三好達治の「氷島」否定論について/文庫詩集解説の前代未聞
(前回からつづく)
少し振り返ってみますと。
中原中也が「山羊の歌」巻末の3作品で
「恋愛詩」およびその周辺について歌い
そのうち「憔悴」では「恋愛詩」を詩語として使って歌っているのに触発されてから
萩原朔太郎の「恋を恋する人」を思い出し
次に藤村の「初恋」に触れ
さらに白秋の初恋から不倫の詩へと眼を転じ
その白秋主宰の文芸雑誌「朱欒(ザンボア)」を出発点とした犀星・朔太郎へ移り
朔太郎では郷土望景詩に目を奪われた勢いで
詩集「氷島」の全詩25篇を読む必要に迫られた
――という経緯でこのブログの現在はあります。
◇
「氷島」は最終詩「昨日にまさる恋しさの」が恋愛詩であることを突き止めて
一つの発見をしたような
心底で予測していたようなことが起こって
改めてほっとしたところでしたが
そのことに着目して詩集「氷島」を読む例は
全く見つかりませんでした。
その大きな原因が
どうやら三好達治による「氷島」の解説にあるようでした。
◇
三好達治は
一般読者のもっとも身近にあるポケット版(文庫版)詩集である
岩波文庫版の「萩原朔太郎詩集」(1952年初版)や
新潮文庫版の「純情小曲集、氷島、散文詩他」(1955年初版)の解説を書いているのですが
単なる解説者である以上に
これらポケット詩集の「編集」に加わっていて
どちらの詩集でも詩篇の選者になっていますから
詩集そのものの構成にも参加したことになります。
◇
紙の本(電子ブックではなく)のことですから
「紙幅」の制限があることや
重複を避けるという理由で
「郷土望景詩」は「氷島」中に配置されていないというようなことも起こります。
このことは三好達治の考えというよりも
出版社編集の方針であったのであろうし
営業上の理由でもあった公算が大きいのですが
「氷島」を完全版で読める文庫本は
2014年現在ひとつも存在しません。
ネットの青空文庫だけが
「氷島」を完全版で読める唯一のものです。
(※青空文庫と連携した「AmazonのKindle本」に無料の「氷島」もあります。また、紙本の初刊本や全集は完全版であることはもちろんです。)
◇
岩波文庫も新潮文庫も
どちらもが三好の解説なのですが
そのどちらもが「氷島」を評価しないで
批判が前面に出ています。
評価しない(無評価)ではなく
否定に近い評価を積極的に行っているのです。
文庫本の解説にして
これは前代未聞であり珍事です。
なぜそうなったのでしょうか?
専門家の考えを聞きたいところですが
まずはその三好の解説を読んでおきましょう。
◇
岩波文庫版の解説「あとがき」から。
さて二つの主著「月に吠える」「青猫」の後に、後者の拾遺に引続く「郷土望景詩」11篇(「純情小曲集」後半、大正14年作)は、その簡潔直截なスタイルと現実的即事実的な取材において、従ってまたその情感のさし逼った具体性において、この詩人の従前の諸作から遥かに埒外に出た、篇什こそ乏しけれ一個隔絶した詩風を別に鮮明にかかげたものであった。
この独立した一小頂点の標高は、あるいは前2著に卓んでていたかも知れない。しかしながらこの詩風の一時期は、極めて短小な時日の後に終熄した。それはそういう性質のものでもあったから、それが当然でもあったが、その事自身はまた萩原さんの胸裡に後にはその事自身への何か渇きのようなものをさえ持越させはしなかったであろうか。
かくいうのは仮そめの私の推測をいうのであるが、私にはどうもそういう感じがする。二つの主著の時期に、それぞれ窮まるところのない豊かな制作力を示したこの詩人は、この際は閃光的な燃焼の後にふっつり久しく沈黙した。そうして久しい沈黙の後に、それが再び詩集「氷島」(昭和5、6年―8年頃の作)に再度その爆発的表白を試みた時には、しかしながら既に何かしらそこにはもはや取りかえすすべもなく失われ変質されたものが私には感じられるのである。
萩原さんの詩に終始「愛憐詩篇」の昔から通じて見られたあの非論理性(イロジスム)の魅力、あの独自の魔術は、それのみが露わに、ここではかの秘密の調和を欠いて、ついにその歌口はただ索莫として私の耳には聞える。百木揺落の粛殺たる声に私の耳はついに私の耳は耐ええないのかも知れない。余人にはいかがであろうか。
(三好達治選「萩原朔太郎詩集」より。洋数字に変え、改行・行空きを加えてあります。編者。)
◇
これが文庫本11ページの解説の結末部1ページに書かれました。
◇
今回はここまで。
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