「雪野」の作家、赤瀬川原平さん死去。
新聞で、赤瀬川原平さんの訃報を知りました。慎んでご冥福を申し上げます。
赤瀬川原平さんは、僕たちよりも一時代前というか少し前というか、僕たちが60年代末の渋谷街頭でサンドイッチマンをしていた時期より前(それは60年安保前のことらしい)に同じ渋谷で街頭宣伝のアルバイト(つまりサンドイッチマン)をしていました。サンドイッチマンという仕事は、OK倶楽部という小さな組織が取り仕切っていて、手配師の加藤さんが赤瀬川さんのことを何かの折に話すことがあり、耳を傾けたことがあります。「彼は、君たちなんかとは比べものにならんくらい真面目だったよ。毎日、きちんと約束の時間に現われ、プラカード持ちの仕事なんかもバカにしなかった。サボるなんて見たことなかったよ」と、サボってばかりいる僕たちに説教したものだった。僕たちが渋谷に出る前、道玄坂のとば口にあった「ボストン」だったかという名の画廊喫茶で、赤瀬川さんが開いた個展を見た加藤さんが、そのことを面白おかしく話してくれたりもした。空に向かってあんぐり開けている男の口に落ちかかっている「異物」の絵の話は、たちまち仲間の間に伝わっていった。加藤さんの話には尾ひれがついていたかもしれないが、僕は今でもその絵を実際に見たかのように記憶しているのです。
「雪野」は、1983年に野間新人文芸賞を受賞しました。1981年の芥川賞(「父が消えた」)の影になり、一般にはあまり話題となりませんでしたが、これはサンドイッチマンの経験を元にした傑作です。詩人の大岡信が、「芸術論小説」として賞讃していた新聞記事が思い出されます。
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