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2014年10月 7日 (火)

三好達治の「氷島」否定論について3/「郷土望景詩」評価の表裏

(前回からつづく)

 

三好達治は
朔太郎に関しての30余年にわたる考察の集大成「萩原朔太郎」(筑摩書房)を
昭和38年(1963年)に刊行します。

 

 

目次を見てみますと、

 

Ⅰ 萩原朔太郎詩の概略
Ⅱ 朔太郎詩の一面
Ⅲ 「詩の原理」の原理
Ⅳ 「路上」
   萩原さんといふ人
Ⅴ 仮幻
Ⅵ 後記二
あとがき
三好さんとの二十年(伊藤信吉)
――という内容になっていますが
「氷島」への言及は幾つかの篇に見られるものの
「Ⅱ」「Ⅲ」に集中しています。

 

この中にも
「氷島」否定の記述がありますから
1952年の岩波文庫版「萩原朔太郎詩集」の解説文、
1955年の新潮文庫版「純情小曲集、氷島、散文詩他」の解説文に続き
10年以上も「氷島」否定論を発表していることになります。
(※発表の順序で、制作した順序であるかははっきりしません。)

 

 

三好達治は1964年に没しますから
死の前年になるまで
「氷島」否定の論述を繰り返したことになります。

 

この三つの記述をじっくり読むと
そのどれにも「氷島」否定ばかりとはいえないところが見つかりますから
その記述を解きほぐしていくと
どうやら「郷土望景詩」への高い評価と「氷島」否定とが
表裏の関係になっていることが見えてきます。

 

 

文庫本の解説二つのそれぞれに戻って読んでみると
「氷島」否定のくだりの前に
必ず「郷土望景詩」への絶大な評価があることを理解します。

 

そこのところを読んでおきましょう。

 

 

岩波文庫版では、

 

さて二つの主著「月に吠える」「青猫」の後に、後者の拾遺に引続く「郷土望景詩」11篇(「純情小曲集」後半、大正14年作)は、その簡潔直截なスタイルと現実的即事実的な取材において、従ってまたその情感のさし逼った具体性において、この詩人の従前の諸作から遥かに埒外に出た、篇什こそ乏しけれ一箇隔絶した詩風を別に鮮明にかかげたものであった。

 

この独立した一小頂点の標高は、あるいは前2著に卓んでていたかも知れない。しかしながらこの詩風の一時期は、極めて短小な時日の後に終熄した。それはそういう性質のものであったから、それが当然であったが、その事自身はまた萩原さんの脳裡に後にはその事自身への何か渇きのようなものをさえ持越さなかったであろうか。かくいうのは仮そめの私の推測をいうのであるが、私にはどうもそういう感じがする

 

(三好達治選「萩原朔太郎詩集」より。洋数字に変え、改行・行空きを加えてあります。編者。)

 

 

新潮文庫版では、

 

「純情小曲集」の後半「郷土望景詩」は、この人の主著2巻の詩風からは截然と切離された別箇の簡潔体で、詩題も空想的幻想的感性的な以前の領分を一洗したように振りすてた後の、現実的実生活的実人生的の悲愴調を以てした、――その傾向は既に「青猫」の後期に及ぶに従って次第に萌芽を示しつつあったものと見なしうるが、それからのまた一息ついた後の、全く局面を改めたような新しい転換であった。その什作の僅々10数篇にすぎなかったのは、見らるる如く作の主題の性質から或は当然であったかも知れない。

 

両主著の場合に、溢れて止まるところのない豊かな作ぶりを示したこの詩人としては、それは異例な瞬間的な燃焼であった。瞬時的爆発的にきり開かれたこの一面、この一詩脈は、そうしてその後、萩原さんの胸中に、ある一つの完遂され了らなかったものとして、果されなかった約束のような、一つの渇きとして永く持続され、生いぶりにいぶり続けていたのではなかっただろうか。

 

(※原作は歴史的かな遣いで作られていますが、現代かな遣いに変えました。また漢数字を洋数字に変えたほか、改行・行空きを加えてあります。ブログ編者。)

 

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

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