反撃する朔太郎/「氷島」の詩語について3・日本語は「NO」が弱い
(前回からつづく)
烈しく燃えたつような意志
寂滅無為のアンニュイではなく
敵に対して反噬(はんぜい)するような心境。
それを表白するには……。
朔太郎の格闘がつづきます。
◇
何よりも絶望したのは、日本語そのものの組織が、NO、YES、の決定を、章句の最後につけることだった。例えば「私は梅よりも菊の花の方を好む」という場合、最後の終まで待たない内は、「好む」と「好まない」との判定ができないのである。この日本語の曖昧さを、逆にユーモラスに利用したのが、掛合漫才などのやる洒落である。「私は酒も女も金も欲し」までは、判定がヤアかナインか解らない。そこで「くない」と言うかと思うと、意外に「い」と言うので、皆がどっと笑うのである。子供の遊び事に、一人が号令をして、一人がその真似をするのがある。「右手を上げて」「左手を上げて」と一人が言い、一人がその通りにする。すると今度は「両方のあんよでスッキリ立たずに」と言う。最後の「ず」に来る迄は、否定か肯定か解らないので、つい釣り込まれてスッキリ立ってしまうのである。
◇
イエスかノーかの決定が文末・句末に来ないとわからない
――という日本語の仕組みを
朔太郎は漫才や子どもの遊びを引例して説明します。
日本語のこの構成が
詩作の上で困難をきたすことがあることを明きらかにするために。
◇
この日本語の構成は、意志の断定を強く現わす場合にいちばん困る。例えば「僕はそんなことが大嫌いだ」という場合、否定のNOをいちばんアクセントをつけて言いたいのである。然るにその「嫌いだ」がフレーズの最後に来るので、力がぬけて弱々しいものに感じられる。普通の会話の場合であったら、それでも用は足りるのだが、言葉の感覚に意味を焼きつける詩の表現では、これが非常に困るのである。これは僕等ばかりでなく、昔の日本の文学者も、同様に困った問題だったと思う。そこで彼等の文学者は、こうした場合に支那語の文法を折衷して、「決して」とか「断じて」とかいう言葉を、フレーズの前の方に挿入した。例えば「余の断じて興せざる所なり」という風に言った。この「断じて」は、英語のNEVERなどと同じことで、判定の語が出て来る前に、予め否定を約束して居るのである。そこで読者は、この文を終までよまないでも「余の興じて」迄で否定がはっきりしてしまう。したがってまた、NOの否定感情が非常に強く、充分のアクセントを以て響くのである。
◇
意志の断定を強く現わす場合。
特に詩の表現の場合。
否定のNOをいちばん強く言いたいのに
それができない。
古来、日本の文学者も
この問題と格闘してきたものだったのだろう。
「決して」とか
「断じて」とか
否定を予告する言葉を文の前の方に置く支那語の方法を
こうして取り入れた。
◇
一体支那語というものは、英語や独逸語やの西洋語と、殆んどよく類似して居るのである。韻律の性質もよく似て居るし、フレーズの文法的構成もよく似て居る。すべて彼等の言葉では、情念の判定がフレーズの先に来るのであるから、抒情詩など書く場合に非常に都合がよく、思い切って感情を強く言い切ることができる。日本語だけが独りこの点で困るのである。それも普通の詩ならば好いけれども、主観的の意志や感情やを、強く断定的に絶叫しようとするような抒情詩では、全く以て手足の利かない悩ましさがある。
◇
「絶叫」に日本語は向いていない、と言っています。
◇
それ故日本の文学には、昔から強い意志や感情やを、昂然たる態度で書いたものが甚だすくない。日本の国文学というものは、文章のスタイルからして女性的である。本居宣長のような国学者は、思想上ではエゴの主観を充分発揮し、可成情熱的な強いことを書いているのだが、文章が女性的な大和言葉で、抑揚に乏しくヌルヌルして居るので、直覚的には少しも強烈な感銘がない。
◇
段落の途中ですが、
このあたり三好達治の文章スタイルをも想定していたものか。
名前を挙げていませんが
三好の散文をふと思わせるくだりです。
その意図はなかったかもしれませんが。
◇
日本語でこの種の情操を書くためには、厭でも支那語の語脈を取り入れ、いわゆる「漢文調」「漢語調」で書く外はない。幕末革命の志士たちが、好んで漢詩の和訓を吟じ、漢語調で日常の会話をしていたのも、上述のような日本語の欠点から已むを得ないことであった。「余の断じて興ぜざる所なり」というような言葉は、勿論純粋の日本語脈でなく、支那語の文法を自家に折衷したものである。だがそれでなければ、こうした強い感情は言い現わせないのだ。
(筑摩書房「萩原朔太郎全集」第10巻より。原作の歴史的かな遣い・旧漢字を現代かな遣い・新漢字に改めました。改行・行空きも加えました。編者。)
◇
このようにして
「氷島」の詩語について語る準備ができました。
今、全体の半分ほど読んだところです。
◇
今回はここまで。
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