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2014年7月16日 (水)

詩人が描いた自我像/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

「山羊の歌」は「初期詩篇」を終えても
詩(人)に関して歌う詩が繰り返し繰り返し続くことを
改めて発見することになります。

こんなにも
詩人は詩について歌わねばならなかったのだ!

「少年時」は、

夏の日の午過(ひるす)ぎ時刻
誰彼(だれかれ)の午睡(ひるね)するとき、
私は野原を走って行った……

私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦(あきら)めていた……
噫(ああ)、生きていた、私は生きていた!
――と詩はもはや生きることとピッタリ重なります。

「盲目の秋」については繰り返すようですが、

第1節で、

風が立ち、浪(なみ)が騒ぎ、
  無限の前に腕を振る。

その間(かん)、小さな紅(くれない)の花が見えはするが、
  それもやがては潰(つぶ)れてしまう。

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまえに腕を振る。

もう永遠に帰らないことを思って
  酷薄(こくはく)な嘆息(たんそく)するのも幾(いく)たびであろう……

私の青春はもはや堅い血管となり、
  その中を曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽とがゆきすぎる。

それはしずかで、きらびやかで、なみなみと湛(たた)え、
  去りゆく女が最後にくれる笑(えま)いのように、
  
厳(おごそ)かで、ゆたかで、それでいて佗(わび)しく
  異様で、温かで、きらめいて胸に残る……

      ああ、胸に残る……

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまえに腕を振る。

――と絶唱する中に
「曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽」を歌って
詩のいのちのようなものを喩(たと)えました。

「寒い夜の自我像」は、

きらびやかでもないけれど
この一本の手綱(たずな)をはなさず
この陰暗の地域を過ぎる!
その志(こころざし)明らかなれば
冬の夜を我(われ)は嘆(なげ)かず
人々の憔懆(しょうそう)のみの愁(かな)しみや
憧れに引廻(ひきまわ)される女等(おんなら)の鼻唄を
わが瑣細(ささい)なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。

蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、
聊(いささ)かは儀文(ぎぶん)めいた心地をもって
われはわが怠惰(たいだ)を諫(いさ)める
寒月(かんげつ)の下を往(ゆ)きながら。

陽気で、坦々(たんたん)として、而(しか)も己(おのれ)を売らないことをと、
わが魂の願うことであった!

――と全15行が詩(人)の宣言(マニフェスト)と化します。

自我を見つめた自画像が
この詩に描かれたのです。

「木蔭」には、

忍従(にんじゅう)することのほかに生活を持たない
怨みもなく喪心(そうしん)したように

「失せし希望」には、

今はた此処(ここ)に打伏(うちふ)して
  獣(けもの)の如くは、暗き思いす。

――とあるのが詩の元以外ではありません。

「夏」の、

血を吐くようなせつなさかなしさ

――も詩の元です。

途中ですが今回はここまで。

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