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2014年7月30日 (水)

読まれるたびに詩は生まれるが/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

「月」の主格を父と見なし
「在りし日の歌」の「月」を同時に読む
中原思郎の眼差しが貴重です。

この眼差しによって
「山羊の歌」を「春の日の夕暮」から読みはじめ
「月」を読み
次に「在りし日の歌」の「月」を読むという道筋を
可能にするからです。

「山羊の歌」と「在りし日の歌」の間に横たわる深い溝は
こうして一っ飛びに越えることができますから
中也の詩の読みに幅が出てきます。

「山羊の歌」と「在りし日の歌」は断絶するものではなく
つながっていることを改めて気づかされるものですし
詩(集)は自由に読まれてよいという道を開いてもいるからです。

一つの詩は
なんとさまざまな読みができるものでありましょう!

もとより詩は人によって着眼するところが異なり
多種多様な読まれ方をしますし
そのどれもが新しい発見に満ちていておかしくはありませんし
詩はあらゆる所あらゆる時に読まれますから
ひっきりなしに新しい詩の読まれ方が生じるものです。

詩は読まれるたびに生まれるのですが……。

難解といわれる詩「月」には
難解であるゆえにか
もっともっと角度の異なる読みが試みられています。

「新編中原中也全集」第1巻の「解題篇」で提案されている読み(参考文献)は
その一部であるのかも知れませんが
多様にある読みのうちの「定説」に近いものでもありますから
それを見てみましょう。

その一つは、
ボードレールの(詩の)影響
もう一つは、
オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」の影響です。

ボードレールの詩は、韻文詩集「悪の花」の中にあり、
中也の同時代訳である永井荷風の翻訳詩集「珊瑚集」中の「月の悲しみ」の冒頭行が
参考文献として挙げられています。

「想を得た」とか「触発された」とか
なんらの断定もされていない記述です。

永井荷風の翻訳を全文引いておきましょう。

月の悲しみ
シャアル・ボオドレエル

「月」今宵(こよひ)いよゝ懶(ものう)く夢みたり。
おびただしき小蒲団(クツサン)に乱れて軽き片手して、
まどろむ前にそが胸の
ふくらみ撫(な)づる美女の如(ごと)。

軟(やはらか)き雪のなだれの繻子(しゆす)の背や、
仰向(あふむ)きて横(よこた)はる月は吐息も長々と、
青空に真白く昇(のぼ)る幻(まぼろし)の
花の如(ごと)きを眺(なが)めやりて、

懶(ものう)き疲れの折折(をりをり)は下界の面(おも)に、
消え易(やす)き涙の玉を落す時、
眠りの仇敵(きゆうてき)、沈思(ちんし)の詩人は、
そが掌(てのひら)に猫眼石の破片(かけ)ときらめく
蒼白(あおじろ)き月の涙を摘取(つみと)りて、
「太陽」の眼(まなこ)を忍(しの)びて胸にかくしつ。

(「珊瑚集」仏蘭西近代叙情詩選 永井荷風訳、新潮社、昭和43年7月20日9刷改版)

途中ですが今回はここまで。

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