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2014年7月 6日 (日)

「はぐれた瓦」という叙情/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

では、
どのように詩と詩が繋がっているのかを見ていきましょう。
繋がり方にはさまざまな形があります。

「春の日の夕暮」の最終連に
瓦が一枚 はぐれました
――とあるのに今度は注目してみましょう。

「はぐれる」は
なぜ「はがれる」ではなかったのか、と
論評のかまびすしい1行です。

この詩の最大の眼目(メッセージ)が
この1行にあると見てもおかしくはないところですが
言葉使いをここでは吟味しません。

「はがれる」でも「はぐれる」でも
もの(瓦)から離脱(りだつ)し隔絶(かくぜつ)した状態になることで
どちらを使っても意味は通じるものと前提して
話を進めましょう。

「春の日の夕暮れ」を見ている詩人は
トタンがセンベイを食べている様子を眺めていましたが
今度は「瓦がはぐれました」という状態を目撃しました。

そのいきさつは
第2、3連で歌われていることの結果であるかもしれませんが
その点についてもここでは注目しません。

瓦がはぐれたという状態が
詩人の置かれ陥っている孤独感や疎外感や寂寥感を歌ったものであるということに
目を向けることにします。

夕暮れは
無言ながら前進します
自らの静脈管の中へ
――ですが
ここの読みを抜きにしても
詩人は孤立し孤独であることは間違いないことでしょうから。

「春の日の夕暮」は
単なる叙景詩ではありません。
叙景ではじまっていますが
最後には叙情を歌っています。

この1行が
2番目の「月」の「愁しみ」に繋がっていくのです。

今宵(こよい)月はいよよ愁(かな)しく、
養父の疑惑に瞳を睜(みは)る。
――とある「愁」に。

今回はこれまで。

春の日の夕暮
 
トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶(いなな)くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするままに
従順なのは 春の日の夕暮か

ポトホトと野の中に伽藍(がらん)は紅(あか)く
荷馬車の車輪 油を失い
私が歴史的現在に物を云(い)えば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言(むごん)ながら 前進します
自(みずか)らの 静脈管の中へです

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

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