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2014年10月12日 (日)

三好達治の「氷島」否定論について5/耳障りな「いかんぞ」

(前回からつづく)

 

「『詩の原理』の原理」(昭和35年初出)の中で
三好達治が長い前置きの末に語りはじめた「氷島」否定の具体例――。

 

その前置きには
「高橋元吉宛書簡集」があり
その中に書かれた朔太郎の詩論があり
これをきっかけにした三好達治の論考を差し置いては前に進めないものがあるものの
ここではその前置きについては後回しで考えることにして
三好の「氷島」否定の中味を読みます。

 

前置きが長すぎて
何を言いたいのかわからなくなってしまうのを避けるためにも。

 

 

「例えば」といって三好がはじめに引くのは、

 

妻子離散して孤独なり
いかんぞまた漂泊の悔を知らむ。
(珈琲店 酔月)

 

わが感情は飢えて叫び
わが生活は荒寥たる山野に住めり。
いかんぞ暦数の回帰を知らむ
見よ! 人生は過失なし。
(新年)

 

我れの持たざるものは一切なり
いかんぞ窮乏を忍ばざらんや。
独り橋を渡るも
灼きつく如く迫り
心みな非力の怒に狂はんとす。
ああ我れの持たざるものは一切なり
いかんぞ乞食の如く羞爾として
道路に落ちたるを乞ふべけんや。
(我れの持たざるものは一切なり)

 

――の3作です。
(※朔太郎の詩を、ここでは歴史的かな遣いのまま掲出しました。)

 

一気に3作が取り上げられたのは
中の詩語「いかんぞ」にターゲットをしぼったからです。

 

 

この3作(の「いかんぞ」)について、

 

ここにいく度もくり返される特殊語、
耳につく「いかんぞ」がもしも、
「郷土望景詩」中の「小出新道」からの転用であり
日時を隔てての重襲であり
習慣的の借用であるとしたら、
制作者の心得方としては
差しつかえがないとばかりはいいきれないものが
どこやらにあるのを覚える
――と論評します。
(※歴史的かな遣いを現代かな遣いに変え、改行を加えてあります。以下同。編者。)

 

「いかんぞ」の乱用(とは言っていませんが)ではないか
これは「制作者の心得方」に問題があるのではないか
――と三好はまず指摘しました。
そして続けます。

 

 

『氷島』にはなお他にも右の引例とまったく同じ骨法の
(――そうしてその悉くがツボを外れている点でもまったく同じ骨法の)
「いかんぞ」がこの外数ヶ所に亙って見出される。

 

その頻度も甚だ目立たしい。

 

そうして「望景詩」のそれ以前には、
今旧作ぜんぶをくわしくは読み返してはみないが
一度も見当たらなかったように記憶する。

 

「小出新道」の「いかんぞ いかんぞ」は初出であって、
それのみが語法の骨法上ぴったりとしたところをえていた。

 

後来のくり返しは悉く、ムリヤリのあてずっぽうで、
著者に於ける套語愛用句というにしても少しおかしい、
少なからずおかしいのを覚える。

 

「いかんぞ」「……せん」或いは「……せざらん」
この句法が(まずフォルムとして)萩原さんの心のどこかに、
こんな風にこびりつくように巣くったこと、
そのことが何としても私には“けげん”に耐えない。
(※原作の傍点は“ ”で示しました。)

 

 

とりあえずここまでを案内しておきましょう。

 

引用した最後の段落の
「こんな風にこびりつくように巣くったこと」が
三好達治の詩法・詩観にそぐわなかったことが述べられたのです。

 

「“けげん”に耐えない」とは婉曲(えんきょく)ですが
「認められない」とは言わないのが三好流です。

 

 

途中ですが今回はここまで。

 

転用の元とされた「小出新道」にも目を通しておきましょう。

 

 

小出新道

 

われこの新道の交路に立てど
さびしき四方(よも)の地平をきはめず
暗鬱なる日かな
天日家並の軒に低くして
林の雑木まばらに伐られたり。
いかんぞ いかんぞ思惟をかへさん
われの叛きて行かざる道に
新しき樹木みな伐られたり。

 

 

 

 

 

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