恋愛詩のはじまり「月」/面白い!中也の日本語
(前回からつづく)
長谷川泰子が
中也との暮らしをやめて
小林秀雄の元へと去ったのは
大正14年11月のことでした。
「月」が作られたのは
その頃とされていますが
この「11月の事件」の後であるかを断定できません。
◇
「新編中原中也全集」は
「在りし日の歌」所収の「むなしさ」が大正15年2月制作であり
その高踏的な漢語の使用と類似した「月」の制作が
同じ頃のものであると推定し
「月」の制作を「大正14年~15年」の幅をとっています。
「11月の事件」より後の制作である可能性を示唆(しさ)していますが
断定していません。
しかし、高い可能性は否定しようになく
「月」に事件の反映を見ないことのほうが不自然です。
◇
月
今宵(こよい)月はいよよ愁(かな)しく、
養父の疑惑に瞳を睜(みは)る。
秒刻(とき)は銀波を砂漠に流し
老男(ろうなん)の耳朶(じだ)は蛍光をともす。
ああ忘られた運河の岸堤
胸に残った戦車の地音(じおん)
銹(さ)びつく鑵(かん)の煙草とりいで
月は懶(ものう)く喫(す)っている。
それのめぐりを七人の天女(てんにょ)は
趾頭舞踊(しとうぶよう)しつづけているが、
汚辱(おじょく)に浸る月の心に
なんの慰愛(いあい)もあたえはしない。
遠(おち)にちらばる星と星よ!
おまえの劊手(そうしゅ)を月は待ってる
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
今宵(こよい)月はいよよ愁(かな)しく、
――というこのはじまりの唐突な感じ!
詩人にとって「愁しみ」は唐突ではなく
すでに馴染みのものだったのです。
読者はしかしなにが「愁しい」のだろうかと思うヒマもなく
晦渋(かいじゅう)な詩語の攻勢にあい
難解さと苦闘しているうちに
詩を見失うというパターンにはまってしまうのです。
ご用心。
◇
中也の「恋愛詩」は
京都時代のダダ詩は別として
詩に歌われたはじめから
失われた恋なのでした。
◇
中原中也の中期の恋愛詩が始まるのは昭和3年12月18日の「女よ」からである。
――と大岡昇平が「片恋」(「文芸」1956年6月号)を書き出したのは
すでに「朝の歌」(「世界」1956年5月号)を書き終えてからのことでしたから
「初期の恋愛詩」の印象がうすれてしまったということでしょうか。
そういうことも考えられますが
「朝の歌」をよく読めば大岡が
事件の痕跡はしかし過去との断絶の意識となって、現われる。
――と記して
「月」の第2連前半行、
ああ忘られた運河の岸堤
胸に残った戦車の地音(じおん)
――と、
「春の日の夕暮」の第2連前半行、
吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶(いなな)くか――嘶きもしまい
――を例示しているところはさすがです。
中也の恋愛詩のはじまりについて
大岡は「月」と「春の日の夕暮」をはっきりと挙げているのです。
しかし、それ以上に掘り下げられませんでした。
後続する論考・評論も大岡にならっているということでしょうか。
◇
「山羊の歌」には
終始、それが「失恋」であったにせよ恋愛(詩)が歌われています。
途切れ途切れのように見えますが
恋愛(詩)は歌われ
むしろ充満しています。
◇
今回はここまで。
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