大きな手がかり「ああ」/面白い!中也の日本語
(前回からつづく)
第1連と最終連で、
悲愁に暮れている月(誰か)が
首切り(役人)を待っている
――ということがわかり、
各連に月を主語にした述語がはっきり明示され、
月が、
愁しく
懶く
汚辱に浸(り)
待ってる
――のですから
これで大体はつかめたと考えてよいでしょう。
◇
そこでディテール(細部)に目を配る余裕ができます。
「月」の周辺の登場人物の正体や
それぞれの関係を詮索(せんさく)しはじめることになり
詩のレトリック(修辞法)にも目が向かいます。
◇
第1連は「起」。
養父とはだれのことか、とか
その疑惑とはなんのことか、とか
その疑惑に瞳を睜(みは)るのは月のようだがなんのことか、とか
幾つかの問いが生まれますが
さしあたっては言葉通りに読んでおけば済むはずです。
月には養父があり
その養父が疑惑を抱いていて
その疑惑に月は目を凝(こ)らしているのでしょう。
秒刻(とき)は銀波を砂漠に流し
老男(ろうなん)の耳朶(じだ)は蛍光をともす。
――は歯が立たないからパスすることにして。
第1連は最後までやっかいですが
このやっかいさを苦痛にしてはいけません。
◇
第2連は「承」。
1連を受けます。
「愁しみ」が続くのでしょう。
「ああ」と嘆息(たんそく)するのは詩の作者=詩人に違いありません。
詩人が顔を出すのです!
ここに大きな手がかりがありますね。
忘れられた運河の岸堤を
詩人は想起しているようです。
ああ! (みんなあの)運河の岸堤のことを忘れてしまった。
(月の)胸に残った戦車の地音(じおん)。
戦車が大地を轟かす音。
戦争の記憶がよみがえるのです。
銹(さ)びつく鑵(かん)の煙草とりいで
月は懶(ものう)く喫(す)っている。
――は字義通りで
戦争の記憶を呼び起こした月が
浮かぬ思いを抱いてタバコをクサクサとふかしている描写。
運河の岸堤も戦車も戦争も
詩人が実際に見聞きしたものか
喩え(メタファー)としての戦車・戦争かを
どこかで見極めなければなりません。
ここでは
その段階に来ていません。
◇
第3連は「転」。
展開があります。
それ(月)の周りを7人の天女(てんにょ)が踊っています。
先ほどからトーダンスで
月を喜ばそうとしているのですが。
◇
第4連は「結(論)」。
天女たちのダンスは
月をいっこうに慰めないのです。
そして、
あっちの方で瞬(またた)いている星々に向かって
月は呼びかけるのです。
お前の首切りナイフを待ってるぜ、と。
◇
難解難解と感じながらも
なんとか読めたのではないでしょうか。
◇
途中ですが
今回はここまで。
◇
月
今宵(こよい)月はいよよ愁(かな)しく、
養父の疑惑に瞳を睜(みは)る。
秒刻(とき)は銀波を砂漠に流し
老男(ろうなん)の耳朶(じだ)は蛍光をともす。
ああ忘られた運河の岸堤
胸に残った戦車の地音(じおん)
銹(さ)びつく鑵(かん)の煙草とりいで
月は懶(ものう)く喫(す)っている。
それのめぐりを七人の天女(てんにょ)は
趾頭舞踊(しとうぶよう)しつづけているが、
汚辱(おじょく)に浸る月の心に
なんの慰愛(いあい)もあたえはしない。
遠(おち)にちらばる星と星よ!
おまえの劊手(そうしゅ)を月は待ってる
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
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