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2014年10月18日 (土)

三好達治の「氷島」否定論について10/リズム・ センチメンタリズム・ 自働

(前回からつづく)

 

三好達治の「氷島」否定論は
「『詩の原理』の原理」のタイトルで
昭和35年に文芸雑誌「新潮」に発表されたものですが
「氷島」の文字を前面に出していません。

 

では『詩の原理』(昭和3年発行)への論評かというとそうではなく
『詩の原理』が「『詩の原理』の原理」に現れるのは
この論評の結論部に
「『詩の原理』の著者は――」とある1度だけです。

 

出版社の営業政策か編集の配慮か。
三好自身の意図だったのでしょうか。

 

朔太郎の著作『詩の原理』をタイトルにもってきて
「氷島」制作の「原理」を解き明かしたという格好になりました。

 

 

「『詩の原理』の原理」は
朔太郎若き日に同郷の詩人高橋元吉に宛てた書簡集を読むうちに想を得て(という形で)
「氷島」論を導いています。

 

その導入部は、

 

ここで一服として先ほどから筆をおいていると、しかしながら私にはけげんな一つの記憶がよみがえってくるのを覚えた。唐突に、一足とびにではあるが、かねがね私の気がかりでもあった詩集の『氷島』に就て、世評もまちまちなあの先生の最後の詩集に就て、この機に改めて私の覚え書をしるしておきたいのである。

 

――と記述されています。

 

 

高橋元吉宛書簡集の一部が
三好に朔太郎の詩作法=「詩の原理」を考える動機となったというのですから
「『詩の原理』の原理」の書き出しの部分を
ここで読んでおかないわけにはいきません。

 

「氷島」が現れるまでの長い前置きのため
先を急いで飛ばしたところです。

 

 

この書簡集は
大正5年の前後1両年のうちに書かれた高橋元吉宛の手紙を収集したもので
同じく同郷・前橋出身の詩人伊藤信吉から借りたものです。

 

大正6年に「月に吠える」を発表したのですから
その頃に書かれたものといってよく
朔太郎は30歳になろうとしていました。

 

三好が着目したのは
一部が異なる手紙の中から次の計5か所です。

 

まず一つ目。

 

 

どんな思想どんな感情を自分自身でもっているのか、自ら何ごとを書こうと試みて居るのか全く無我夢中です。ただ心の底をながるる一種のリズムを捉えて無自覚にそのリズムを追って居るにすぎない、それ故創作当時における自身は半ば無意識なる自働器械のようなものにすぎない。作ってからも自らその詩にあらわれた思想や感情の中心を捕捉するに苦しむ場合が多いのです。それ故、新しい詩については自ら全く何ごとも語る権利がありません。併し不思議なことには暫らく(数ヶ月又は一ヶ年)時が立つと、自然と自分の詩の思想の中心が自分にはっきり解ってきます。云々。

 

 

ここに書かれた「自働器械」が
後のシュールレアリズムの口吻(こうふん)を先どりしているようで面白いし、
それは「月に吠える」の詩法の急所であった、と三好は読み取ります。

 

 

二つ目。

 

――実に私はあすこのところでは書きながら涙を流して居たのです。全篇の中ではあそこがいちばん感傷的のように思われますが、創作当時の私の心もちも矢張そうでした、あのへんは全く涙でぬらされた草稿でした。だから兄の御言葉をよんでリズムというものの神秘性に驚かされました、リズムは実に人心から人心へ電流のように感流する不思議な物象です。云々。

 

 

リズムの神秘性に驚く朔太郎ですが
涙、感傷、電流など
その伝播(感流)する仕方の不思議が述べられています。

 

 

このリズムについては
三好はさらに手紙を引用し
突っ込んだ考察を加えます。

 

 

三つ目。

 

人間の真価はその人の肉体的リズムの外にありません、なつかしい人、きらいな人、崇高な人、不満な人、それはその人のリズムによってきまることです。“思想”は単に人格の重みをつけるだけです、而して「真理とは何ぞやです。云々。

 

四つ目。

 

悔い改めし罪人と聖人たちが天国に於ける会話は、トルストイの至純な愛と信仰とを示して居ます。この信仰はド氏のものと同じです。而してド氏の罪と罰の居酒屋に於けるマルメラードフの懺悔と全く同じ思想を語って居ます、それにも関らず、私はトルストイのこの小品とドストエフスキーのあの小説中のエピソードを思い合わせてそのリズムの恐ろしい相違に今更の如く驚かされました。

 

ト氏とド氏とはどう考えても全く正反対の肉体をもった人間です、思想の点では一致しても内心のリズムが全っきり反対の人物です。云々。

 

 

五つ目。

 

私は感傷という言葉をよく主張しますが、実際、宗教でも詩でもその核心の生命は必竟、感傷にすぎないと思います、センチメンタルほど貴重なものは此の世界にない筈だとさえ思って居ます、私のいつかお話した別の詩「奇蹟」(玩具をほしがる小児と老人の対話)は私のこの信念から生れたものです。

 

此の世には何等の奇蹟もなく神もない、併しただ一つ「救い」がある、それは「涙」である。涙がすべての奇蹟を生むという思想の作品です、もちろん理解は肝心です、けれども理解ばかりで涙の伴わないものはほんとの「救い」ではありません。云々。

 

 

一般に流通する意味をはるかに超えた内容を
朔太郎はリズムという用語に含ませています。

 

「内包過剰」と三好は見なしながら
ここに注目したのでした。

 

 

以上の高橋元吉宛の手紙を読んで
得た三好の結論(ポイント)だけをつづめていえば、

 

リズムは
センチメンタリズムと分かちがたく
自働的に動いている

 

――という朔太郎の詩法(=詩の原理)でした。

 

 

念のために
三好の記述をそのまま引いておけば、

 

内包過剰な用語の「リズム」は、――肉体精神いっさいがっさいに相亙るところの、
芸術上のぎりぎり一番だいじな印璽のようなものとして考えられていた萩原さんのいわゆる「リズム」は、
右に説かれるセンチメンタリズムと形影相分ちがたい一つのものとして、
当時の筆者にあっては一つ単位のものとして自働的に動いていたと受とるときに、
内包はいっそうとめどもなく散大するようではあるけれども、
反って性質上にはしっくり統一がとれ、
前者の用語も”形勢”の上ではすっきり大づかみに納得できるであろう、
私にはそう考えられる。

 

――となります。

 

(「『詩の原理』の原理」筑摩叢書1より。原作の歴史的かな遣いを現代かな遣いに変え、改行を加えてあります。編者。)

 

 

この結論が
「氷島」論をふっと書かせるきっかけになったのです。

 

 

「『詩の原理』の原理」のあらましを
何回かにわたって案内してきましたが
ようやく「氷島」刊行直後(昭和9年)に
三好達治が発表した「氷島」批判を読む段取りが整いました。

 

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

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