2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

カテゴリー

ブログランキング参加中です

中原中也を歌う(曲と歌:桜木うさこさん)

電子書籍

無料ブログはココログ

« ショックでよみがえる遠い過去/面白い!中也の日本語 | トップページ | 藤村のロマンチック詩 »

2014年8月 6日 (水)

朔太郎の「恋を恋する人」

(前回からつづく)

閑話休題(気分を変えて)。

恋愛詩について少し触れたついでに
ここで幾つか恋愛詩というものを読んでみましょう。

萩原朔太郎(1886年~1942年)は中也の同時代の詩人であり
中也が生存していた時代の詩壇の中心にいた詩人です。

その朔太郎が大正6年(1917年)2月に発行した第1詩集「月に吠える」は
集中の作品が風俗を壊乱(かいらん)するという理由で発売禁止になりました。

しかし問題とされた詩を削除して
再び発行したという有名なエピソードがあります。

詩集「月に吠える」が完全な形で発行されたのは
発売禁止から5年後の大正11年3月のことになります。

風俗を乱すとされた詩の一つが「恋を恋する人」です。

わたしはくちびるに“べに”をぬつて、
あたらしい白樺の幹に接吻した、
よしんば私が美男であらうとも、
わたしの胸には“ごむまり”のやうな乳房がない、
わたしの皮膚からは“きめ”のこまかい粉おしろいの匂ひがしない、
わたしはしなびきつた薄命男だ、
ああ、なんといふいぢらしい男だ、
けふのかぐはしい初夏の野原で、
きらきらする木立の中で、
手には空色の手ぶくろをすつぽりとはめてみた、
腰には“こるせつと”のやうなものをはめてみた、
襟には襟おしろいのやうなものをぬりつけた、
かうしてひつそりと“しな”をつくりながら、
わたしは娘たちのするやうに、
こころもちくびをかしげて、
あたらしい白樺の幹に接吻した、
くちびるにばらいろのべにをぬつて
まつしろの高い樹木にすがりついた。

(詩集「月に吠える」角川文庫、平成元年6月5日 改版8版発行より。原作の傍点は“ ”で示しました。ブログ編者。)

歴史的かな遣いであるため
古語を読むときのような「異化」作用が働いて
いっそう別世界に誘われる感じがしますが……。

「ように」が「やうに」であったり
「い」が「ひ」であったりでは読みにくいということもありますから
現代表記に変えてみましょう。

わたしはくちびるに“べに”をぬって、
あたらしい白樺の幹に接吻した、
よしんば私が美男であろうとも、
わたしの胸には“ごむまり”のような乳房がない、
わたしの皮膚からは“きめ”のこまかい粉おしろいの匂いがしない、
わたしはしなびきった薄命男だ、
ああ、なんといういじらしい男だ、
きょうのかぐわしい初夏の野原で、
きらきらする木立の中で、
手には空色の手ぶくろをすっぽりとはめてみた、
腰には“こるせっと”のようなものをはめてみた、
襟には襟おしろいのようなものをぬりつけた、
こうしてひっそりと“しな”をつくりながら、
わたしは娘たちのするように、
こころもちくびをかしげて、
あたらしい白樺の幹に接吻した、
くちびるにばらいろのべにをぬって
まっしろの高い樹木にすがりついた。

これを恋愛詩と一列にするのは
馬鹿げたことですからしません。

「恋」をテーマにしているというところで
参考にしたいだけのことです。

恋そのものを
オーソドックスとは異なるところから
捉(とら)えようとしている詩心が
現在でも新鮮ですね。

言語の実験というより
感覚の実験みたいなことが試みられていて
面白い例です。

島崎藤村の「初恋」が「若菜集」に発表されたのは
1897年(明治30年)のことでした。

「月に吠える」の初版はそのわずか10年後です。

今回はここまで。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

« ショックでよみがえる遠い過去/面白い!中也の日本語 | トップページ | 藤村のロマンチック詩 »

中原中也の同時代」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1047491/57006573

この記事へのトラックバック一覧です: 朔太郎の「恋を恋する人」:

« ショックでよみがえる遠い過去/面白い!中也の日本語 | トップページ | 藤村のロマンチック詩 »