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2014年7月12日 (土)

瓦がはぐれて詩が動く/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

「春の日の夕暮」の中に
動きがあるのはどこだろう?
――という視点で読み返すと
この詩のヤマというか心臓部というか
最も肝腎な部分が
瓦が一枚 はぐれました
――の1行にあることに気づくでしょうか。

トタンがセンベイ食べて、とか
アンダースローされた灰が蒼ざめて、とか
月の光のヌメランとするままに、とか
ポトホトと野の中に伽藍は紅く、とか
……

奇抜で難解な詩行に目を奪われて
この詩が動きはじめる瞬間を見失いがちですが
最終連の4行は
この詩が夕暮の美しさを歌った詩ではないことを示すものですから
じっくりとつかんでおかなければならないところです。

どこかで見た覚えのあるような
詩の中の動き――。

あ、そうだ!
これは「汚れっちまった悲しみに……」の「狐の革裘」だ。
「狐の革裘」と同じ登場の仕方だ。

汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘(かわごろも)

あっ、そうだ!
「一つのメルヘン」に現われる
「一つの蝶」もそうだ。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。

あ、そうだ!
「冬の長門峡」の「魂」や「蜜柑の如き夕陽」も
同じ現われ方だ。

水は、恰(あたか)も魂あるものの如(ごと)く、
流れ流れてありにけり。
やがても密柑(みかん)の如き夕陽、
欄干(らんかん)にこぼれたり。

どの場合も
その部分を取り出してみれば
さりげない現われ方をしていますが
さりげないというのは
言葉使いが決まっちゃっているからであるでしょう、きっと。

瓦がはぐれて……。

その結果、
夕暮が静脈管の中へと前進していくというのは
「詩」が生まれ出ることの喩(メタファー)に他ならないのならば
瓦がはぐれるというのは
「詩」の原因のようなものになります。

中也の詩の発生には
瓦がはぐれるという事態が
大きな影響をもっているということになります。

そのメタファーが指し示しているのは
まぎれもなく「ひとりぽっち」とか「孤独」「弧絶」とか
「迷子」とか「彷徨(さすらい)」とか浮浪とか浮遊とか
「離脱」とか「隔絶」とか
「居場所がない」とか「疎外された」とか
……でありましょう。

今回はここまで。

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