「冬の長門峡」の二つの過去/面白い!中也の日本語
すでに「冬の長門峡」へのアプローチを
「生きているうちに読んでおきたい名作たち4」としてアップしましたが
ここでもう一度読んでおきましょう。
少しだけ手を入れた部分がありますが
過去の読みと現在の読みとが
ようやく繋がりはじめました。
◇
冬の長門峡
長門峡に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。
われは料亭にありぬ。
酒酌みてありぬ。
われのほか別に、
客とてもなかりけり。
水は、恰も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。
やがても密柑の如き夕陽、
欄干にこぼれたり。
ああ! ――そのような時もありき、
寒い寒い 日なりき。
(※「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ」より。「新字・新かな」に変えてあります。編者。)
◇
叙景にはじまり叙情に転じる詩であるという角度でみると
「冬の長門峡」は
「春の日の夕暮」と同じグループの詩篇です。
しかし「転」の部分の動きが
それほどくっきりしているものではないので
そうとは見えにくいのですが
じっくり読めば「起承転結」が浮かび上がってきます。
◇
そもそも2行6連構成の詩ですから
きっかり起承転結に当てはまりませんが
第1連が起
第2、3連が承
第4、5連が転
第6連が結
――というようなことになるでしょうか。
◇
第1連で、長門峡の風景から起こし
第2連、第3連で、それを受(承)けて詩人が登場します。
ここまでは静かな長門峡と宿にいる詩人の叙景です。
第4連、第5連
水は、恰(あたか)も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。
やがても密柑(みかん)の如き夕陽、
欄干にこぼれたり。
――で、この詩の風景の中に動きが出てきて
最終第6連
ああ! ――そのような時もありき、
寒い寒い 日なりき。
――が「結(論)」と読める構造です。
◇
技巧も修辞(レトリック)もないような詩で
プロの読み手にも賛否両論がありますが
読み込めば読み込むほど
ハイ・ブローな技が見えてくる詩です。
一読して単調な感じを抱かせますが
読めば読むほどに深みが出てきます。
◇
まず冒頭連の
長門峡に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。
――で、ある特定の過去(ある日ある時)に
長門峡に遊んだのが寒い日だったことを叙述します。
第2連から第5連までは
長門峡での経験の内容が淡々と語られ
最終第6連でふたたび
寒い寒い 日なりき。
――と、その日が寒い日だったことを述べます。
それだけです。
◇
かつて長門峡に遊んだ日が寒い日だったことを
冒頭と末尾で繰り返し
その間の連で
詩人が目にした景色や経験が歌われるのですが
冒頭行など3か所に出てくる「けり」には
過去を表わしつつ「詠嘆」の気持ちが込められています。
水は流れてありにけり。
客とてもなかりけり。
流れ流れてありにけり。
この3行には「詠嘆」の気持ちがあるということです。
◇
情景描写の中に情感が込められているのですが
ほかの行は、
なりき
ありぬ
こぼれたり
ありき
なりき
――と過去を断定的に叙述するだけになっています。
こちらは心の動きを感じさせない工夫が凝らされているのです。
この詩の背後には
愛息文也を失った悲しみがあり
詩人はそれを表面に出すまいと歯を食いしばっているからです。
◇
詩人はいま長門峡を目前にしているのではありません。
長門峡を見ながら写生しているのではありません。
長門峡は遠い日に遊んだ場所です。
それを回想して歌っているうちにその過去へ入り込み
長門峡を流れる水が
魂を持つかのように流れているのを感じたのです。
この魂は文也以外にありえません。
◇
水に魂を感じてまもなく
今度はミカンのような真ん丸であったかそうな夕陽が
欄干越しに現われました。
この夕陽も文也以外にありえません。
◇
どちらも回想の中に現われた風景なのですが
詩人はいま、それらを目前にしているように
ありありと思い出すのです。
が……次の瞬間、
それらが遠い過去のものであることを知ります。
◇
第5連と第6連の間は
連続しているようで
無限といってよい時間が存在します。
ああ! ――そのような時もありき、
寒い寒い 日なりき。
――と我に帰る詩人は
回想をはじめた冒頭の時間から
遠く隔たった今を自覚します。
◇
この詩には
二つの過去があります。
過去の時間が二つあります。
◇
今回はここまで。
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