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2014年8月 5日 (火)

ショックでよみがえる遠い過去/面白い!中也の日本語

(前回からつづく)

事件の痕跡はしかし過去との断絶の意識となって、現われる。
――と大岡昇平がいうのは
泰子を失なったという事件が
過去の一切を過去としてあらためて認識する契機となったと示しているもので
それゆえに遠い日の記憶が突如よみがえってきたものと
「月」に現われる「忘られた運河の岸堤」や「戦車の地音」などを読み解いているのです。

泰子がいなくなって
泰子との暮らしが遠い日のもののように思えたのは
幼時の記憶と同じようなことになってしまったというショックを示し
「在りし日の歌」の「月」で
父の医療施設の風景がまざまざと思い出されたのは
泰子を遠くを見る眼差しで見るようなことなのでした。

「在りし日の歌」の「月」に
泰子は現われませんが
泰子は「文子さん」に映っています。


 
今宵(こよい)月は襄荷(みょうが)を食い過ぎている
済製場(さいせいば)の屋根にブラ下った琵琶(びわ)は鳴るとしも想(おも)えぬ
石灰の匂いがしたって怖(おじ)けるには及ばぬ
灌木(かんぼく)がその個性を砥(と)いでいる
姉妹は眠った、母親は紅殻色(べんがらいろ)の格子を締めた!

さてベランダの上にだが
見れば銅貨が落ちている、いやメダルなのかァ
これは今日昼落とした文子さんのだ
明日はこれを届けてやろう
ポケットに入れたが気にかかる、月は襄荷を食い過ぎている
灌木がその個性を砥いでいる
姉妹は眠った、母親は紅殻色の格子を締めた!
 
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

ここに現われる遠い過去、

済製場(さいせいば)の屋根
ブラ下った琵琶(びわ)
石灰の匂い
――は山口・湯田温泉で父・謙助が営んでいた医院の景色です。

住まいは医院に続く建物の中にあり
中也は立ち入りを禁じられているはずの医療施設で
よく遊んだものでした。

幼児もしくは少年の目に
その無機質であり生々しくもある景色がどのように映ったか
想像できるような気がしませんか?

姉妹は眠った、母親は紅殻色(べんがらいろ)の格子を締めた!
――も故郷での同じような経験の反映でしょうが
ここに詩の「現在」はあります。

「眠った」も「締めた」も
なにごとかの終わりを示しているようです。

こうした景色の中に
灌木(かんぼく)がその個性を砥(と)いでいる
――のは詩人でしょう。

ここにも「現在」がありますが
詩人はここにいます。

そして、もう一人の登場人物である「文子さん」に
「泰子」の影はあることでしょう。

いや、こんなところに泰子がでてくるはずはない、という声が聞こえてきそうですが
「月」が遠い日の淡い恋の歌であるのならまだしも
流れは「山羊の歌」の「月」に連なっています。

今宵(こよい)月は襄荷(みょうが)を食い過ぎている
――は、
今宵(こよい)月はいよよ愁(かな)しく、
――の流れの中にあり
二つは「対」を作っています。

ここは
「悲しみで呆(ぼ)ける」と取るのが自然です。

第1行には
「みょうがを食べ過ぎるとバカになる」という意味を含ませながら
悲しみが隠されてあるのです。

ここに撹乱(かくらん)されてはなりません。

とはいえ
暗喩は正解というものに辿りつくのは
至難であることも忘れてはなりません。

実証できるものはなにもありませんし
実証がすべてではありません。

実証がすべてであるのなら
詩は存在しなくなってしまいます。

「在りし日の歌」の「月」も
広義、恋愛詩なのです。

今回はここまで。

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