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2014年10月 5日 (日)

三好達治の「氷島」否定論について2/なぜ否定一色の案内か?

(前回からつづく)

 

「氷島」は、
もはや取りかえすすべもなく失われ変質されたもの
――であり

 

「愛憐詩篇」の昔から通じて見られたあの非論理性(イロジスム)の魅力、あの独自の魔術は、それのみが露わ
――であり

 

ここではかの秘密の調和を欠いてついにその歌口はただ索莫として
――いるのであり

 

百木揺落の粛殺たる声
――にしか聞えない(聞くに耐えない)。

 

 

要約すると、
詩は「索漠」「粛殺たる声」であってはいけない
――と三好達治は言っているようです。

 

 

新潮文庫「純情小曲集、氷島、散文詩他」の解説(あとがき)も
三好達治が書いていますが
ここでも三好は「氷島」批判を止(や)めません。

 

6ページのあとがきのうちで1ページに満たないものですが
「氷島」について次のように記しています。

 

 

昭和9年刊の「氷島」は、まさしく「望景詩」からの、ほぼ10年を隔てたむし返し再燃焼であって、――そうしてここでは、前者(※「望景詩」を指す。ブログ編者注。)に於ける破格の、その秘密の審美的調和感が無惨にうち毀され了ったかのように私には感ぜられる。

 

「氷島」は(書中の旧作再録は別にしていっても)決して「望景詩」の如く一気呵成の作でなく、凡そ昭和6年を中心に、その前後数年、精しくいうと2年―8年に及んで制作されている。萩原さんが最後の新詩境の開拓に、余人の揣摩しがたいぎりぎりの苦しい探索をつづけられたのは、寧ろ痛々しいくらいにも今日顧みられるのである。

 

この期間は評論感想アフォリズム等の、詩作以外の著作にも、それよりずっと以前からの引続きとして多くの努力が払われていた。「氷島」はその間に於ける間歇的な情熱の、一瞬的な“たたきつけ”、いわばそのようなやり方を以てなされた、そのやり方に於て、過度に陥ったものではなかっただろうか。

 

(※原作は歴史的かな遣いで作られていますが、現代かな遣いに変えました。傍点は“ ”で示し、漢数字を洋数字に変えたほか、改行・行空きを加えてあります。ブログ編者。)

 

 

新潮文庫の「純情小曲集、氷島、散文詩他」は
岩波文庫の「萩原朔太郎詩集」(1952年、昭和27年)が出てから
およそ3年後の1955年(昭和30年)の発行です。

 

口調はやや弱められた感じがあるものの
(郷土望景詩からの)「むし返し再燃焼」と
「氷島」を批判し否定する眼差しは変わりようになく
詩集を案内し推奨する目的であるはずの「あとがき」が
なぜこのような否定一色であるのか
疑問は消えません。

 

 

「氷島」には新しく創作された詩がないというのなら
再録詩篇である「郷土望景詩」を差し引いた残りの詩篇は
無駄(=Nothing)というのでしょうか。

 

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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