(前回からつづく)
中也にも初恋を歌った詩があります。
何年か前に読んだものを
ここに引っ張り出してみましょう。
少し手を入れました。
◇
未発表詩篇に
(おまえが花のように)
「初恋集」
――の2篇が収められてあります。
まずは(おまえが花のように)です。
◇
(おまえが花のように)
おまえが花のように
淡鼠(うすねず)の絹の靴下穿(は)いた花のように
松竝木(まつなみき)の開け放たれた道をとおって
日曜の朝陽を受けて、歩んで来るのが、
僕にみえだすと僕は大変、
狂気のようになるのだった
それから僕等磧(かわら)に坐って
話をするのであったっけが
思えば僕は一度だって
素直な態度をしたことはなかった
何時(いつ)でもおまえを小突(こづ)いてみたり
いたずらばっかりするのだったが
今でもあの時僕らが坐った
磧の石は、あのままだろうか
草も今でも生えていようか
誰か、それを知ってるものぞ!
おまえはその後どこに行ったか
おまえは今頃どうしているか
僕は何にも知りはしないぞ
そんなことって、あるでしょうかだ
そんなことってあってもなくても
おまえは今では赤の他人
何処(どこ)で誰に笑っているやら
今も香水つけているやら
(一九三五・一・一一)
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
(おまえが花のように)は
初恋の思い出を歌った詩です。
より正確にいえば
初恋の一つを歌ったということですが
初恋がいくつもあるということになると
それも矛盾のようですが
若き日に恋した相手のことは
後年どの一人のことも
初恋と呼んでおかしくもない
甘酸っぱく楽しく悲しい思い出であるのは
いつの世にも不変のことのようであります。
この恋は何歳の頃のことでしょうか。
松並木の道を通って
日曜日の朝日を受けてやってくる女の子は
淡鼠(うすねず)の絹の靴下穿(は)いた花のようで
その姿が見えると僕は
嬉しくて嬉しくて変になるのでした
それから
近くを流れる椹野川(ふしのがわ)の河原に座って話をしましたが
僕はといえば
一度も素直な態度でいたことはなく
いつもお前を小突いてみたり
あれやこれやふざけてばかりいたのでした
今でもあの時僕らが座った河原の石は
あのままだろうか
草は今でも生えているか
そんなことを誰か知っているものがいるわけがない
お前はその後どこへ行ってしまったのか
お前は今ごろどうしているか
僕は何も知りはしない
ああ、そんなことって、あるか、え
そんなことってあるか
あってもなくても
お前は今では赤の他人
どこで誰と笑っていることやら
今も香水つけていることやら
香水をつけている女性なら
もう高校生ほどの年ごろでしょうか。
それとも
何かの折に
小学生か中学生が香りをつけて
詩人のところへ遊びにきたのでしょうか。
よそ行きの「べべ」を着て
親戚である詩人の家を訪ねてきた親子連れの中に
この女性はいたのでしょうか。
「うすねずの絹の靴下」が
なんともなまめかしく
成熟した女性を想像させるのは自然ですが
それを穿いていたのは
少女であったろうという想像も捨てがたく
花のような少女の像が
鮮やかに残りもします。
この詩は
角川・旧全集では「初恋集」の第3節とみなされていましたが
新全集では独立した作品と解釈されました。
◇
次に「初恋集」です。
◇
初恋集
すずえ
それは実際あったことでしょうか
それは実際あったことでしょうか
僕とあなたが嘗(かつ)ては愛した?
ああそんなことが、あったでしょうか。
あなたはその時十四でした
僕はその時十五でした
冬休み、親戚で二人は会って
ほんの一週間、一緒に暮した
ああそんなことがあったでしょうか
あったには、ちがいないけど
どうもほんとと、今は思えぬ
あなたの顔はおぼえているが
あなたはその後遠い国に
お嫁に行ったと僕は聞いた
それを話した男というのは
至極(しごく)普通の顔付していた
それを話した男というのは
至極普通の顔していたよう
子供も二人あるといった
亭主は会社に出てるといった
(一九三五・一・一一)
むつよ
あなたは僕より年が一つ上で
あなたは何かと姉さんぶるのでしたが
実は僕のほうがしっかりしてると
僕は思っていたのでした
ほんに、思えば幼い恋でした
僕が十三で、あなたが十四だった。
その後、あなたは、僕を去ったが
僕は何時まで、あなたを思っていた……
それから暫(しばら)くしてからのこと、
野原に僕の家(うち)の野羊(やぎ)が放してあったのを
あなたは、それが家(うち)のだとしらずに、
それと、暫く遊んでいました
僕は背戸(せど)から、見ていたのでした。
僕がどんなに泣き笑いしたか、
野原の若草に、夕陽が斜めにあたって
それはそれは涙のような、きれいな夕方でそれはあった。
(一九三五・一・一一)
終歌
噛(か)んでやれ。叩いてやれ。
吐(ほ)き出してやれ。
吐き出してやれ!
噛んでやれ。(マシマロやい。)
噛んでやれ。
吐き出してやれ!
(懐かしや。恨めしや。)
今度会ったら、
どうしよか?
噛んでやれ。噛んでやれ。
叩いて、叩いて、
叩いてやれ!
(一九三五・一・一一)
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
「初恋集」は3節からなる作品で
はじめは
(おまえが花のように)を第3節とした
全4節の詩と考えられていましたが
角川・新全集の編集で解釈が改められました。
第1節は、「すずえ」
第2節は、「むつよ」
第3節は、「終歌」とタイトルがつけられて
いずれも初恋の思い出の歌です。
「すずえ」のモデルは
未発表の小説「無題(それは彼にとつて)」に
登場する「文江」ではないかと推測されています。
第2節の「むつよ」は
「文江」をモデルにしたものか
ほかの女性であるか不明ですが
第1節「すずえ」には
あなたはその時十四でした
僕はその時十五でした
――とあり、
第2節「むつよ」には
ほんに、思えば幼い恋でした
僕が十三で、あなたが十四だった。
――とあることから
異なる女性である可能性があるものの
二つの詩が扱う時間が異なっているだけで
十三の少年(「むつよ」)が十五(「すずえ」)になっただけで
相手は同じ女性だったとも考えられます。
しかし、それが誰であるかを特定はできませんし
(おまえは花のように)の女性との関連も特定はできません。
詩人は1935年1月11日という日に
なんらかのきっかけで
遠い日の淡い恋の相手を思い出して
次々に詩にしていきました。
(おまえが花のように)の相手をふくめて
その女性は一人であった可能性もありますが
詩には何人かの女性が登場するようにみえても
不思議なことではありません。
僕にみえだすと僕は大変、
狂気のようになるのだった
――と
(おまえが花のように)で歌った「狂気」は
「狂喜」でもありましたが
幼い日の「恋」とは
何時でもおまえを小突(こづ)いてみたり
いたづらばっかりするのだったが
――というほかに
何か気の利いたセリフを言えるわけでもなく
相手の肉体を痛めつけるまでに
一人占めしたい欲求のようなもの、
サディスティックなまでに
独占したがる欲望のようなもの……
そのような「恋」でしかなかったことを
詩人はいま振り返って
ありありとその場面を思い出すのです。
「狂喜」は「狂気」に近く
「狂気」は「狂喜」に近く
「終歌」では
噛んでやれ、叩いてやれ。
吐(ほ)き出してやれ。
吐(ほ)き出してやれ!
ああ
マシュマロのように
やわらかく
可愛いキミよ
今度会ったら
今度会えることができたら
噛んでやれ
――というのは
幼児の愛咬という行動に似て
そのほかになにもできずに
「咬んで」
僕の愛をぶちまけてやる!という表現ですが……
そんな日が戻ってくるわけがないことを
詩人は絶望的に知っていました。
◇
両詩ともに1935年(昭和10年)の制作です。
「若菜集」の発行(1896年)から40年後ということになります。
藤村とは随分異なる初恋の思い出ですが
どこかしら通じるものもあるでしょうか?
◇
今回はここまで。
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