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2014年8月 3日 (日)

恋愛詩のはじまり「月」/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

長谷川泰子が
中也との暮らしをやめて
小林秀雄の元へと去ったのは
大正14年11月のことでした。

「月」が作られたのは
その頃とされていますが
この「11月の事件」の後であるかを断定できません。

「新編中原中也全集」は
「在りし日の歌」所収の「むなしさ」が大正15年2月制作であり
その高踏的な漢語の使用と類似した「月」の制作が
同じ頃のものであると推定し
「月」の制作を「大正14年~15年」の幅をとっています。

「11月の事件」より後の制作である可能性を示唆(しさ)していますが
断定していません。

しかし、高い可能性は否定しようになく
「月」に事件の反映を見ないことのほうが不自然です。


 
今宵(こよい)月はいよよ愁(かな)しく、
養父の疑惑に瞳を睜(みは)る。
秒刻(とき)は銀波を砂漠に流し
老男(ろうなん)の耳朶(じだ)は蛍光をともす。

ああ忘られた運河の岸堤
胸に残った戦車の地音(じおん)
銹(さ)びつく鑵(かん)の煙草とりいで
月は懶(ものう)く喫(す)っている。

それのめぐりを七人の天女(てんにょ)は
趾頭舞踊(しとうぶよう)しつづけているが、
汚辱(おじょく)に浸る月の心に

なんの慰愛(いあい)もあたえはしない。
遠(おち)にちらばる星と星よ!
おまえの劊手(そうしゅ)を月は待ってる

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

今宵(こよい)月はいよよ愁(かな)しく、
――というこのはじまりの唐突な感じ!

詩人にとって「愁しみ」は唐突ではなく
すでに馴染みのものだったのです。

読者はしかしなにが「愁しい」のだろうかと思うヒマもなく
晦渋(かいじゅう)な詩語の攻勢にあい
難解さと苦闘しているうちに
詩を見失うというパターンにはまってしまうのです。

ご用心。

中也の「恋愛詩」は
京都時代のダダ詩は別として
詩に歌われたはじめから
失われた恋なのでした。

中原中也の中期の恋愛詩が始まるのは昭和3年12月18日の「女よ」からである。
――と大岡昇平が「片恋」(「文芸」1956年6月号)を書き出したのは
すでに「朝の歌」(「世界」1956年5月号)を書き終えてからのことでしたから
「初期の恋愛詩」の印象がうすれてしまったということでしょうか。

そういうことも考えられますが
「朝の歌」をよく読めば大岡が
事件の痕跡はしかし過去との断絶の意識となって、現われる。
――と記して

「月」の第2連前半行、
ああ忘られた運河の岸堤
胸に残った戦車の地音(じおん)
――と、

「春の日の夕暮」の第2連前半行、
吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶(いなな)くか――嘶きもしまい
――を例示しているところはさすがです。

中也の恋愛詩のはじまりについて
大岡は「月」と「春の日の夕暮」をはっきりと挙げているのです。

しかし、それ以上に掘り下げられませんでした。
後続する論考・評論も大岡にならっているということでしょうか。

「山羊の歌」には
終始、それが「失恋」であったにせよ恋愛(詩)が歌われています。

途切れ途切れのように見えますが
恋愛(詩)は歌われ
むしろ充満しています。

今回はここまで。

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