素手(すで)で「月」をつかむ/面白い!中也の日本語
(前回からつづく)
月
今宵(こよい)月はいよよ愁(かな)しく、
養父の疑惑に瞳を睜(みは)る。
秒刻(とき)は銀波を砂漠に流し
老男(ろうなん)の耳朶(じだ)は蛍光をともす。
ああ忘られた運河の岸堤
胸に残った戦車の地音(じおん)
銹(さ)びつく鑵(かん)の煙草とりいで
月は懶(ものう)く喫(す)っている。
それのめぐりを七人の天女(てんにょ)は
趾頭舞踊(しとうぶよう)しつづけているが、
汚辱(おじょく)に浸る月の心に
なんの慰愛(いあい)もあたえはしない。
遠(おち)にちらばる星と星よ!
おまえの劊手(そうしゅ)を月は待ってる
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
「山羊の歌」で2番目に配置されている「月」は
難解な詩ですが
難解な詩であることのために
難解な詩を読み解く楽しみがある詩でもあります。
素手(すで)でこの詩を読むと
難解さを倍加させることになりそうですが
一概にそうとは言えず
参考書のようなものに頼れば頼るほど
詩が遠ざかっていくというような羽目に陥ることもありますから
用心しなければなりません。
なんにも頼らずに
詩と向き合っているだけのほうが
詩に近づけるケースというものがあります。
◇
一読して、うーんと頭をかかえてしまいそうですが
やっぱりここは
「春の日の夕暮」からの流れに置いて
読むと見えてくるものがあります。
◇
瓦がはぐれた――。
ここに「春の日の夕暮」は動きはじめました。
ここでスイッチ・オンの状態に入りました。
夕暮が静脈管の中へ前進するのですが
それがどうしたというのでしょうか?
美しいのでしょうか
悔しいのでしょうか
悲しいのでしょうか
寂しいのでしょうか
空しいのでしょうか
焦っているのでしょうか
怒っているのでしょうか
……。
さしあたっては
ヒントがこのあたりにありそうと見当をつけてみますと……。
夕暮れの中に
一人ぽつねんとしている詩人の姿が見えてきます。
その流れではないだろうか。
◇
「月」が難解なのは
特に第1連。
そのうち第3行、第4行は特に。
秒刻(とき)は銀波を砂漠に流し
老男(ろうなん)の耳朶(じだ)は蛍光をともす。
――は、歯が立ちませんから飛ばしましょう。
(最後になれば理解できるかもしれませんし、理解は永遠に訪れないかもしれません。)
◇
第1行に
今宵(こよい)月はいよよ愁(かな)しく、
――とあり
最終行が
おまえの劊手(そうしゅ)を月は待ってる
――で終わっていることを読み取ることができれば
しめた!ではないでしょうか。
悲愁に暮れている月(誰か)が
首切り(役人)を待っているのです。
月がこの悲しみを
断ち切ってほしいと願っているのです。
◇
となると、
月は私=詩人でしょうか?
ほかの人物でしょうか?
こんな疑問が出てきます。
◇
なんの前知識もなく「月」を読んで
糸口をつかむには
何度も何度も読むしかありません。
ある時、ふと気がつくのです。
◇
今回はここまで。
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