殺せかし!殺せかし!・「氷島」メモ4/面白い!中也の日本語
(前回からつづく)
第4番「殺せかし! 殺せかし!」は
奇っ怪な詩です。
奇っ怪すぎて
単独で読むには糸口がつかめないので
ほかの詩に応援を求めたくなります。
単独で読むと
読み間違えてしまいそうです。
◇
そこで「詩篇小解」で恋愛詩4篇としてくくられて
その一つに挙げられている詩であることをたよりに
まとめてこの4篇を読んでみることにします。
「遊園地(るなぱーく)にて」はすでに1度読みましたが。
そうだからといって
この詩を読めるか自信はありません。
◇
殺せかし! 殺せかし!
いかなればかくも気高く
優しく 麗わしく 香(かぐ)わしく
すべてを越えて君のみが匂いたまうぞ。
我れは醜き獸(けもの)にして
いかでみ情の数にも足らむ。
もとより我れは奴隷なり 家畜なり
君がみ足の下に腹這い 犬の如くに仕えまつらむ。
願くは我れを踏みつけ
侮辱し
唾(つば)を吐きかけ
また床の上に蹴り
きびしく苛責し
ああ 遂に――
わが息の根の止まる時までも。
我れはもとより家畜なり 奴隷なり
悲しき忍従に耐えむより
はや君の鞭の手をあげ殺せかし。
打ち殺せかし! 打ち殺せかし!
(青空文庫「氷島 萩原朔太郎」より。新かな・新漢字に改めました。ブログ編者。)
◇
気高く
優しく
麗わしく
香(かぐ)わしく
すべてを越えて君のみが匂いたまう
――という女性も
今やオーロラの幻なのでしょう、きっと。
すべての詩行が現在形で書かれてあるからといって
これが現在進行中の恋なのではありません。
◇
この女性の前では
私=詩人は醜い獣でしかなく
女性の情のおよぶところではありません。
家畜であり奴隷であることを思い知るのですが
家畜であり奴隷であることは
いまにはじまったことでもありません。
我れはもとより家畜なり 奴隷なり
――であったのであり
どうやらそれは忍従に耐える悲しみの中にあった私のことと知らされます。
悲しき忍従に耐えむより
はや君の鞭の手をあげ殺せかし。
――という詩行を
このように読んでよいものか。
そのような過去があり
その女性によって
殺されてしまいたいと願うほどその女性を崇拝したことがあった、と。
◇
家畜は
前作「乃木坂倶楽部」に
今も尚家畜の如くに飢えたるかな。
――と歌われた飢えの中にある詩人のことでもあります。
この家畜と同様のものかは
断定できませんが。
無縁とはいえないでしょう。
今も家畜のように飢えている詩人は
何物をも喪失せず
また一切を失い尽した
――という漂泊の果ての今日というある日には
白昼の街の酒場に酔いを求めます。
◇
この飢えが
殺せかし!の叫びにつながるのでしょうか?
◇
氷島の上に独り住み居て、そもそも何の愛恋ぞや。
過去は恥多く悔い多し。
――と「小解」は記したあとに
これもまた北極の長夜に見たる、侘しき極光(オーロラ)の幻燈なるべし
――と続けています。
「殺せかし!」という叫び(愛恋)もまた
アイスランド(氷島)をさすらう詩人が見る
幻光の一つでした。
◇
この詩の現在形は
いわゆる歴史的現在です。
遠い遠い昔のことなのかもしれません。
◇
今回はここまで。
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