反撃する朔太郎/「氷島」の詩語について1・「絶叫」に文章語は必然
(前回からつづく)
これまで見てきたように
こうして日本を代表する詩人の一人である萩原朔太郎の詩集「氷島」は
全集にこそ完全形で収録されていますが
単行本・文庫本ではいわゆる「完本」を見ることはできません。
異例、異常といえる事態でしょう。
◇
朔太郎の最後の詩集「宿命」も
似たような位置にあります。
こちらも再録作品が多く
「アンソロジー」とか「レミックス」とかであるために
一人前の詩集と見なされなかったようですが
今ここで触れる余裕がありません。
◇
三好達治の「氷島」批判に対して
萩原朔太郎は幾らかの反論を試みましたが
その声は三好はおろか出版者の側にも届かなかったのでしょうか。
◇
朔太郎の「『氷島』の詩語について」は
全文を読んでおきましょう。
◇
「氷島」の詩語について
「氷島」の詩は、すべて文章語で書いた。これを文章語で書いたということは、僕にとっては明白に「退却(レトリート)」であった。なぜなら僕は処女詩集「月に吠える」の出発からして、古典的文章語に反抗し、口語自由詩の新しい創造と、既成詩への大胆な破壊を意表してきたのだから。今にして僕が文章語の詩を書くのは、自分の過去の歴史に対して、たしかに後方への退陣である。
しかし「氷島」の詩を書く場合、僕には文章語が全く必然の詩語であった。換言すれば、文章語以外の他の言葉では、あの詩集の情操を表現することが不可能だった。当時僕の生活は全く破産し、精神の危機が切迫して居た。僕は何物に対しても憤怒を感じ、絶えず大声で叫びたいような気持ちで居た。「青猫」を書いた時には、無為とラン惰の生活の中で、阿片の夢に溺れながらも、心に尚ヴィジョンを抱いて居た。しかし、「氷島」を書いた頃には、もはやヴィジョンも無くなって居た。憤怒と、憎悪と、寂寥と、否定と、懐疑と、一切の烈しい感情だけが、僕の心の中に残って居た。「氷島」のポエジイしている精神は、実に「絶叫」という言葉の内容に尽されていた。
そこで詩を書くということは、その当時の僕にとって、心の「絶叫」を現わすということだった。然るに今の日本の言葉(日常口語)は、どうしてもこの表現に適応されない、といって文章語を使うのは、今さら卑怯な退却(レトリート)のような気がして厭であったし、全くそのジレンマに困惑した。その頃書いた僕の或る詩論が表現論の方面で悲観的となり、絶望的の暗い調子を帯びて居たのも、全くこの自分の突き当った、当時の苦しい事情と問題に原因していた。
(筑摩書房「萩原朔太郎全集」第10巻より。原作の歴史的かな遣い・旧漢字を現代かな遣い・新漢字に改めました。改行(行空き)も加えました。編者。)
◇
全集で4ページ余のうち、以上は1割余の量です。
「うなぎの寝床」のような三好達治の文に比べて
主述の明確なすっきりした文ですから
「解説」を要しないでしょう。
しかし、長くなると「だれ」ますから
何回かに分けて読みます。
◇
今回はここまで。
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