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2014年10月 1日 (水)

「氷島」を読み終えて・その6/「四季」へ中也詩論のデビュー

(前回からつづく)

 

中原中也の日記に「四季」が現われるのは
昭和10年(1935年)11月21日が初めてですが
「四季」との関係はそれ以前から続いていたことが
「近時詩壇寸感」という評論文の発表年次を見ればわかります。

 

この評論は
「四季」の昭和10年2月号(昭和10年1月20日発行)に発表されました。
昭和9年12月の制作(推定)とされています。
(「新編中原中也全集」第4巻・解題篇。)

 

日記に書かれる1年ほど前に
「四季」へすでに寄稿していたことになります。

 

 

第1詩集「山羊の歌」がようやく完成したのは
昭和9年12月7日の夜でした。

 

発行日は同年12月10日付けで
市中に出回るようになるのはこの日以後のことになりますが
中也は7日の夜に詩集を手に取りました。

 

その場で予約者と寄贈者に宛てて署名し
すぐに故郷・山口へ向かいました。

 

この帰省で生まれたばかりの長男・文也と
初めて対面します。

 

詩集の発送は翌日以降とされました。

 

 

「近時詩壇寸感」は
「山羊の歌」の文圃堂からの出版交渉が
大詰めを迎える中もしくは大詰めに差し掛かる前に書かれたものでしょうか。

 

「山羊の歌」の刊行が
ドタバタと決まる経緯を中也は見越していたはずがありませんが
この頃盛んに文学者との交友関係を深め広め
「四季」もその一つであったようでした。

 

「近時詩壇寸感」を
読んでおきましょう。

 

 

近時詩壇寸感

 

 詩論か何かそういった風のものを書けと云われるたびに、書くことはいくらでもあるような気持と書くことは何もないような気持に襲われます。さて暫く案じた揚句、大抵はお断りすることとなるのでありますが、今もよっぽどお断りしようかと思った所でありました。

 

 人によって色々異ることと思いますが、私は詩に就いては自分に分るようにだけは考えますが、それを人に分らせようとするや大変骨が折れます。而も骨を折った結果は、大抵の場合自分は気拙くなり、相手には殆んど役に立たないような次第です。これは、一つには私が今迄に、詩人である人と余りおつきあいして来なかったということに過ぎないのかもしれません。もし相手がやはり詩人である場合は、随分容易に話が通じ、又互いに利するのかも知れませんが、今の所私は、詩論というものは殆んど無益だと諦め切っている有様です。

 

 色々と詩論は毎月の雑誌にも現れておりますが、此の雑誌に訳載中のアランの論文と、それからこれは直ちに詩論と呼べる限りのものではありませんが、フィードレルの芸術論、まずまず此の二つが此の数年来に読みました詩論の中で心に残ったものであります。あとは、殆んど心に残っておりません。超現実派の詩論なぞも読んでおりますが、そして所々非常な卓見にも遭遇しますが、要するに読んだ後では「今時誰も結論には到達しないのだ」という何時も乍らの呟きを繰返さなければならない始末です。

 

尤も、新精神の、精神している所はよく分るつもりであります。一言で云えば、必竟偶然を排し詩を判然と人間の意識の手中に収めたいという精神と云うことが出来るかと思いますが、それが判然と実現出来れば、全く喜ばしいことであります。今の所猶概して印象の羅列以上のことを為し得ているとは思えませんが、あれらの努力が何時の日か一個完成したものに迄到達しないものではありますまい。

 

 然し私にはそれが10年20年で可能とは見えませんし、猶それが可能となるためにはもう一寸何かの要素が加わらなければならないのではないかと考えられます。だが、あの精神の中には非常に明るい、非常に自在な世界があることは確かで、そういう点では十分に影響されたいものと思っていますが、唯私にどうしても手放せない一つのことは、芸術作品には、一人の人間が生きていた、という感じの何ものかが、必ずやなくてはならないという事で、さもなければ読む方でつまらないばかりか、作る方で空虚なことでしかない筈だということであります。

 

 少しく飛躍ではありますが、印象の瞬間捕捉なぞという考えも、一見甚だ嬉しいことではありますが、而もそれが嬉しいのは、人間を器械の如く推定した上でのことでありまして、その実人間は器械ではありませんからそういう考えは思い付きに終るでありましょう。

 

 それから又近頃は詩の定型無定型ということが盛んに論じられていますが、私は定型にしろ無定型にしろ、面白ければいいという程のことしか考えておりませんが、なんだか此の問題は具体的のようでいて、その実途方もなく遠大か何かのように受取れます。仮に何方かに決った所でそれで何か出て来るというわけのものでもありますまい。

 

 「音」だのということも唱われておりますが、これに対しても、言語が発音される限り「音」はあるに決っている程の呑気さで、――多分報告的描写に過ぎぬ詩の続出に倦んだ揚句誰云うとなく思い付かれたことのようでありまして、もともとこんなに迄技巧論が抽象的に論じられるということは、まず大抵の場合に意味のないことではありますまいか。

 

 而もこんなに抽象的になっていることの一つの理由は、外国はいざ知らず我が国では、お互いが痛い所に余りに触れなさすぎたからでありますまいか。どうせ目下が精神の貧困時代であることは分っていますし、詩人が存外の苦吟をするのであることも分っているのですから、もっとあけすけにして、もっと具体的なことを論ずることが、詩壇の急務ではありますまいか。但しそれとても一朝一夕に叶うことでもありますまいが、そのためにはまず、詩人が一体に固くなりすぎていることが、まずは打解されなくてはなりますまい。

 

 とまれ、必要以上に真摯だ、つまり、感情的に真摯だということが云えるのではありますまいか。

 

(「新編中原中也全集」第4巻 評論・小説より。「新かな・洋数字」に変え、改行・行空きを加えました。編者。)

 

 

「まい」という「否定推量」の助動詞で結んだ文が目立つ
丁寧な口ぶりです。

 

「四季」というメディアへの詩論のデビューですから
慎重になっているのかもしれませんが
定型無定型への言及など
「面白ければいい」という切り込みは
この時も空転していたといえるのでしょうか。

 

定型か無定型かは
短詩型や現代詩の世界の2014年現在でも
二元論(二分法)に終始している実情を考えてみれば
これを受ける側の反応は鈍いというしか言い様がないもののようでした。

 

 

今回はここまで。

 

 

 

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