日なりき。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

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2014年7月 6日 (日)

「はぐれた瓦」という叙情/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

では、
どのように詩と詩が繋がっているのかを見ていきましょう。
繋がり方にはさまざまな形があります。

「春の日の夕暮」の最終連に
瓦が一枚 はぐれました
――とあるのに今度は注目してみましょう。

「はぐれる」は
なぜ「はがれる」ではなかったのか、と
論評のかまびすしい1行です。

この詩の最大の眼目(メッセージ)が
この1行にあると見てもおかしくはないところですが
言葉使いをここでは吟味しません。

「はがれる」でも「はぐれる」でも
もの(瓦)から離脱(りだつ)し隔絶(かくぜつ)した状態になることで
どちらを使っても意味は通じるものと前提して
話を進めましょう。

「春の日の夕暮れ」を見ている詩人は
トタンがセンベイを食べている様子を眺めていましたが
今度は「瓦がはぐれました」という状態を目撃しました。

そのいきさつは
第2、3連で歌われていることの結果であるかもしれませんが
その点についてもここでは注目しません。

瓦がはぐれたという状態が
詩人の置かれ陥っている孤独感や疎外感や寂寥感を歌ったものであるということに
目を向けることにします。

夕暮れは
無言ながら前進します
自らの静脈管の中へ
――ですが
ここの読みを抜きにしても
詩人は孤立し孤独であることは間違いないことでしょうから。

「春の日の夕暮」は
単なる叙景詩ではありません。
叙景ではじまっていますが
最後には叙情を歌っています。

この1行が
2番目の「月」の「愁しみ」に繋がっていくのです。

今宵(こよい)月はいよよ愁(かな)しく、
養父の疑惑に瞳を睜(みは)る。
――とある「愁」に。

今回はこれまで。

春の日の夕暮
 
トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶(いなな)くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするままに
従順なのは 春の日の夕暮か

ポトホトと野の中に伽藍(がらん)は紅(あか)く
荷馬車の車輪 油を失い
私が歴史的現在に物を云(い)えば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言(むごん)ながら 前進します
自(みずか)らの 静脈管の中へです

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

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2014年7月 5日 (土)

叙景への導入/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

日本語の教科書には
「です・ます調」と「だ・である調」の混在を避けるのが
正しい使い方であることがとうとうと述べられていますが
「春の日の夕暮」や「サーカス」はこれを崩しています。

二つの調子を意識的に混在させ
音楽でいう転調をほどこしているのですが
詩の中の転調は楽曲内の転調とは異なります。

それまで「丁寧語」を使っていた人が
会話の途中で突然、「断言口調」でしゃべりだすというような変化が
極論すれば生じるのですから
日本語の教科書ではこれを禁じるのは当然のことかもしれません。

「春の日の夕暮」では
「トタンがセンベイ食べる」という強い衝撃に隠れてしまって
この転調は目立ちませんが
故意にそれは企(たくら)まれています。

なぜそのような作り(構造)にしたのか。
いろいろなことが考えられます。

一つだけここで言っておきたいのは
風景を歌う(叙景の)導入部として
「です・ます」による丁寧感を打ち出そうとした――。

「春の日の夕暮」という風景を見た感想を
誰かしらに案内しようとして
「です・ます」を使ったのを
途中(感極まったのか)
断言的に語り出し
落ち着いたところで再び「です・ます」に戻した――。

風景を案内するのですから
ナレーション(語り)がよかったのです。

誰かしらとは読者であってもよいのですが
詩人の中にいるもう一人の詩人であってもよいかもしれません。

となればここは
「一人二役」のモノローグということになりますし
内部に二人いる詩人のダイアローグというふうに考えてもOKかもしれません。

「初期詩篇」の1番目と3番目に置かれた詩が
同一の構造を持っているということになります。

たわいのない発見のようですが
ここには重大な発見が含まれています。

「春の日の夕暮」
「月」
「サーカス」
「春の夜」
「朝の歌」
「臨終」
「都会の夏の夜」
……

これらの詩の「連続性」が見えてくるのです!

「春の日の夕暮」と「サーカス」が繋がっているということが見えてきて
それがとっかかりになって
今度はこれら多くの詩篇のつながりさえ見えはじめるのです。

こういうことを
面白いといわずにはいられません。

今回はこれまで。

春の日の夕暮
 
トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶(いなな)くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするままに
従順なのは 春の日の夕暮か

ポトホトと野の中に伽藍(がらん)は紅(あか)く
荷馬車の車輪 油を失い
私が歴史的現在に物を云(い)えば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言(むごん)ながら 前進します
自(みずか)らの 静脈管の中へです

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

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2014年7月 4日 (金)

二つの調子の混在/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

第1連は
春の日の夕暮は穏かです
春の日の夕暮は静かです
――とルフランし「です」で終わり

最終連は
瓦が一枚 はぐれました
無言(むごん)ながら 前進します
自(みずか)らの 静脈管の中へです
――と展開し「ました・ます・です」で終わるのが
「春の日の夕暮」の行末です。

これは韻(rhyme)でもありますが
ここでは「音」ではなく
詩の「文体」へ注目します。

1連と4連の間の行末は
「だ」「である」が見えませんが
「失い」があるので
です・ます調ではありません。
丁寧語・尊敬語ではありません。

です・ます調が
だ・である調を挟んでいる構造をもつのが
「春の日の夕暮」ということです。

ここですぐさま
「サーカス」を思い出す人は多いことでしょう。

幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました
幾時代かがありまして
  冬は疾風(しっぷう)吹きました
幾時代かがありまして
……

こちらも
冒頭部をです・ます調ではじめています。

そして
である調へ転調します。
詩末は「ゆやーん ゆよーん」というオノマトペですが。

なぜ、詩のはじまりが
です・ます調なのでしょうか?
それを途中で転調するのでしょうか?
なぜ二つの調子が混在するのでしょう。

面白くもないこんな疑問が
中也の詩の面白さへと向かいます。

今回はこれまで。

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2014年7月 3日 (木)

「です・ます」で終わる「春の日の夕暮」/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

なんだい、こりゃ!? ってな感じで
トタンがセンベイ食べる情景を
一生懸命思い描こうとする人がいたり
馬鹿馬鹿しくて通り過ぎる人がいたり
何事もいろんな反応があるというものですが
一度、このフレーズを読んでしまった人の記憶に残ってしまうというのが
「春の日の夕暮」という詩の強さでしょうね。

詩の完成度だ未完成だ、とか
ダダだとかダダじゃない、とか
こういうの好きじゃない、とか、嫌いだ、とか
……

感じようと感じまいと
トタンがセンベイを食べているという言葉が
人々の脳裏に刻まれてしまいます。

たまには
まったく引っかからない、残らないなんていう人も
そりゃあるでしょうけど。

「春の日の夕暮」は
「山羊の歌」の冒頭詩ですし
中也は戦略をそれなりに考えて配置したのでしょうから
ここでは少し立ち止まってみましょう。

春の日の夕暮
 
トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶(いなな)くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするままに
従順なのは 春の日の夕暮か

ポトホトと野の中に伽藍(がらん)は紅(あか)く
荷馬車の車輪 油を失い
私が歴史的現在に物を云(い)えば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言(むごん)ながら 前進します
自(みずか)らの 静脈管の中へです

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

言葉使いがダダっぽい、とか
奇天烈(きてれつ)だ、とか
難解だ意味不明だ一人勝手だ自己満足だ、とか
……

「意味」の受け取り方、感じ方は千差万別ですから
自分流の読みで結構ということにひとまずはしておいて
詩の「構造」というものは一つですから
それを見てみると
何回も読んでようやく気づいたことがあります。

1連が4行構成で
全4連の定型
音数律の不在(リズムにこだわらない)
――などということではありません。

前に読んだときに
詩人は詩の中にいるのかいないのか
いるとしたらどこにいるのか――という角度を必要としたことがありましたが
そのときには通り過ぎてしまったことが
一つあります。

それは
第1連と最終連とが
「です・ます」で終わっていることです。

今回はこれまで。

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2014年7月 2日 (水)

声に出して読みたくなる/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

空の下(もと)には 池があった。
その池の めぐりに花は 咲きゆらぎ、
空はかおりと はるけくて、
今年も春は 土肥(つちこ)やし、
雲雀(ひばり)は空に 舞いのぼり、
小児(しょうに)が池に 落っこった。

小児は池に仰向(あおむ)けに、
池の縁(ふち)をば 枕にて、
あわあわあわと 吃驚(びっくり)し、
空もみないで 泣きだした。

僕の心は 残酷(ざんこく)な、
僕の心は 優婉(ゆうえん)な、
僕の心は 優婉な、
僕の心は 残酷な、
涙も流さず 僕は泣き、
空に旋毛(つむじ)を 見せながら、
紫色に 泣きまする。

これは1934年に書かれた「道化の臨終」の1節です。

ほんの一部ですが
これを黙読しているだけで
読んでいる身体にリズムが湧いてきませんか?

そのうち
声に出してみたくなりませんか?

こんなのが
「息切れ」するほど続きます。

もう少し引いておきます。

かく申しまする 所以(ゆえん)のものは、
泣くも笑うも 朝露(あさつゆ)の命、
星のうちなる 星の星……
砂のうちなる 砂の砂……
どうやら舌は 縺(もつ)れまするが、
浮くも沈むも 波間の瓢(ひさご)、
格別何も いりませぬ故(ゆえ)、
笛のうちなる 笛の笛、
――次第(しだい)に舌は 縺れてまいる――
至上至福(しじょうしふく)の 臨終(いまわ)の時を、
いやいや なんといおうかい、
一番お世話になりながら、
一番忘れていられるもの……
あの あれを……といって、
それでは誰方(どなた)も お分りがない……
では 忘恩(ぼうおん)悔(く)ゆる涙とか?
ええまあ それでもござりまするが……

大岡昇平が
「お経の文句」といったのは
このようなリズム感を比喩したものではないのですが
中也の詩にはこのような(お経の文句のような)リズム感もあるので
一面で的を射ています。

そのズレ(落差)が
また面白いのでもあります。

こういう(面白い)例は
中也の詩に限りなくあります。

「山羊の歌」の冒頭詩「春の日の夕暮」は
冒頭詩の冒頭行から
ガーンと一発面白がらせ
中也詩の世界へ引きずり込む装置となっています。

春の日の夕暮
 
トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶(いなな)くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするままに
従順なのは 春の日の夕暮か

ポトホトと野の中に伽藍(がらん)は紅(あか)く
荷馬車の車輪 油を失い
私が歴史的現在に物を云(い)えば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言(むごん)ながら 前進します
自(みずか)らの 静脈管の中へです

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

なんてたって誰しも
トタンがセンベイ食べて
――を面白いと思うことでしょう。

今回はこれまで。

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2014年7月 1日 (火)

お経の文句/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

ひろごりて たいらかの空、
  土手づたい きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。
――の「土手づたい」という言葉使いに引っかかり
そこに「違和感」を感じること自体が
繊細といえば繊細、ナイーブといえばナイーブです。

大岡昇平はこの繊細かつナイーブな言語感覚で
この言葉使いは
中也が「独創のしるし」としたものであり
「破格」として詩の中に残したものと推定、
すなわち肯定的に認知しました。

関口隆克も大岡も
最後には中也のこうした言葉使いに
了解の意思を表明したというところが
とても面白いことであります。

ちなみに大岡は
こうも記していることを付け加えておきましょう。

少年時から我々に馴染み深いこういう句を、中原はダダの時代から慣用していたから、お経の文句が坊主の口から出て来るように、すぐ筆に乗って来たに相違ない。
――と。

「土手づたい」のようなフレーズが
「お経の文句」のように中也の口から出たというのは
ダダイスト高橋新吉を中也に重ねているからで
「言葉の機関銃みたい」(ランボー)とはいわない裏ハラのようでもあり
小骨が喉につっかえる感覚が少し残ります。

大岡は後に(1969年)、
中也が1934年に制作し
死のふた月前(1937年8月)に発表した「道化の臨終」に関する論評を書き
これまた詳細に「中也のダダイズム」を検証し
結局は「しかしこれらはもっと慎重に検討すべき問題である。」という1行で閉じたのですが
このことを思い出させても面白いです。

大岡は
「朝の歌」の論評の段階では
「土手づたい」というフレーズをめぐって
中也のダダイズムを明確に認知しながら
晩年の中也の詩「道化の臨終」のダダイズムには
結論を出さずに終わりました。

こういうところが面白いというのは
みんな発端は
中也の詩(言葉使い)だからです。

今回はこれまで。
ここでは「道化の臨終」を掲出しておきましょう。

道化の臨終(Etude Dadaistique)
   
   序 曲

君ら想(おも)わないか、夜毎(よごと)何処(どこ)かの海の沖に、
火を吹く龍(りゅう)がいるかもしれぬと。
君ら想わないか、曠野(こうや)の果(はて)に、
夜毎姉妹の灯ともしていると。

君等想わないか、永遠の夜(よる)の浪、
其処(そこ)に泣く無形(むぎょう)の生物(いきもの)、
其処に見開く無形の瞳、
かの、かにかくに底の底……

心をゆすり、ときめかし、
嗚咽(おえつ)・哄笑一時(こうしょういっとき)に、肝(きも)に銘(めい)じて到(いた)るもの、
清浄(しょうじょう)こよなき漆黒(しっこく)のもの、
暖(だん)を忘れぬ紺碧(こんぺき)を……

     *       *
         *

空の下(もと)には 池があった。
その池の めぐりに花は 咲きゆらぎ、
空はかおりと はるけくて、
今年も春は 土肥(つちこ)やし、
雲雀(ひばり)は空に 舞いのぼり、
小児(しょうに)が池に 落っこった。

小児は池に仰向(あおむ)けに、
池の縁(ふち)をば 枕にて、
あわあわあわと 吃驚(びっくり)し、
空もみないで 泣きだした。

僕の心は 残酷(ざんこく)な、
僕の心は 優婉(ゆうえん)な、
僕の心は 優婉な、
僕の心は 残酷な、
涙も流さず 僕は泣き、
空に旋毛(つむじ)を 見せながら、
紫色に 泣きまする。

僕には何も 云(い)われない。
発言不能の 境界に、
僕は日も夜も 肘(ひじ)ついて、
僕は砂粒(すなつぶ)に 照る日影だの、
風に揺られる 雑草を、
ジッと瞶(みつ)めて おりました。

どうぞ皆さん僕という、
はてなくやさしい 痴呆症(ちほうしょう)、
抑揚(よくよう)の神の 母無(おやな)し子、
岬の浜の 不死身貝(ふじみがい)、
そのほか色々 名はあれど、
命題・反対命題の、
能(あた)うかぎりの 止揚場(しようじょう)、
天(あめ)が下(した)なる 「衛生無害」、
昔ながらの薔薇(ばら)の花、
ばかげたものでも ござりましょうが、
大目(おおめ)にあずかる 為体(ていたらく)。

かく申しまする 所以(ゆえん)のものは、
泣くも笑うも 朝露(あさつゆ)の命、
星のうちなる 星の星……
砂のうちなる 砂の砂……
どうやら舌は 縺(もつ)れまするが、
浮くも沈むも 波間の瓢(ひさご)、
格別何も いりませぬ故(ゆえ)、
笛のうちなる 笛の笛、
――次第(しだい)に舌は 縺れてまいる――
至上至福(しじょうしふく)の 臨終(いまわ)の時を、
いやいや なんといおうかい、
一番お世話になりながら、
一番忘れていられるもの……
あの あれを……といって、
それでは誰方(どなた)も お分りがない……
では 忘恩(ぼうおん)悔(く)ゆる涙とか?
ええまあ それでもござりまするが……
では――
えイ、じれったや
これやこの、ゆくもかえるも
別れては、消ゆる移(うつ)り香(か)、
追いまわし、くたびれて、
秋の夜更(よふけ)に 目が覚めて、
天井板の 木理(もくめ)みて、
あなやと叫び 呆然(ぼうぜん)と……
さて われに返りはするものの、
野辺(のべ)の草葉に 盗賊の、
疲れて眠る その腰に、
隠元豆(いんげんまめ)の 刀あり、
これやこの 切れるぞえ、
と 戸の面(おもて)、丹下左膳(たんげさぜん)がこっち向き、
――狂った心としたことが、
何を云い出すことじゃやら……
さわさりながら さらばとて、
正気の構えを とりもどし、
人よ汝(いまし)が「永遠」を、
恋することのなかりせば、
シネマみたとてドッコイショのショ、
ダンスしたとてドッコイショのショ。
なぞと云ったら 笑われて、
ささも聴いては 貰(もら)えない、
さればわれ、明日は死ぬ身の、
今茲(ここ)に 不得要領……
かにかくに 書付(かきつ)けましたる、
ほんのこれ、心の片端(はしくれ)、
不備の点 恕(ゆる)され給(たま)いて、
希(ねが)わくは お道化(どけ)お道化て、
ながらえし 小者(こもの)にはあれ、
冥福(めいふく)の 多かれかしと、
神にはも 祈らせ給え。
 
               (一九三四・六・二)

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)  

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