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2014年7月 2日 (水)

声に出して読みたくなる/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

空の下(もと)には 池があった。
その池の めぐりに花は 咲きゆらぎ、
空はかおりと はるけくて、
今年も春は 土肥(つちこ)やし、
雲雀(ひばり)は空に 舞いのぼり、
小児(しょうに)が池に 落っこった。

小児は池に仰向(あおむ)けに、
池の縁(ふち)をば 枕にて、
あわあわあわと 吃驚(びっくり)し、
空もみないで 泣きだした。

僕の心は 残酷(ざんこく)な、
僕の心は 優婉(ゆうえん)な、
僕の心は 優婉な、
僕の心は 残酷な、
涙も流さず 僕は泣き、
空に旋毛(つむじ)を 見せながら、
紫色に 泣きまする。

これは1934年に書かれた「道化の臨終」の1節です。

ほんの一部ですが
これを黙読しているだけで
読んでいる身体にリズムが湧いてきませんか?

そのうち
声に出してみたくなりませんか?

こんなのが
「息切れ」するほど続きます。

もう少し引いておきます。

かく申しまする 所以(ゆえん)のものは、
泣くも笑うも 朝露(あさつゆ)の命、
星のうちなる 星の星……
砂のうちなる 砂の砂……
どうやら舌は 縺(もつ)れまするが、
浮くも沈むも 波間の瓢(ひさご)、
格別何も いりませぬ故(ゆえ)、
笛のうちなる 笛の笛、
――次第(しだい)に舌は 縺れてまいる――
至上至福(しじょうしふく)の 臨終(いまわ)の時を、
いやいや なんといおうかい、
一番お世話になりながら、
一番忘れていられるもの……
あの あれを……といって、
それでは誰方(どなた)も お分りがない……
では 忘恩(ぼうおん)悔(く)ゆる涙とか?
ええまあ それでもござりまするが……

大岡昇平が
「お経の文句」といったのは
このようなリズム感を比喩したものではないのですが
中也の詩にはこのような(お経の文句のような)リズム感もあるので
一面で的を射ています。

そのズレ(落差)が
また面白いのでもあります。

こういう(面白い)例は
中也の詩に限りなくあります。

「山羊の歌」の冒頭詩「春の日の夕暮」は
冒頭詩の冒頭行から
ガーンと一発面白がらせ
中也詩の世界へ引きずり込む装置となっています。

春の日の夕暮
 
トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶(いなな)くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするままに
従順なのは 春の日の夕暮か

ポトホトと野の中に伽藍(がらん)は紅(あか)く
荷馬車の車輪 油を失い
私が歴史的現在に物を云(い)えば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言(むごん)ながら 前進します
自(みずか)らの 静脈管の中へです

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

なんてたって誰しも
トタンがセンベイ食べて
――を面白いと思うことでしょう。

今回はこれまで。

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