三好達治の「氷島」否定論について12/感傷の「底の粗末さ」
(前回からつづく)
比較参照された「小出新道」と「新年」に
まず目を通してみましょう。
◇
小出新道
ここに道路の新開せるは
直として市街に通ずるならん。
われこの新道の交路に立てど
さびしき四方(よも)の地平をきわめず
暗鬱なる日かな
天日家並の軒に低くして
林の雑木まばらに伐られたり。
いかんぞ いかんぞ思惟をかえさん
われの叛きて行かざる道に
新しき樹木みな伐られたり。
◇
新年
新年来り
門松は白く光れり。
道路みな霜に凍りて
冬の凜烈たる寒気の中
地球はその週暦を新たにするか。
われは尚悔いて恨みず
百度(たび)もまた昨日の弾劾を新たにせむ。
いかなれば虚無の時空に
新しき弁証の非有を知らんや。
わが感情は飢えて叫び
わが生活は荒寥たる山野に住めり。
いかんぞ暦数の回帰を知らむ
見よ! 人生は過失なり。
今日の思惟するものを断絶して
百度(たび)もなお昨日の悔恨を新たにせん。
(青空文庫より。新かな・新漢字に改めました。編者。)
◇
「小出新道」について三好達治は
感情の自然な発露と、
ツボを脱さぬ明確な詩句とが
渾然と融和しているではありませんか
――と称揚するいっぽうで
「新年」は
病弊と呼んでよい
空疎な感じ、
不自然な印象
――は明らかであろうと認めません。
◇
「氷島」の詩篇をこのように貶めて(否定して)、
「郷土望景詩」を高評価する三好に対して朔太郎は私信をしたため
「望景詩」は感傷的に甘ったれた薄弱な詩風であり
「氷島」は質実でより沈痛悲壮であることを説いたことを三好は引き合いに出し
これを「全く肯(うべな)い得ざるところ」と切り捨てます。
「郷土望景詩」を感傷的と呼ぶのは、そうかもしれない。
けれども「氷島」の一層沈痛悲壮なところを
一歩譲って認めたとしても
その感傷的ではないと朔太郎の説く
「氷島」の「底の粗末さ」は忍びがたいと否定し去るのです。
◇
感傷的でなく沈痛悲壮である「氷島」ならば
あの粗末さはなんなのですか、と師匠をたしなめる口ぶりです。
◇
三好は他の詩篇の一々をも具体的に例証するつもりがあったが
他の機会にしたほうがよいと考え直して
この「詩集『氷島』に就て」の筆をおくのですが
「氷島」中にも「瑕疵なきもの」はあるとして
「漂泊者の歌」
「帰郷」
「晩秋」等3、4篇を挙げます。
(「氷島」に評価できる詩篇があることが明らかにされていることは記憶に値することでしょう。)
◇
と、ここで終わるかにみえたこの私信は
最後に「抒情精神」について語りはじめます。
時間の唯一の支点であるその抒情精神が
つねに生動しつづけることの困難、
ことさら、朔太郎のような
過去に輝かしい業績を残している詩人が
この抒情精神から遠いところに境遇を置いたとしたならば
その不幸はどんなものであろう。
もう一度自分の歌を取り戻そうとし
その意欲を過去の追憶から得ようとするに違いない、
その時に
もはや創造の唯一の支点である
その過去の作品の反芻を試みるケースがあるのではないか、
このようなケースと「氷島」の病弊とは無関係でなさそうです、
――と「作品と作家」の関係に言及します。
◇
そうして、最後の最後に、
あれやこれや、ある意味では詩歌よりなお一層詩的な、人生そのものの悲愁を感じ、眼底の熱くなるのを覚えます。怱々不備。
――として「私信形式」のこの文を閉じたのでした。
◇
詩歌の、そのテキストの鑑賞は
詩人の人生そのもの悲愁に向けられ
「涙」で結ばれたのです。
私信だからできたことなのでしょうか
「四季」誌上でこそのエピローグだったのでしょうか。
◇
今回はここまで。
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