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2014年7月15日 (火)

詩は「ためいき」である/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

「悲しき朝」は、

知れざる炎、空にゆき!
響(ひびき)の雨は、濡(ぬ)れ冠(かむ)る!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
われかにかくに手を拍く……
――に切迫した詩心の芽生えが歌われています。

幼い日の経験の中に
詩人は「詩」が訪れた瞬間を見い出しました。

「夕照」は、

かかる折(おり)しも我(われ)ありぬ
少児(しょうに)に踏まれし
貝の肉。

かかるおりしも剛直(ごうちょく)の、
さあれゆかしきあきらめよ
腕拱(く)みながら歩み去る。

――という第3、第4連に
やはり詩にしか歩むべき道を見い出さなかった
詩人の決意を歌いました。

この詩を歌ったころ
決意はすでに固く

剛直であり
ゆかしきあきらめさえ
詩人のものでした。

「港市の秋」は、

私はその日人生に、
  椅子(いす)を失くした。
――に詩人の出発はあります。

居所(いどころ)がないという感覚により
詩人は歩き続けます。

「ためいき」は、
言いかえれば詩のことです。

この詩についても
これまでに何回か長い読みを試みました。
→きらきら「初期詩篇」の世界/11「ためいき」

「ためいき」は
詩論であり詩人論ですから
ここに詩を掲げておきましょう。

この詩のどこに「詩」があるか?っていったって
そうたやすく見つけられるものではありませんが。

ためいき
       河上徹太郎に 
 
ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気(しょうき)の中で瞬(まばた)きをするであろう。
その瞬きは怨めしそうにながれながら、パチンと音をたてるだろう。
木々が若い学者仲間の、頸(くび)すじのようであるだろう。

夜が明けたら地平線に、窓が開くだろう。
荷車(にぐるま)を挽(ひ)いた百姓が、町の方へ行くだろう。
ためいきはなお深くして、
丘に響きあたる荷車の音のようであるだろう。

野原に突出(つきで)た山(やま)ノ端(は)の松が、私を看守(みまも)っているだろう。
それはあっさりしてても笑わない、叔父(おじ)さんのようであるだろう。
神様が気層(きそう)の底の、魚を捕っているようだ。

空が曇ったら、蝗螽(いなご)の瞳が、砂土(すなつち)の中に覗(のぞ)くだろう。
遠くに町が、石灰(せっかい)みたいだ。
ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光っている。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「月」や「凄じき黄昏」や「深夜の思い」なども
「ためいき」と似ているところがあります。

読みようによっては
これらも詩についての詩であると取ることができそうです。

「春の日の夕暮」がそうであるように
詩についての詩でない詩を探すことのほうが難しいほど
「初期詩篇」に配置された詩は
詩について歌われていると読んでもそれほど間違わないことでしょう。

今回はここまで。

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