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2014年8月17日 (日)

「城ヶ島の雨」のうす曇り

(前回からつづく)

白秋と松下俊子との恋は
東京・原宿の家で「垣根越し」にはじまって以来
およそ4年を経て破綻に至るのですが
その間の歓びや苦悩や悲しみを
白秋は折に触れて表白しました。

国民的な愛唱歌として現在でも知らない日本人がいないほど
ポピュラーになった「城ヶ島の雨」にも
俊子と過ごしたやさしく悲しく切ない時間が反映していると読むのは自然なことでしょう。

城ヶ島の雨

雨はふるふる 城ヶ島の磯に
利休鼠の 雨がふる

雨は真珠か 夜明けの霧か
それともわたしの 忍び泣き

舟はゆくゆく 通り矢のはなを
濡れて帆上げた ぬしの舟

ええ 舟は櫓でやる 櫓は唄でやる
唄は船頭さんの 心意気

雨はふるふる 日はうす曇る
舟はゆくゆく 帆がかすむ

九州柳川の実家が営む海産物商が行き詰まり
一家をあげて白秋の住む三崎へ移り住んだ時には
一時は海産物の仲買をして糊口をしのいだこともあったようですが
これもうまくいきませんでした。

この詞に出て来る「舟」は
ですから漁船ということになります。

弟らが生計のために必死になって働いているのを
白秋は切歯扼腕(せっしやくわん)するしかなかったのでしょうか。

なにもできない自分に降る雨は
利休鼠に煙って見え
真珠、にも
夜明けの霧、にも
わたしの忍び泣き、にも見えたと歌うのは
三崎での暮らしの複雑な背景を映し出しているものに違いありません。

しかし、この寂しげな詞(ことば)の立ち上がりは
船頭さんの心意気を励まし(あるいは励まされ)
ポッと薄日の射す海を進んでいく情景で結ばれるのです。

ガンバレ!ガンバレ!と
身を乗り出してエールを送る詩人の姿が見えるようです。

「城ヶ島の雨」は
白秋の初めての童謡でした。

そういえば
先に読んだ「第二白金ノ独楽」中の「河童」にも
童心の芽生えがありましたね。

これをきっかけに白秋は多くの童謡を作り
それらが作曲され
歌曲として演奏されて
やがてはラジオを通じて全国津々浦々に広がっていくことになります。

三浦三崎から小笠原父島での暮らしは
貧乏のどん底にありました。

経済的な窮乏のみならず
下獄事件の精神的打撃は大きく
奈落の底のような暮らしから立ち直るための苦闘が続いていました。

そのプロセスの幾つかの局面が
詩では
「真珠抄」
「白金ノ独楽」
「畑の祭」
「第二白金ノ独楽」
――に歌われました。

短歌では
「桐の花」の一部
「雲母集」
「雀の卵」
――に刻まれました。

今回はここまで。

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