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2014年7月19日 (土)

「憔悴」の詩(人)論/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

「羊の歌」を作り
「憔悴」を作り
「いのちの声」を作る過程は
一方向的な流れというよりも
行きつ戻りつする「可逆時間」を詩人が支配していました。

詩集を作ろうという意志を詩人は持ち
編集する意志に満たされていたはずでした。

この過程で生まれた詩は
この3作のほかに「宿酔」があるだけのようです。

詩(人)論の詩の系譜を見るうちに
恋愛詩の系譜へのクロスオーバーにたどり着きました。

「山羊の歌」は
つまるところここへ行き着き
またここから離れ
ここを通過しないでは読めない詩集であることを知ったようです。

「憔悴」は
そのことを歌った詩(人)についての詩です。
詩(人)論が全面展開されています。

――ということがどんなに面白いことであるかを知ったということですが
それは裏返せば
「羊の歌」よりも「いのちの声」よりも面白いという意味をもつということですよ!

ここでしっかり
「憔悴」を読み直しておきましょう。

憔 悴
 
       Pour tout homme, il vient une èpoque
     
       où l'homme languit. ―Proverbe.

       Il faut d'abord avoir soif……
                       
                 ――Cathèrine de Mèdicis.

私はも早、善(よ)い意志をもっては目覚めなかった
起きれば愁(うれ)わしい 平常(いつも)のおもい
私は、悪い意志をもってゆめみた……
(私は其処(そこ)に安住したのでもないが、
其処を抜け出すことも叶(かな)わなかった)
そして、夜が来ると私は思うのだった、
此(こ)の世は、海のようなものであると。

私はすこししけている宵(よい)の海をおもった
其処を、やつれた顔の船頭(せんどう)は
おぼつかない手で漕(こ)ぎながら
獲物があるかあるまいことか
水の面(おもて)を、にらめながらに過ぎてゆく

   Ⅱ

昔 私は思っていたものだった
恋愛詩なぞ愚劣(ぐれつ)なものだと

今私は恋愛詩を詠(よ)み
甲斐(かい)あることに思うのだ

だがまだ今でもともすると
恋愛詩よりもましな詩境にはいりたい

その心が間違っているかいないか知らないが
とにかくそういう心が残っており

それは時々私をいらだて
とんだ希望を起(おこ)させる

昔私は思っていたものだった
恋愛詩なぞ愚劣なものだと

けれどもいまでは恋愛を
ゆめみるほかに能がない

   Ⅲ

それが私の堕落かどうか
どうして私に知れようものか

腕にたるんだ私の怠惰(たいだ)
今日も日が照る 空は青いよ

ひょっとしたなら昔から
おれの手に負えたのはこの怠惰だけだったかもしれぬ

真面目(まじめ)な希望も その怠惰の中から
憧憬(しょうけい)したのにすぎなかったかもしれぬ

ああ それにしてもそれにしても
ゆめみるだけの 男になろうとはおもわなかった!

   Ⅳ

しかし此の世の善だの悪だの
容易に人間に分りはせぬ

人間に分らない無数の理由が
あれをもこれをも支配しているのだ

山蔭(さんいん)の清水のように忍耐ぶかく
つぐんでいれば愉(たの)しいだけだ

汽車からみえる 山も 草も
空も 川も みんなみんな

やがては全体の調和に溶けて
空に昇って 虹となるのだろうとおもう……

   Ⅴ

さてどうすれば利(り)するだろうか、とか
どうすれば哂(わら)われないですむだろうか、とかと

要するに人を相手の思惑(おもわく)に
明けくれすぐす、世の人々よ、

僕はあなたがたの心も尤(もっと)もと感じ
一生懸命郷(ごう)に従ってもみたのだが

今日また自分に帰るのだ
ひっぱったゴムを手離したように

そうしてこの怠惰の窗(まど)の中から
扇(おうぎ)のかたちに食指をひろげ

青空を喫(す)う 閑(ひま)を嚥(の)む
蛙(かえる)さながら水に泛(うか)んで

夜(よる)は夜とて星をみる
ああ 空の奥、空の奥。

   Ⅵ

しかし またこうした僕の状態がつづき、
僕とても何か人のするようなことをしなければならないと思い、
自分の生存をしんきくさく感じ、
ともすると百貨店のお買上品届け人にさえ驚嘆(きょうたん)する。

そして理窟(りくつ)はいつでもはっきりしているのに
気持の底ではゴミゴミゴミゴミ懐疑(かいぎ)の小屑(おくず)が一杯です。
それがばかげているにしても、その二っつが
僕の中にあり、僕から抜けぬことはたしかなのです。

と、聞えてくる音楽には心惹(ひ)かれ、
ちょっとは生き生きしもするのですが、
その時その二っつは僕の中に死んで、

ああ 空の歌、海の歌、
僕は美の、核心を知っているとおもうのですが
それにしても辛いことです、怠惰を逭(のが)れるすべがない!

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

この詩でもっとも詩(人)論が剥き出しになっているのは
「Ⅴ」の、

今日また自分に帰るのだ
ひっぱったゴムを手離したように

そうしてこの怠惰の窗(まど)の中から
扇(おうぎ)のかたちに食指をひろげ

青空を喫(す)う 閑(ひま)を嚥(の)む
蛙(かえる)さながら水に泛(うか)んで

夜(よる)は夜とて星をみる

――でしょう。

末行に
ああ 空の奥、空の奥。
――とあるのに撹乱(かくらん)されずに読んでおきましょう。

今回はここまで。

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