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2014年7月22日 (火)

それは女か?/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

恋の終わりは世界の終わり。
――であるかのように「羊の歌」は凍(こご)えるこころを歌って閉じるのですが
「いのちの声」冒頭連では
僕は何かを求めている、
絶えず何かを求めている。
――と歌う自問の中で
それは女か? 
甘いものか?
それは栄誉か?
――と恋は「女」として客観化されます。

あられもない姿をさらした詩人は
女一般を歌えるところに来ています。

詩人は立ち直ったのです。

「山羊の歌」に充満する恋愛は
詩(人)論を歌う過程で
恋愛詩論を呼び出し
詩(人)論への問いを生みながら
それを補完し強化し
消えて行きました。

詩とはなにか――。

「それ」の答えを探す旅が
一巡りしたかのようです。

ゴミゴミゴミゴミ
懐疑の小屑を腹の底に抱えたまま
詩人はやがて
夜の波止場裏の路地にさしかかります。

だらだらだらだら
しつこい雨が降る中を
ゴム合羽をひっかけて行くのは
ベルレーヌさんです。

「在りし日の歌」の「夜更の雨」へは
もう一息のところへ詩人は来ています。

いっぽう、

瓦が一枚はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら前進します
自らの静脈管の中へです。
――と歌った「春の日の夕暮」から
詩人は前進したといえるのでしょうか?

「山羊の歌」2番目の詩「月」の愁しみへと
ふたたびやって来ました。

「在りし日の歌」の詩(人)論
そして恋愛詩論の行方はどうなることでしょう。

引き続き注目されるところですが
「山羊の歌」にも
「在りし日の歌」にも
「月」が置かれているのは
なんともいえない配剤の妙というものでしょうか
どちらへも道は開かれています。

今回はここまで。
ここでは「夜更の雨」を読んでおきましょう。

「夜更の雨」は
「含羞」「むなしさ」に続いて
「在りし日の歌」3番目に配置されている詩です。

夜更の雨
    ――ヴェルレーヌの面影――
 
 
雨は 今宵(こよい)も 昔 ながらに、
  昔 ながらの 唄を うたってる。
だらだら だらだら しつこい 程だ。
  と、見る ヴェル氏の あの図体(ずうたい)が、
倉庫の 間の 路次(ろじ)を ゆくのだ。

倉庫の 間にゃ 護謨合羽(かっぱ)の 反射(ひかり)だ。
  それから 泥炭(でいたん)の しみたれた 巫戯(ふざ)けだ。
さてこの 路次を 抜けさえ したらば、
  抜けさえ したらと ほのかな のぞみだ……
いやはや のぞみにゃ 相違も あるまい?

自動車 なんぞに 用事は ないぞ、
  あかるい 外燈(ひ)なぞは なおの ことだ。
酒場の 軒燈(あかり)の 腐った 眼玉よ、
  遐(とお)くの 方では 舎密(せいみ)も 鳴ってる。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

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