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2014年10月17日 (金)

三好達治の「氷島」否定論について9/「感傷」という「詩の原理」

(前回からつづく)

 

三好達治が「新年」の詩行、
いかなれば虚無の時空に
新しき弁証の非有を知らんや。
――もまったく意味をなさないというのは
「虚無の時空」も「弁証の非有」もともに
由来もわからない哲学用語(と言っていませんが)とか何かで
さらにそれを「時空に非有を知らんや」と強引に作った(と言っていませんが)ことを指すでしょう。

 

そのことを「まったく意味をなしていない」と読んだ上で、
また「望景詩」を呼び出します。

 

 

呼び出した「望景詩」は、

 

「新前橋駅」の、
われこの停車場に来りて口の渇きにたへず
いづこに氷を喰まむとして売る店を見ず
ばうばうたる麦の遠きに連なりながれたり。
いかなればわれの望めるものはあらざるか
憂愁の暦は酸え
心はげしき苦痛にたへずして旅に出でんとす。

 

――と、

 

「大渡橋」の、
ああ我れはもと卑陋なり。
往くものは荷物を積みて馬を曳き
このすべて寒き日の 平野の空は暮れんとす。
――という詩行。

 

 

この二つの詩行を
「反復的に類似している」と読むのは
「新前橋駅」の「いかなれば」を指すのはすぐにわかりますが
「大渡橋」では「すべて寒き日」でしょうか
どこの部分を指すのか見つけられません。

 

詩行の全体(口ぶりとか)が
反復と三好には取れたのでしょう。

 

反復の例は「いかんぞ」だけでなく
ここにもあったのだから
ほかにもいくらでもありそうだ。

 

ということで
用例については「以下略」として打ち切られます。

 

そして結論部に入っていきます。

 

 

反復的の個所では(反復は)
たいていは意象が悪くこんぐらがり(イメージが絡まり合い)、
あるいは過度に詩句は寸づまりの省略形に陥り(省略し過ぎて)、
その荒々しい語気の外情感(語気が放つ情感)は
一足飛びになる(飛躍が生じる)ために
理解困難になる。

 

強弩の末勢(強いものの勢い)というのとも少し違う
なにやら短気にせきこんで(気短かく咳をして)
斬り込みが熱心なだけ他に遺忘のあるような(突進する熱心さのために忘れ残したような)。

 

つまり、
階和を欠いている。
(調和がとれていない)
――と評定しました。

 

 

調和がとれていない。
ハーモニーがない。

 

それだけのことを言うのに
一つひとつ対立物(概念)を据えて
それとの微妙な差異を否定した揚句に
調和していない、均整がとれていない、と
背理法(のようなこと)を駆使して
「氷島」の詩篇・詩行を読んだのです。

 

 

こうして「失われた階和」は何であったか。
――とその理由を
「感傷」(=センチメント)に絞ります。

 

感傷(癖)こそは、
「詩の原理」の原理であった!
――というのが三好の結論でした。

 

 

「氷島」発刊直後に
朔太郎が三好に送った手紙(三好の批判への返信)には、
「郷土望景詩」にまでに至る過去のいっさいの感傷癖をいとう(厭う)、
「氷島」は自己超克の渾身の努力であった
――という内容が朔太郎によって書かれてあり
それを読んだ当時はそれなりに筋が通っていたのが
「氷島」より20年前に書かれた「高橋元吉宛書簡集」を読んだ今、
新たな感想を三好は持ちます。

 

「自己超克の努力」というよりも
「感傷癖」に目が行くというのです。

 

「氷島」で朔太郎が嫌った感傷にです。

 

 

「氷島」後30年
「氷島」前20年――。

 

あしかけ50年、半世紀の朔太郎の「道ゆき」をもう一度眺望してみると
「詩の原理」の原理は
「まっとうにあすこのあたりにあった」と
明示しないで「あすこのあたり」と
「詩の原理」の原理を
したがって「氷島」の制作原理をもが解き明かされました。

 

 

最後の最後になって
「氷島」は「詩の原理」の中に氷解していくようなぼんやりとしたものがありますが
「氷島」発行直後の否定論は
それから30年を経ても揺るぎないことに変わりはありません。

 

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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