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2014年7月 5日 (土)

叙景への導入/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

日本語の教科書には
「です・ます調」と「だ・である調」の混在を避けるのが
正しい使い方であることがとうとうと述べられていますが
「春の日の夕暮」や「サーカス」はこれを崩しています。

二つの調子を意識的に混在させ
音楽でいう転調をほどこしているのですが
詩の中の転調は楽曲内の転調とは異なります。

それまで「丁寧語」を使っていた人が
会話の途中で突然、「断言口調」でしゃべりだすというような変化が
極論すれば生じるのですから
日本語の教科書ではこれを禁じるのは当然のことかもしれません。

「春の日の夕暮」では
「トタンがセンベイ食べる」という強い衝撃に隠れてしまって
この転調は目立ちませんが
故意にそれは企(たくら)まれています。

なぜそのような作り(構造)にしたのか。
いろいろなことが考えられます。

一つだけここで言っておきたいのは
風景を歌う(叙景の)導入部として
「です・ます」による丁寧感を打ち出そうとした――。

「春の日の夕暮」という風景を見た感想を
誰かしらに案内しようとして
「です・ます」を使ったのを
途中(感極まったのか)
断言的に語り出し
落ち着いたところで再び「です・ます」に戻した――。

風景を案内するのですから
ナレーション(語り)がよかったのです。

誰かしらとは読者であってもよいのですが
詩人の中にいるもう一人の詩人であってもよいかもしれません。

となればここは
「一人二役」のモノローグということになりますし
内部に二人いる詩人のダイアローグというふうに考えてもOKかもしれません。

「初期詩篇」の1番目と3番目に置かれた詩が
同一の構造を持っているということになります。

たわいのない発見のようですが
ここには重大な発見が含まれています。

「春の日の夕暮」
「月」
「サーカス」
「春の夜」
「朝の歌」
「臨終」
「都会の夏の夜」
……

これらの詩の「連続性」が見えてくるのです!

「春の日の夕暮」と「サーカス」が繋がっているということが見えてきて
それがとっかかりになって
今度はこれら多くの詩篇のつながりさえ見えはじめるのです。

こういうことを
面白いといわずにはいられません。

今回はこれまで。

春の日の夕暮
 
トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶(いなな)くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするままに
従順なのは 春の日の夕暮か

ポトホトと野の中に伽藍(がらん)は紅(あか)く
荷馬車の車輪 油を失い
私が歴史的現在に物を云(い)えば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言(むごん)ながら 前進します
自(みずか)らの 静脈管の中へです

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

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